Mashiro Chronicle

長文をまとめる練習中 割となんでも書く雑食派

王道のようで新しい意欲作 【『約束の夏、まほろぼの夢』プレイ感想<ネタバレなし>】

短評(要旨)

 

ういんどみるブランドとしては久しぶりの完全新作・『約束の夏、まほろばの夢』は、幾つかの意味でノベルゲームらしさが濃厚な仕上がりになった。設定的な面では、田舎町を舞台にした和テイストのファンタジーという王道の血脈だが、幼馴染みの間のややクローズドなやり取りを題材にした作品でもあり、私たちに二重の意味でノスタルジーを感じさせてくれる。その一方で、メタ的にはノベルゲームでしかできない表現への指向もある。総じて、伝統と新しさのバランスがいい作品だ。夏への想いを馳せたいならこの一本。

 


 

このところ完全版や過去作の新装版を世に多く送り出していたういんどみるが、『約束の夏、まほろばの夢』を発表したのは、2017年の10月、Chara1 Oct.2017でのことだった。私はたまたまその場に居合わせたのだが、あの時のことはよく覚えている。

 

ういんどみるとしても、あのような場所で公開発表会を行うのは初めてだった――司会を務めていた広報の人がそう言っていた。実際、台本は悪い意味でやや作り込み過ぎな気もしたが、それでもタイムマネジメントはきっちりできていたのだから文句の一つもない。

 

そんなこんなで、ゲストの榊原ゆいが場をあたため、ようやく客の喧騒が収まったかどうか、というタイミングで、『約束の夏、まほろばの夢』は私たちの前に姿を現したのだった。

 

実際、聴衆の反応は乏しかった。これは、エロゲー業界の構造に起因した問題だったかもしれない。なんにせよこの界隈は、様々な事情でPVやOP映像だけで購入に踏み切りにくい。スタッフやブランドが分かっていても躊躇われるような業界なのだから。その分、ある意味で安心感のある『はぴねす!』の続編と新装版が発表された時の熱が際立ってしまって、ういんどみるとしても歯がゆかったかもしれない。

 

とはいえ、『約束の夏、まほろばの夢』(夏まほ)は、この挑戦的な試みを皮切りに、なかなか大胆な広報戦略を打ち出したのだった。体験版は共通ルートを丸々お披露目し、個別ルート一つについてはなんとシナリオを丸ごとホームページで公開してしまった。ある意味現代らしい宣伝だ――SNSが一般化し、受け取る情報の質や量を個々人レベルで調節することが当たり前になった今だからこそ、「関心がある人は見て、ネタバレされたくない人はスルー」という発信者側の態度も成立するのである。

 

積極的な広報の甲斐あってか、あるいは私の周りにそういう人が多いからなのかもしれないが、発売前後から少しずつ作品の存在も浸透してきているようにも思われる。

 

前置きが長くなったが、そのような、作品の外側では新しいチャレンジを次々とやってみせた『夏まほ』の中身といえば、これは二重の意味で実にノベルゲームらしい仕上がりになっていた。実験精神を随所に見せながら、きっちりと抑えるべきところは抑えてある。誤解を恐れずに言えば、その実験精神がノベルゲームらしさに繋がったとも取れる。

 

舞台は広い日本のどこか、パッケージに大きな鳥居が描かれていることからも分かるとおり、和テイストをにじませた作品だ。主要な登場人物に一つずつ能力が割り振られており、ファンタジー要素もある。並べて書くとごった煮のようにも思えるが、アダルトゲームやノベルゲームでは普遍的に見られる世界観だ。

 

『夏まほ』は、和成分を抑えめにすることで、他の類似作品との差別化を図っている。ここで描かれるのは、山あいの田舎町で繰り広げられる、若き少年少女のひと夏の物語だ。和を意識した作品に多い、遠い昔への追想がウリではない。むしろ、私たちの子供の頃、あるいは生まれる少し前の雰囲気を感じる。『夏まほ』は、正しく自分たちが目指した場所へ向かっている――ノスタルジーはノスタルジーでも、和テイストそのものがもたらすようなノスタルジーだけでなく、ちょうど縁側に寝そべって風鈴の音色に耳を澄ませていたような、私たちが過ごし得た「いつか」を想起させるようなノスタルジーも匂わせているのだ。『夏まほ』はいい意味で欲張りな作品になった。

 

