Mashiro Chronicle

長文をまとめる練習中 割となんでも書く雑食派

バーチャル受肉する私たち

数日前、こんな記事がtwitterのTLに流れてきた。

 

panora.tokyo

 

バーチャルYouTuberが世間を賑わせるようになって、もう半年ほど経つだろうか。初めて私がその存在を認知したのは、2017年の暮れだった。実際には、かなり前からバーチャルYouTuber、あるいはプロトバーチャルYouTuberは活動していたそうで、己のアンテナの低さを思い知らされるが、実際問題ネット上で、そしてお茶の間にその活動が知られていくようになった時期も、おおよそ去年末であったように思う。

 

その半年の間に、随分とバーチャルYouTuberの数も増えた。上の記事は、その証拠だと言えるだろう。

 

上のニュースに触れたのとほぼ同じ頃、知人のバーチャルYouTuberオタクから、私は熱心な「布教」を受けた。かなりの熱量と知識量を披露してくれたので、その内容は(申し訳ないが)あまりよく覚えていない。もちろん、紹介された動画のうち幾つかは見た。しかし、如何せんその知人が見繕ってくれたバーチャルYouTuberの数が多すぎた。これほどまでに人を熱狂させるバーチャルYouTuberとはなんなのか、と、彼らに関心が向くきっかけにはなったのだが。

 

そんな長大なバーチャルYouTuber「布教」録の中で、私が唯一、しかと記憶している箇所がある。残念ながら、具体的な動画でもチャンネルでもない。それは、バーチャル受肉という表現だ。

 

聞けば、バーチャル受肉という表現は、ことバーチャルYouTuber界隈ではさほど珍しい表現でもないらしい。あるバーチャルYouTuberが機材一式やモデリングを揃え、初めて私たちの前に姿を現す、その行為のことをバーチャル受肉というようだ。

 

受肉、か……。この、界隈ではありふれた、しかし世間一般的には新語の部類に入る表現を初めて知った時、私はそうため息をついた。

 

ため息の理由を考える上で、まず、バーチャル、という単語を整理しておきたい。もちろん、これは英語のvirtualをカタカナ表記したものだ。カタカナ語・外来語と英語の間には幾何かの溝があることを承知で、敢えて英語の意味から考えてみようと思う。

 

現在のカタカナ語に存在する単語・バーチャルは、ほぼその用途がサイバー関係に限定されている。しかし実際には、英語のvirtualはもう少し意味の広い単語である。OED(Oxford English Dictionary)のオンライン版で、virtualの語を引いてみた。幾つもの死語いや死意味と専門用語としての使い方に埋もれて、まず出てくる見出しは以下のようなものだった。

 

4. a. That is such in essence, potentiality, or effect, although not in form or actuality. In later use also: supposed, imagined.

 

(Oxford English Dictionary Online. Last View: 7/16/2018)

 

Not in form or actuality…… この辺りがどうにも、私たちが現在知るバーチャルという単語の土台になっていそうな部分だ。だが、OEDが続けて掲載する意味は、もう少し違った視点を私たちに提供してくれる。

 

4. b. That may be so called for practical purposes, although not according to strict definition; very near, almost absolute.

 

(Oxford English Dictionary Online. Last View: 7/16/2018)

 

文脈にもよるが、日本語では「事実上」くらいの訳がはまることが多いだろう。厳密にそうだとは言えない、断言はできないが、実態としては~~である、というニュアンスを含んでいる。

 

初めてコンピュータの世界にvirtualの語を持ち込んだ人が、どのような意味を念頭に置いていたのか、そのことを窺い知ることのできる資料は少ないか、存在しないだろう。あくまで文脈や語が指し示す事物から判断するよりなく、多分に読む人の主観が入ってしまう。とはいえ、それではあまりに無責任なので、一応もう少し解説を並べておく。OEDが示すところによれば、virtualの語が初めてコンピュータ関連の文脈で用いられたのは1959年、virtual memoryの並びで出現したとのことだ。今のバーチャルYouTuberに繋がるvirtual realityの用例として持ち出されているのは1979年(see Virtual Reality of OED)のもの。後者の例に限って言えば、ダブルクォーテーションで区切られており、また「『バーチャルリアリティ』へとユーザーを移住させる」との文脈であるから、上掲4. b の意味に近いのかもしれない(断言はできない)。

 

ともあれ、そうした語が日本に流入し、カタカナ語となって、受肉という言葉と結びついたのだ。すなわち、バーチャル受肉とは、少々ややこしいが、「仮想」空間(「バーチャル」リアリティ)上において、「事実上」(「バーチャル」に)受肉する行為である。

 

ここまで踏まえた上で、今度は受肉の方を探ってみたい。

 

受肉――耳慣れない表現だ。この言葉にピンとくるのは、キリスト教徒の方だろう。神が人の形を取った、その瞬間あるいは行為のことを受肉と表現する。キリスト教に限らず、基本的に、神(あるいはカミでも霊でもよいが)は肉眼で捉えることができない。神の側が私たちに見えるようはからってくださらないと、どうにもならないのだ。だから、神は私たちに分かりやすいよう、もっぱら人の姿を取って現れる。本来肉体に縛られない存在が肉を纏う、これが受肉という言葉の基本的なコンセプトだ。

 

翻って、バーチャル受肉はどうだろうか。バーチャル受肉を通して、あるバーチャルYouTuberは、初めて概念から具体的な姿形を伴うようになる。文字どおり架空の存在だった、名前だけを持つバーチャルYouTuberは、このバーチャル受肉を経て、ようやく本当に「バーチャル」な=ほぼ実在している存在になることができるのだ。

