Mashiro Chronicle

長文をまとめる練習中 割となんでも書く雑食派

「ノベルゲーム」らしさとテーマ選び 【『君と目覚める幾つかの方法』プレイ感想<ネタバレなし>】

短評(要旨)

 

Navelの15周年を飾る『君と目覚める幾つかの方法』(『きみめざ』)は、選択肢によって話の流れが変わるというノベルゲーム特有のインタラクティブ性を押し出した久しぶりの作品だ。幾度となく辿ることになる日常の中で、プレイヤーは少しずつ、このサスペンスめいた物語の核心と登場人物の複雑な過去に勘付くことになるだろう。その一方で、『きみめざ』が包含しているSFにおいては普遍的なテーマ設定は、作品が技巧的になり過ぎることを防ぎ、物語をより大きく見せる一助となっている。カタルシスが得られるよう張り巡らされた伏線に代表される巧妙さと、根本的なところで難しさを孕む題材、それらを高いレベルで融合させた一本だ。

 


 

Navelの10周年を記念して発売された『月に寄りそう乙女の作法』(『つり乙』)は広くエロゲプレイヤーに受け入れられ、その後のNavelブランドの屋台骨となった。あれから5年、同ブランドの15周年を飾ることになった『君と目覚める幾つかの方法』(『きみめざ』)は、キャッチ―さやヒロインの癖の強さでは『つり乙』と比較されてしまうものの、完成度という面では何一つ引けを取らない作品に仕上がったと言えるだろう。

 

そもそも、目指している方向が根本的に異なる。『つり乙』は、お嬢様学校や上流社会を舞台にし、そこでの主人公の格闘と成長を、女装を鍵としながら丹念に描いていった作品だ。対して、『きみめざ』はサスペンス要素のあるSFである。違う畑で育った作物を一概に比較対象とするのは難しい。

 

また、ゲーム性にも大きな隔たりがある。『つり乙』は、ビジュアルノベルらしく、選択肢によって攻略するヒロインを決定するものの、それ以外の要素においてプレイヤーが物語に干渉することができないシステムになっていた。一方、『きみめざ』は、これから物語の中心に据えるヒロインを選択する以上の役割を選択肢に持たせている。つまり、かなり複雑にフラグを管理し、ヒロインにまつわるシナリオを読むというよりは、むしろプレイヤーが半分能動的にエンドを選択していく、という側面が強い。より平たく言えば、バッドエンドやノーマルエンドが多いのである。その意味において、『きみめざ』はビジュアルノベルというよりは「ノベルゲーム」的だと言えるだろう。

 

こうした作品は昨今少なくなった。理由は様々あるだろう。たとえば、こうした複雑な構造を持つシナリオを構想すると、複数人のライターで分担して執筆することが難しくなる。シナリオや設定のすり合わせに労力がかなり割かれるからだ。こうした制作側の効率に関する事情もあるだろうし、一方では単純にユーザーの求めるものが変化していったあおりを受けたという面も否定できないだろう。

 

どちらにせよ、ここまできっちりと「ノベルゲームらしさ」を意識した上で練り込まれた作品は珍しい。このような形態を取ると、必然的にプレイヤーは何度も同じ日常を経験することになる(もちろんスキップすることも多々あるのだが)。その中で、主人公やヒロインたちが発した些細な言動や、プレイヤーが選んだ先で起こった僅かな変化が、一つ一つ丁寧に、物語の謎の全容を明らかにしていく。こうしてまとめてみると平凡なことのようにも思えるが、仕上げるのは相当難しい。『きみめざ』は、本当に久しぶりに、細部にまで念入りに手が加えられた一本になった。ひとえに企画とライターの力だろう。

 

他方、こうしたゲームはエンタメとしては高い質を誇るものの、物語の広がりであるとか、話の膨らませ方に難がある場合も多かった。喩えるなら、超精密だがこじんまりとした彫刻のようなものだ。もちろん、そのような彫刻も一つの方向性として認められるべきだし、完成までにかかる労力も相当なものだ。だが、大きな彫刻というのは、それだけで彫り切るのがかなり大変であるという事実を鑑みると、どうしても大きさという指標を導入する必要性も感じてしまうのだ。

 

その点、『きみめざ』は小さなところでまとまるのではなく、大きさを見せつけながら細部も見せるという、バランス感覚の際立った作品になっている。これはおそらくテーマ設定が上手くはまったのだと思う。そもそもSFというジャンル自体、世界観を見せることに多大な関心を払うジャンルではある。しかし、ここで強調したいのは、『きみめざ』が(ある種の)SFとして成立していく中で織り込んでいったものの方である。

 

『きみめざ』が扱ったのは、最も簡潔に記すならば、アンドロイドと人間というテーマだ。アンドロイドが、人工知能が、私たち人間の既に成立した社会やコミュニティー、あるいは日常生活の中でどのような役割を担い得るか、という実験側面が、『きみめざ』にはある。

 

だが、それ以上に、『きみめざ』が注意を向けているアイディアがある。それは、心、である。アンドロイドに心はあるのか、人間の心とは何か、そうした問いが作品の中で立てられ、答えすらも徐々に描かれていくのだ。

 

このテーマそのものは、AIなどを扱うSFでは普遍的に見られるものではある。その意味では突飛な発想ではない。ここで強調したいのは、そのようなアイディアを「ノベルゲーム」である『きみめざ』に持ち込んだことで、作品世界の広がりや現代社会とのアクセスを保証しながら、技巧的なシナリオを展開することが可能だった、ということの方だ。

 

もちろん、心というテーマそのものについて論じることは可能だし、そうしたいのはやまやまだが、ネタバレを大いに含むことになるので、それは別稿に譲りたい。

 

一つだけ指摘するならば、この作品における主要なキャラクターの造形は、すべからくこの心という問題を扱うことを前提にしたものだと言える。それは、個々人レベルでの話、すなわち、キャラの性格といった意味でもあるし、キャラの性格の取り揃え方というややメタ的な意味でもそうである。

 

一見とてつもなく技巧的なエンタメ作品のようでいて、実は難しいテーマを内包した作品。いや、むしろ、体験版の感触を前提にすれば、重たい題材を扱っているようでいて、その実エンタメとして快作、と表現した方がいいだろうか。この書き方だとどちらか一方しか重視していないようにも読み取れてあまりよろしくないが、端的に言えばそういうことだ。「ノベルゲーム」らしいインタラクティブ性を強く持ち、細部にまできっちりと注意を払った一方で、テーマはずしりと重たく、もちろん物語の膨らみも十分。『きみめざ』は、極めて高いレベルでまとまった一本だ。興味が少しでもあるならば、ぜひ触れてみて欲しい。