田舎町で、幼馴染みと共にワイワイと過ごしたあの夏――そう、幼馴染みという要素も大切だ。現代でも、「幼馴染み」という存在を持つ人は多い。しかし、ここで問題にしているのは、幼馴染みとの間でだけ成立する心地よい閉塞感をも含みこんだ何かである。すなわち、「幼馴染み」という人が重要なのではなく、その「幼馴染み」との間にある関係性や、漠然とした雰囲気が大切なのだ。繋がることが自己目的化し、「繋がり」だけが肥大化した都市では保つことの難しい、深く厚い年数の積み重ねがもたらすその奇妙な関係、幼馴染みこそが、この作品の肝である。

 

そう考えると、設定のほとんどは、幼馴染みという要素、そしてそこから生まれ得る物語を補強するために用意されたかのようにも思われる。田舎という舞台はもちろんのこと、たとえば主人公たちが持つ能力にしても、幼馴染みの間でしか通用しない、という制限は、ミステリアスである以上に、幼馴染グループの中にある人肌のようなぬくもりをより強調している。

 

夏という季節もいい。別に春でも秋でも冬でも、幼馴染みは幼馴染みだ。しかし、夏、特に夏休みという響きは、日本人の奥底に深く刻み込まれた何かを呼び起こす鍵の一つだ。幼馴染みと過ごしたひと夏の奇妙な体験――こう表現すると、まるでジュブナイル小説であるかのようだ。事実、そうした側面を否定しにくい。『夏まほ』が起点としているところは、おそらくそこにある。

 

秀逸だったのは、その幼馴染みとの間で起こり得る物語をきっちりと描き分けた点だ。例えばりんかルートは、「なぜ幼馴染みは幼馴染みなのか、幼馴染みになったのはどうしてか」という二つの問いに対応している。幼馴染みとは本来、なし崩し的に「そうなっている」ものだ。りんかルートは、その幼馴染みの性質を逆用している。そこに至るまでの物語の運び方が、これまでのノベルゲームの蓄積を思い起こさせてくれて、それもまた嬉しい。

 

以下、他の三人のヒロインのルートも、ネタバレになるので詳しくは述べないが、それぞれ個別の主題を伴っている。1つの幹から出た4つの花をきちんと描き分ける――一見当たり前のようにも思われるが、その実これはノベルゲーム以外ではやりにくい芸当である。この描き分けは、ヒロイン個別ルートが複数存在することが前提のノベルゲームだから可能なのであり、それ以外だと、凝った連作短編などの非常にテクニカルな形態を取らざるを得ない。また、ノベルゲームにおいても、そのような特徴にある程度自覚的でないとなかなかなし得ない。その意味で、『夏まほ』は、シナリオ以前のシナリオ作りの段階で優れていたと言える。

 

興味深かったのは、メインヒロインたるりんかルートにおいては、他の三人のルートのテーマを裏返しにしていく形で話を進めていった点だ。これもネタバレになるので詳細はゲーム本編に譲るが、シナリオ上では連続していないにも関わらずこのような形式を取ったというのは、どういうことだろう。りんかルートは決して解決編ではない。物語の核心には斬り込むが、決してそれだけが絶対的な正解ではないのだ。ライターが意図した何かが実現したかどうかは分からないが、少なくとも、『夏まほ』の新規性、実験精神は、こうしたところにもあるように思われる。

 

総じて、『夏まほ』の物語は、単にキャラが引っ張るわけではない。もちろん、キャラはそれぞれ魅力に溢れているが、この4つの物語は、むしろ幼馴染みというコンセプトを取り巻く何かだ。キャラは記号の集積云々ということを語りたいのではない。ここで言いたいのは、幼馴染みという関係性を関心の出発点とした時に、この幼馴染みたちはどのような物語を紡いていくのか、というところに力点がある、ということだ。そう考えると、『夏まほ』は別の意味で実験的だ。

 

とはいえ、ノベルゲームらしい設定や、萌えゲーらしいかわいらしさ・キャッチ―さ、そしてアダルトゲームらしいエロシーンそれぞれの魅力を損なっていない。『夏まほ』は、これまでのノベルゲームの伝統を踏まえながら、新しいどこかへと向かおうとしている。挑戦的でありながらもきっちりと作り上げた、と言えばよいだろうか。

 

季節は、もうすぐ梅雨を経て盛夏へと差し掛かる。本格的な夏の訪れの前に、私たちの思い出の中の「夏」への入り口として、古いようで新しい『約束の夏、まほろばの夢』は絶好の作品だ。