Mashiro Chronicle

長文をまとめる練習中 割となんでも書く雑食派

Spriteが逝った今、敢えて『あおかな』を再評価する

Spriteブランドの休止と『蒼の彼方のフォーリズム』(『あおかな』)シリーズ制作休止が発表された。

 

aokana.net

 

休止だとかなんだとか言っているが、事実上の開発断念・ブランド解散である。去る春にはスタッフの異動が報告されるなど、かなり計画的な解散だった。計画的というのは誉め言葉だ――エロゲブランドの中には活動休止報告も制作状況の更新もないまま数年単位で放置されているものも少なくない。そんな中で、一応の筋は通したSpriteは一定程度評価されるべきだろう。

 

しかし、いかに去年の冬コミが終わった辺りから死の香りを漂わせていたとはいえ、実際に「その日」が訪れると辛いものがある。世の中、なんだかんだいなくなってスッキリするエロゲブランドは少ない。何かしらの哀愁が生じてくるものだ。ましてや、それが知名度ある作品を抱えたブランドなら当然だ。

 

Spriteは2010年代に入ってから『恋と選挙とチョコレート』で登場した、比較的新しいブランドだ。だが、そのSpriteの名が世に広く知られるようになったのは、間違いなく2014年の『蒼の彼方のフォーリズム』以降だろう。いや、以降という言い方はふさわしくない――『あおかな』は、彼らの代表作にして、今や彼らの遺作となった。こうなった今となっては、『あおかな』とはSpriteである、と言ってしまってもよいのかもしれない。

 

であるならば、Spriteがその拍動を止めた今だからこそ、『あおかな』を振り返ってみるべきではないのか。今となっては、もうその程度しか私たちからSpriteへ手向ける香典がないのだから。

 


 

2014年も、もう4年前になってしまった。4年の歳月は、短いように見えて長い。当時大学に入ったばかりの若者も、もう卒論に追われているだろう。私たちは、そんな近いようで遠い過去のことを、実ははっきりと覚えていない。だから、まずは2014年を振り返るところから話を始めてみたい。

 

2014年は混迷を極めた年だった。テレビを付ければいつでも謝罪会見をしていたあの年、といえば、大多数の人が「ああ、あの年ね」と頷くだろう。そう、2014年はSTAP細胞やらゴーストライターやら号泣会見やら遠隔操作やら、まことにワイドショーの話題には事欠かない一年だったのだ。

 

正直なところ、これだけ書いてしまえば2014年の世相は描き切ったも同然である。2011年の震災の影響が少しずつ抜け始め、政府日銀的には景気の底を脱したちょうどそんなタイミングだ。混乱の中から少しずつ秩序が見え始めた――肯定的に捉えるなら、そんな年だった。

 

では、エロゲ界はどうだっただろうか。Getchuの2014年売上ランキングを覗いてみよう。

 

2018年の今になって名前を聞くソフトは、むしろランキング10位前後からの方が多いかもしれない。たとえば、この2月に堂々のシリーズ完結を迎えたアリスソフトの『ランス』第9作が発売されたのはこの年だ。エウシュリーの新作の名前も目に入るだろう。エロゲの中でもシステム面やゲーム性に定評のある大御所の名前は、売上上位ではあるものの、ランキング的には少し下の方に位置している。

 

この年の売上1位はクロシェットの『サキガケ⇒ジェネレーション!』だった。クロシェットといえば、2011年の『カミカゼ☆エクスプローラー!』でスマッシュヒットを飛ばした、アリスソフトエウシュリーに比べれば新しめのブランドだ。その他、オーガストの『大図書館の羊飼い』のファンディスクが見える。注目すべきなのは、後に『ワガママハイスペック』が世間を賑わせるまどそふとの第2作が小さく載っているところだ。クロシェットオーガスト、まどそふと…… 『PRIMAL×HEARTS』のま~まれぇどを並べてもいいし、あるいはここに、この年新作の無かったゆずソフトを加えてもいいかもしれない。そう、2014年のランキングは、キャラ萌えゲーに傾いた業界の様相をきっちり映し出している。

