Mashiro Chronicle

長文をまとめる練習中 割となんでも書く雑食派

未来と過去を繋ぐもの【『未来ラジオと人工鳩』プレイ感想<ネタバレなし>】

ネタバレ有りの感想については、ラプラシアンが公式サイトで感想募集する可能性を考えて保留中。募集しないようならこちらに書く予定。なお、作品の公式サイトに投稿する場合は別名義を使うので、私の感想を読んでみたいという酔狂な方は文体を手掛かりに探してください。

 


 

作品概要

・科学技術がある種のクライシスを経験した後の世界を舞台のSF

・ラジオを皮切りに「繋がり」を取り戻そうと画策する主人公を描く

・個別ルートに比して前半の共通ルートの密度が凄まじい

 

ここがオススメ!

・簡潔かつよく練られたシナリオ

・肉感がある完成度の高いCG

・作り込まれた演出要素:背景から効果音まで

 


 

ラプラシアンの第3作『未来ラジオと人工鳩』(以下『未来ラジオ』)は、90年代以降のポップカルチャーの流れを引き継いだ、正統派の作品だ。相変わらず多い下ネタやキャッチ―な広告に目を奪われてしまいがちだが、中身は堅実かつ真面目な作りになっている。

 

まず、「未来」という言葉が引っかかる。「未来」という言葉は、「今」の私たちを映しだす鏡のようなものだ。常に「今」と比較される「未来」は、私たちに否が応でも時間の存在を意識させる。

 

ポップカルチャーの世界で時間にまつわるSFと言われれば、まず思いつくのはタイムリープだ。主人公が幾度も幾度も時間を飛び越え、物語の核心を掴むべく奔走するタイムループものは、もちろんそれ以前にも傑作が多く存在したジャンルではあるが、こと90年代以降のポップカルチャーにおいては花形である。

 

だが、ポップカルチャーと時間、あるいは「未来」については、もう一つ別のアプローチが存在する。いや、根本的なところでは同じアイディアを共有しているのだが、時間遡行に頼らない形で「未来」を捉えようとする作品群が、確かにある。そうした作品は、「未来」を不確かなものと考える。「過去」は変えられないが、「未来」は定まっていない――その狭間である「今」を生きるキャラクターを描くことで、時間という何かに迫ろうとする姿勢もまた、ポップカルチャーの中に根を張っている。

 

『未来ラジオ』は、結論から言えば、何度も何度も同じ時間を彷徨うことはない。時間は不可逆的なものだ、という姿勢を貫いている。しかし、不可逆だからと言って、「未来」は定まったものである、すなわち、「運命」は存在する、と主張しているわけでもない。

 

ラプラシアンは、話が複雑になり過ぎるのを嫌ったのか、それとも冗長になることを厭ったのか、『未来ラジオ』を簡潔な作品に仕立て上げている。時間を扱う作品は、とりわけタイムリープを導入すると、長大になりがちだ。その意味で、予想を裏切ってきた作品である。

 

だからと言って、『未来ラジオ』は簡単な答えを描いたわけではない。不必要な要素をギリギリまでそぎ落としたかのようにすら感じられる。時間を根幹に据えている作品の最もシンプルな姿を取って、『未来ラジオ』は私たちに、不確実な「未来」を確定させる、「今」まさに行われている選択と決断、その有り様を伝えてくれる。

 

それでいて、時間軸をさらったプロットだけを読まされているかのように感じないのは流石と言うべきだろう。キャラクターの描き分けは丁寧に行われている。義妹の水雪は、年下としての役割を自認しながら、それでも年相応の幼さをぶつけてくる。どうしても年上の存在を切り離して成長することができない、妹という特殊な属性を持つが故の葛藤が、とりわけ共通ルートを中心に綿密に描かれる。飛行機事故の被害者という共通項を鍵に接近する秋奈は、もはや戻らない「過去」の残り香をそれでも抱きしめて生きていかなければならない、人間の弱さを受け入れた存在だ。人間にとって「過去」はどのような形で残るものなのか、秋奈は知っている。だからこそ主人公のために骨を折る彼女の背中は、儚くも強い。孤高の女性にして男に心を開いたことのない椿姫は、明晰な頭脳を持ちながら、実は秋奈ほど割り切れてはいない。椿姫は、たとえるなら夜のような女性だ。気位が高く、ツンと張った空気を放ってはいるが、アンビバレントさを隠しきれていない。柔らかな光があれば、その存在を昼間より際立たせてしまうような複雑な心の内が、椿姫を通り一遍の美人から区別している。

 

かぐやの性格や描かれ方について言及しようとすると、作品の最も重要な部分に触れることになる。一言でまとめるならば、彼女はまだ「生きる」ということの重みを知らない。それを知っていくプロセスが、誰よりも丁寧に描かれる。生きることとは死ぬことではない――彼女がそう気付く物語であるという側面も、『未来ラジオ』は持っている。だからこそ、『未来ラジオ』はただのSFではなくなったのだ。

 

シナリオと一体になった他の演出要素もいい。背景は、その質感をコロコロと変化させることで、私たちプレイヤーに『未来ラジオ』の世界がいかに不均一で脆いか教えてくれる。音響面も研ぎ澄まされている――音楽だけではなく、効果音もまた『未来ラジオ』の大切な構成要素の一つだ。シナリオに強度があるからこそ、シンプルな味付けが映える。その静けさが、ラプラシアンの自信の現れであり、こだわりなのだろう。

 

椿姫は言う。この物語は、最初からかぐやとその母・伊耶那の物語だったのだ、と。主人公も同調する。実際には、かぐやにかぐやと伊耶那の物語を実感させる物語であり、それを画策しようとする人々の執念と愛を描いた物語だ。「未来」は不確実なものだが、一つだけ確かなことがある――死んでしまっては、その人の「未来」はやって来ない。「未来」を享受してもらうためには、生きていてもらわなくては困るのである。そして、その「未来」を確定させる決断が「今」行われているのだとすれば、その決断こそ「生きる」という行為の本質なのかもしれない。かぐやはどのように「生きる」という行為を知るのか、主人公はいかに「生きる」のか、その他のヒロインも、主人公やかぐやの「生きる」ための営みをどう受け止め、どう支え、どう反発するのか。おそらくは、主人公が欲した形とは別の、「生き」ていく上での繋がりが、確かにそこにはある。その繋がりを、まっすぐな創作態度で描き切った快作だ。ぜひプレイして欲しい。