Mashiro Chronicle

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「マイペース」の裏側 【『約束の夏、まほろばの夢』陽鞠ルートプレイ感想<ネタバレ有り>】

こちらは『約束の夏、まほろばの夢』(『夏まほ』)陽鞠ルートのプレイ感想。当然ネタバレあり。

 

ネタバレなしの感想りんかルートの感想はそれぞれリンク先をどうぞ。なお、残り2人については感想記事を書く予定なし(今のところ)。

 


 

小さな背丈と、大きな瞳。陽鞠は、間違いなく一番幼い身体つきだった。

 

単に体型の問題、というわけでもない。確かに、紫の大きな瞳は、私たちに幼い子という印象を与えてくれる。だが、それ以上に、その目に宿る光が陽鞠を決定的に幼く見せている。陽鞠は、今にも走り出しそうな、活力に溢れた眼光をいつでも放っている。陽の下で鞠を興じる子どものようであって、陽という鞠そのもののような少女。まさしく、陽鞠は「陽鞠」だ。

 

エネルギッシュなその眼光と性格は、垂れ目の印象すら一変させてしまう。穏やかさとマイペースさは似て非なるものだ。陽鞠の場合、いつどんな理由で動き出してもおかしくない独得の性格と活力を持っているのだから、マイペースと評するべきだろう。陽鞠の垂れ目からは、穏やかさというものをなかなか感じ取れない。

 

そんな、まさしくゴーイングマイウェイを地で行く陽鞠が、実際には一番ものを考えて行動していたというのだから、プレイヤーとしてはたまったものではない。人間とは表出した生き方だけでは判断できない存在だと思わされる。

 

実際問題、天然の変人は少ない。この感想を書いている筆者自身も頻繁に変人扱いされるが、その行動は大抵自分なりに考えた上で取っているものだ。その実感を込めて指摘すると、「変人」が本当に一般人からかけ離れているのは、目に見える行動ではなくて、その裏にある感受性や思考回路の方である。

 

もちろん、筆者は他人の心など読めるわけもないが、陽鞠がどうして山に吸い込まれてしまうのか、どうして敢えてマイペースを演じるのか、はなんとなく分かる。陽鞠は、人から離れるために山へ行くようになったのかもしれない、と述懐している。心を読めてしまうというのはそれ自体が大変なストレスだと思われるが、それ以上に、相手のことをできる限り考えた上で気づかないふりをするというその振る舞いをしんどいと感じるのだろう。筆者も唐突な思いつきで吉野へ行ったことがあった。人付き合いに疲れると山へ行きたくなる本能のような何かが、私たちには備わっているのかもしれない。

 

ここまででお分かりのとおり、筆者が陽鞠を推している理由の一つはシンパシーである。他にも体型が好みだったなどなど様々な理由があるものの、ここまで感情移入するとなると、その理由はやはりシンパシーに求めざるを得ない。

 

その小さな身体に、いっぱいのエネルギーと底なし沼のような悩みを同時に抱えていると思うと、胸が苦しくなる。その上で、外面は取り繕おうとするその態度に共感するところがあっては、もう陽鞠の虜となるよりなかった。あの発言にも、この態度にも、彼女なりの、否、彼女にしか思いつかない考えがあるのだろう。そう思ってしまった時にはもう手遅れもいいところだったと言える。

 

ものの考え方や行動様式は、環境によって大きく変わる。また、もちろん積み重ねた年の数や経験も影響する。そう考えると、容鞠の変人っぷりにも歴史があると思い知らされて、やはり胸が痛い。繰り返すが、変人が一般人と決定的に異なるのは、表ではなくて裏である。

 

陽鞠ルートはよくできていて、そんな複雑な裏がある陽鞠の思考がきっちりと織り込まれている。真実を知ってから読み返すと伏線の多さに驚かされるほどだ。単に陽鞠の能力をほのめかしているだけでなく、読心能力と付き合い続けてきた陽鞠なりのものの見方考え方もきっちりと読み取れるようになっている。

 