 

そもそも、2010年代前半、エロゲ界は混迷を極めていたと言ってよいように思う。伏線を張り巡らせ、それを回収することでカタルシスを与えるような、ノベルゲーの一つの形に対し、たとえば『G線上の魔王』や(全年齢対象だが)『STEINS; GATE』のようなマスターピースが生み出されたのが2000年代末期から2010年代頭。あるジャンルにおいて傑作が生みだされるというのは、喜ばしい反面辛い側面もある。というのも、誰もが認める傑作が誕生したというのは、そのジャンルが成熟しきったという事実を示唆する場合があるからだ。今回はそのパターンに該当したのか、2010年代前半以降、そうした作品はエロゲのメジャーシーンからは少しずつ外れていくことになる(ネットで情報を漁れば、同時期にユーザーのニーズの変化もあり、同ジャンルの売上が減少したこともうかがえるだろう)。

 

それまで、エロゲ界ではノベルゲーム、しかも上述のようなタイプのゲームが有力だった。それが売上的にもそもそものタイトル数的にも勢力を失っていく中で、エロゲ界は新たな定番を模索する段階に入らざるを得なかった。それが、2010年代前半の状況だと認識している。その中で台頭してくるのがゆずソフトでありクロシェットで、生き残ったのがオーガスト、そして勃興してくるのがまどそふとである、と書けば、もう言いたいことは伝わるだろう。

 

結局、エロゲ界はキャラ萌えゲーとしての側面を強く押し出す作品を支持した。2014年のランキングは、その傾向がほぼ固まったことを私たちに教えてくれるランキングだと言える。

 


 

ここまで長かったが、では翻って、『あおかな』はどうだろうか。売上的にはランキング10位台と中堅のポジションに収まっている。だが、作品そのものに対する評価は最上位のものを獲得した。萌えゲーアワードで大賞を獲得したのがその一番分かりやすい例だろう。萌えゲーアワードそれ自体は確かに曰く付きのイベントではあるが、『あおかな』はGetchuのユーザー投票による美少女ゲーム大賞でも総合2位となっており、世間が評価した、ということは間違いない。すなわち、売上と評価に若干の乖離が見られた作品だった、ということだ。

 

『あおかな』は、どのような面がウケたのだろうか。ゲームシステム的には、普通のノベルゲームと大差ない。後に発売されるコンシューマ版ではミニゲームが追加されたものの、オリジナル版にはそのような要素は存在せず、ただ文章を読んで選択肢をクリックするだけだ。この点で『あおかな』が評価された理由を探すことは難しい。

 

では、流行のキャラ萌え側面が強かったのだろうか? そうとも言い切れないのが難しい。キャラ萌えゲーは、海外のアニメ分類風に書くならCGDCT(Cute Girls Do Cute Things)を前面に押し出すジャンルだと言ってもよい。エロゲの文脈に置き換えると、綿密な伏線などを用意するのではなく、あまり規模の大きくない出来事と恋愛を通じ、女の子のかわいい仕草を鑑賞しながら、コミュニケーションとしてのセックスを楽しむゲーム、とまとめてもいいかもしれない(もちろん例外は山のようにある)。上の表現に語弊があるならば、こう言ってもいい。あっと驚くどんでん返しや100人中99人が号泣するような展開など長い文章を必要とする物語に注力する代わりに、(物語そのものではなく)喚起されるプレイヤーの感情の起伏は比較的小さいものの、着実にヒロインとの関係が固められていくようなエピソードを詰め込むゲーム、と。女の子とのコミュニケーションは家の中などクローズドな空間で行われるか、あるいはデートだ。そこでは、女の子が悶える仕草や恥ずかしがり屋な側面、そして想い人に懸想を掛ける純粋な心に焦点が合わせられる傾向にある。

 