 

面白いのは、そのバーチャルYouTuberの器のことをなんと言うか、という問題の方だ。一般に、これを人はアバターと呼ぶ。もちろん、どのような図像にするか、ということに焦点を合わせるのであれば、モデリング、と表現することもあるだろうが、そのモデリングが動く様まで視野に入れるのであれば、基本的にアバターと呼称する。

 

このアバターも、映画を引き合いに出すまでもなく、もちろん英語が由来だ。もう一度、OEDの力を頼ってみよう。

 

1. Hindu mythology. The descent form of a deity to the earth in an incarnate form.

 

2. Manifestation in human form; incarnation.

 

(Oxford English Dictionary Online. Last View: 7/16/2018)

 

もとはヒンドゥー教の用語で、神の姿(形態)の一つ。そこから派生して、「incarnation」の意味を持つ。この「incarnation」の最も一般的な邦訳こそ、「受肉」なのである。

 

サイバースペースにおけるavatarの意味(すなわち、カタカナ語アバターの意味)は、2008年になるまでOEDに追加されなかった(オンライン版では今でもdraft addition扱い)。Avatarという語を耳にして、英語圏の人々が真っ先に思い浮かべる意味は、上記のようなものだったということだ。

 

アバターそのものに受肉のニュアンスがあるのであれば、いくら日本人が元の意味を十分に咀嚼することなく単語を移入していたにせよ、私たちはもっと早くにバーチャル受肉という言葉を創造し得ていたはずだ。広く言えば、たとえば任天堂のMiiもアバターの範疇に入る上、それ以外にもアバターを作る機会は、ネットに精通しているわけでもない一般人にすらかなりあったはずだ。しかし実際には、バーチャル受肉という言葉は、正確にいつどこで発生したかこそ不明だが、少なくともつい最近になるまで人々の耳にそう入るものではなかった。これはなぜだろうか。

 

ここに、incarnationではなく、受肉という言葉が日本人に与えるイメージというものが現れている気がする。カタカナ表記のインカネーションではなく受肉という言葉で表現されると、私たちはどうしても肉という文字を意識してしまう(正確には、incarnationやincarnateにもcarne(a)の部分に肉の意味が入っているのだが、それを意識する機会は日本人はもとよりネイティブでもあまりないだろう)。

 

そう、肉なのである。これまでのアバターは、いかにアバター=「化身」であるといっても、所詮肉を感じさせてくれるような代物ではなかった。大抵は、頭部が極端に肥大化した、特定の動作を繰り返し行うだけのものだった。アバターがどう行動するか観察するゲームだった「トモダチコレクション」ですら、私たちに肉の実感を与えてくれることはない。

 

バーチャルYouTuberは、あるいは発展しつつあるVR空間での「アバター」は、つまるところそれまでのアバターと決定的に異なるところがあった、ということなのだろう。たとえば、モーションキャプチャーを用いた即時性・即興性の高い身体表現。あるいは、それを用いた生放送という形式でのコミュニケーション。さらに言えば、それを前提としたモデリング。そうした全てが、見る側にも操作する側にも肉の実感を与えているからこそ、私たちはバーチャル受肉という表現を作り受け入れることができた。

 

これまでのアバターに特徴的だった、プログラムされた行為、ではなく、より私たちの身体の動きという行為を反映できるプログラム、そして、そのプログラムによる出力が可能とする新しくて馴染み深いコミュニケーションこそが、今のバーチャルYouTuberを際立たせているのではなかろうか。

 

実際には、自らの思ったとおりに、自然に動かせるという側面だけでは、肉を語り切ることはできない。そこに、触覚というものが入ってこなければ、肉は肉たり得ない。その意味で、すなわち、仮想空間上で触れた何かを生身の肉体に還元することができないという意味で、今のアバターにはまだバーチャル受肉という言葉が相応しいのかもしれない。しかし、今後、そうした技術が生まれ、真の意味で「バーチャルな」=「事実上の」肉体が仮想空間上に存在できるようになった時、私たちはそれをバーチャル受肉と表現しているだろうか。あるいは、神が私たちの指先に宿ったかの如く、単に「受肉」と言い表すのだろうか。その答えは、今の私たちが知り得るところではない。

 

しかし、どちらにせよ、今の私たちの手元には、バーチャル受肉という言葉がある。まだ、機材やノウハウの観点から、世間一般の人が気軽にバーチャル受肉できるわけではない。しかし、技術として確立した以上、それらが下流へと降りてくるのも時間の問題だろう。そうなった時――すなわち、アバターが単なる記号の集積から肉を想起させる何かとなって蔓延るようになった時、私たちはそれが引き起こす変化をどう受け入れるのだろうか。もう、そんなことを大真面目に考えなくてはならない場所=未来までvery nearな地点へと、技術も私たちの世界も到達してしまった。今の私たちはバーチャル受肉しつつある存在だ、と自覚することが肝要なのだと感じる。

 

冒頭で書いた、私のため息。それは、技術の進歩の早さと、来たる未来の双方に思いを馳せた上で出てきた、多少は前向きなものだった。

 

出典

PANORA(2018). 【速報】バーチャルYouTuberが4000人突破 チャンネル登録者数は1270万人、動画再生数は7億2千万回に。 URLは上記リンク参照. 最終閲覧火2018年7月16日.

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