それらの忍び込ませた伏線の数々が、最終盤での陽鞠の変化に説得力を与えている。私たちは、陽鞠が投げやりになって心を読みふけり始めたのではない、と確かに思う。吹っ切れた、というとまだ曖昧で、平たく言えば陽鞠は受け入れたのである。自分の能力と、秘密を知る大切な彼氏と、これから訪れるであろう変化。その全てを受け入れたからこそ、陽鞠は自重をかなぐり捨てたのだ。

 

陽鞠の感じたカタルシスがいかほどだったか、想像もできない。変人は、自分が作り上げてきた思考の様式を決して否定しない。その一方で、他人に受け入れられない自分の考え方を「受け止めて」くれる存在を求め続けている。これも筆者の実感に基づく話で恐縮だが、変人の心は繊細なのだ。さらに言えば、変人は自分を「受け止めて」(理解する、ではない)くれる存在がいかに希少か分かっているので、一度それを手に入れると離そうとしない。依存癖、と言ってもよいだろう。実際、陽鞠は最終的に彼氏にべったり彼女へと変貌してしまった。

 

とにかく、陽鞠は「救われた」という実感を確かに抱いたはずだ。自分の能力と、自分を受け止めてくれる存在に対しては、態度が一変する。なんともいじらしい女の子である。奇人変人には愛が重たい人が多い。これは、『夏まほ』からプレイヤーに示された教訓だ。それを呑み込み切ることができるかどうかは皆さん次第である。筆者は共感のあまり共依存になりかけたことを記しておく。

 

陽鞠ルートは終わり方も整っている。他の3つのシナリオと異なり、陽鞠ルートでは幼馴染みの間で通用した能力がその後どうなったか明らかにされない(正直な話をすると、渚沙と星里奈のルートで能力が霧散した理由はよく分からない。というのも、仮に能力が巫女の魂に由来するのであれば、りんかルート以外で能力の自然消滅が起きるとは考えにくい)。これは。能力の消滅に明確な理由があるりんかルートや、年単位で時間が経った後の話を描いたシーンが存在する残り2人のルートとは、陽鞠ルートが根本的に異なる性格を有しているからでもあるだろう。

 

物語の核心に迫るりんかはもちろんのこと、他の2人との恋愛とも、陽鞠との付き合いはかなり色合いが違う。渚沙と星里奈は、もちろんそれぞれの能力に影響されながら性格が形成されていったのだろうが、能力が決定的に性格を歪ませたとは言い難い。対して、陽鞠は、上述のとおりあまりにも能力の存在が大きかった。能力の存在を最も忌み嫌っていた陽鞠だが、その負の感情の大きさこそ、彼女にとって読心のスキルがどれほど重要だったかを示している。能力の存在があってこその陽鞠の性格であり、かつ、能力の存在があってこその主人公との恋愛だと言えばいいだろうか。

 

もちろん、陽鞠の思考様式はもうだいぶ歪んでしまっているので、今後能力がなくなってもそうやすやすと「陽鞠らしさ」が薄まることはないだろう。上で書いたような変人の性質、そして陽鞠の「個性」は、もう彼女に染みついてしまっている。そう思うと能力の存在がまた一段と大きく感じられて仕方がない。

 

とはいえ、能力ありきのコミュニケーションをしていることも、陽鞠自身はよく分かっているだろう。そう思うと、陽鞠から能力が消え去った時に一抹の不安が残る。果たして、彼女はこれからやっていけるのだろうか、と。

 

陽鞠ルートの最後は、その答えを保留している。否、能力がどうなったか示さなかったことで、陽鞠の、そして、陽鞠に対する不安を解消している。私たちは、陽鞠の能力が残り続けたケースを十分に想像できる。小さな身体いっぱいに幸せを溜め込んだ陽鞠の姿を目に浮かべることができるのだ。

 

陽鞠についてだけは、こう断言できる。陽鞠と主人公の関係は、主人公が望む限りいつまでも続く。上述のように、変人は一度この人と決めると動かない。読心術を持つ陽鞠であれば、執着も嫉妬もさらにパワフルだろう。事実、浮気を疑った場合について、陽鞠自身が言及していたではないか。

 

それだけ愛が重かろうとも、筆者は陽鞠を振り切ることができなかった。いや、愛が重いからこそ、その重力から逃れられなかったのかもしれない。これもシンパシー由来だと思うにつけて、筆者の口元は苦笑を浮かべてしまうのである。