『あおかな』において、こうした側面を強く持っているのは、メインを張る明日香やみさきではなく、むしろ真白の方だ。もちろん、真白の人気が一つ抜けていたところから、台頭してきたキャラ萌えゲーの勢いを感じることもできる。だが、結局真白のルートは明日香やみさきのものに比べ短い。短さに意味のあるルートでもない以上、『あおかな』の本質をキャラ萌えに求めることは難しい。

 

ここは一旦、『あおかな』のストーリーをまとめてみよう。『あおかな』は、主人公の日向晶也が、転校してきた倉科明日香と出会うところから始まる。そこで明日香は、晶也を通じて空を自在に翔け回ることのできるアンチグラビトンシューズの存在と、それを駆使した新しいスポーツ・フライングサーカス(FC)の存在を知る。晶也の腐れ縁たる鳶沢みさきとその追っかけ・有坂真白、さらには晶也のご近所さんたる市ノ瀬莉佳を巻き込みながら、元有力プレイヤーとして、晶也がFC部のコーチを務め始める、というのがおおよそのプロットだ。

 

要するに、『あおかな』は運動部を題材に取った作品だ。意外にも、こうした作品はエロゲ界では珍しい。理由としては、学園ものにおいて所属する部活はキャラの性質を決定づける極めて重要な要素だが、それゆえに部活を題材にしてしまうとキャラごとの個性を描き分けにくい、という理屈が考えられる。とりわけ運動部は、スポ根ものという形式が存在するものの、逆に言えばそれ以外の型を編み出すことが難しく、結果的に話が似通ったものになりやすい。これは、多様な女の子を取りそろえることでユーザーのニーズに応えてきたエロゲにとっては致命的だ。

 

他にも理由はあるのだろうが、とにかく、個々の女の子のうちいずれかが運動部に所属していることはあっても、主人公含め全員が同じ運動部に関わっているケースは、あまり例がない。

 

運動部に限っていては議論が進まない。では、(運動に限らず)部活に真摯に取り組む少年少女を描いたという意味で『あおかな』は特異な存在だろうか。そうでもないのがややこしいところだ。『あおかな』が、FCという架空のスポーツを扱うことで成し遂げたことといえば、それは空の持つイメージを作品に重ねることだろう。空と部活、この2点を並べてみると、ある作品が頭に浮かぶ。PULLTOPが2012年に発売した、『この大空に、翼を広げて』(『ころげて』)だ。こちらは、スポーツではないが、グライダーを扱いながら空と少女を絡めている。

 

もちろん、この連想は誤った方向に議論を持っていってしまう危険を孕んでいる。PULLTOPの作品は、部活に取り組む少年少女を真摯に見つめているとはいえ、スポ根ものの類型とまでは言いづらい。対して、『あおかな』は、特にみさきルートにおいてスポ根側面が濃厚だ。努力を重ね困難を乗り越える姿を描く点は共通しているが、若干の違いがあることは頭に入れておきたい。また、Switch版『あおかな』付属の資料集によれば、『あおかな』の開発はかなり長期に渡っており、PULLTOPの作品と発案時期が被っている可能性がある。

 

ただ、逆に言えば、PULLTOPもSpriteも、同じ時期に同じようなテーマを持った作品を練り上げていた、ということでもある。『恋と選挙とチョコレート』の発売が2010年だから、『あおかな』の開発はそこまで遡らない。すなわち、パラレルに同じようなアイディアが生まれていたのだ。

 

ここで、2010年代前半がどのような時代だったか、もう一度思い出してみたい。エロゲ界は、新しいフレームワークを模索していた。キャラ萌えが決定的な王道となるのはもう少し先の、混沌とした時期。そんな中で、Spriteや木緒なちとPULLTOPが同じ結論に辿り着いたとしても、なんら不思議ではない。

 

あるいは、このソフトの列にチュアブルソフトの『あの晴れわたる空より高く』を繋げてみてもいい。奇しくも『あおかな』と同じ2014年に発売されたこの作品は、ロケット作りという途方もない事業を扱う部活が舞台の作品だ。こちらは空を突き抜けてしまったが、無謀な夢に対し愚直なまでに懸命に取り組む姿には、『あおかな』や『ころげて』に共通するものも感じられる。

 

宇宙がロマンを語るのに対し、青空は希望と未来、何より爽やかさを象徴するという違いはある。どちらも可能性を感じさせてくれる存在ではあるが、どちらかといえば青空の方が泥臭い努力に清涼感をもたらしてくれるものだ。その意味で、『あおかな』や『ころげて』は、広がる空のイメージを使い、その泥臭い努力こそが青春の爽やかさなのだ、と主張することに成功したと言えるだろう(チュアブルソフトが間違っていた、というわけではなく、方向性が若干異なった、という意味)。

 

そう、泥臭い努力に爽やかさが宿る――これが『あおかな』のコンセプトだったと言っても過言ではない。『あおかな』が、おそらくは汗にまみれた運動部の生活とは少し離れた場所にいたであろうエロゲユーザーの大多数に受け入れられたのは、スポ根ものでありながら、少年少女の爽やかな生を捉え切っていたからだ。

 

そう考えると、『あおかな』の主題が見えてくる。つまり、『あおかな』とは青春を描いた作品なのだ。

 

『あおかな』は、恋愛に従属する青春を描くわけではない。前述のとおり、デートや同棲などの恋愛要素は物語の影に隠れてしまいがちだ。『あおかな』は、むしろ、青春が包含する一要素として恋愛を扱っている。これこそが『あおかな』のユニークな点であり、エロゲユーザーに受け入れられた点だ。

 

青春とは結局なんだったのか、18歳以上の大半(すなわち、エロゲプレイヤーの大半)が一度はぶつかるこの問いに対し、『あおかな』は恋愛単体ではなくそれを含んだ日々を再現することで答えを提供しようとしている。グランドエンディングで示されるとおり、少年少女が過去や自分自身と向き合い未来というものを考え始める、二度と戻ってこない時間、というのが結論だ。すなわち、時間というものが不可逆的なものなのだと認識すること、その上で、自分自身の在り方を見直すこと、これが行われる時期こそ青春なのだ、と『あおかな』は主張している。

 

であるが故に、私たちは『あおかな』をプレイする度、青春とはなんだったのか、という問いを思い浮かべると同時に、青春を取り戻している。『あおかな』が私たちにバーチャルな青春を提供することで、私たちは時間が戻りっこないという事実を嫌というほど認識し、その上で、私たちはどう生きるべきなのか、今一度考え直す契機を授かるからだ。

 


 

結局、何度も繰り返しているとおり、『あおかな』や、あるいは『ころげて』が示した道は、ついぞエロゲの本流にはならなかった。部活を題材に取りながら青春と向き合おうとするエロゲは、2018年だとharmoriseの処女作『ひとつ屋根の、ツバサの下で』くらいだろうか。これにしても空を扱っているので、『あおかな』が拓いた道もまた確かに存在するのだということは分かるが、時代が一番求めたものではなかったということなのだろう。

 

とはいえ、2010年代前半の誰もが新しい何かを探さねばならなかった時代に、『あおかな』という作品が生まれ得たということはエロゲ界の財産である。暗中模索している段階にあって、方向性の多様な作品が出てくる土壌が存在する、その事実を示したというだけで、『あおかな』は貴重な作品になった、と再評価できるだろう。

 

『あおかな』が描くとおり、時間はもう戻ってこない。Spriteが『あおかな』を世に問うことができた時間は過ぎ去り、私たちもまた、Spriteと共に歩む時間をとうとう失ってしまった。それでも、私たちのもとには確かに『あおかな』という時代のシンボルが残った。そして、『あおかな』を開くたびに、『あおかな』と共にあった時間を思い出し、青春を取り戻すことができる。『あおかな』は、そして、それとほぼ同値のSpriteは、記録に残った「記憶」にまつわる存在として、エロゲ界に確かな足跡を残したのだった。