Mashiro Chronicle

長文をまとめる練習中 割となんでも書く雑食派

まどそふとはどこから来たのか、まどそふとは何者か、まどそふとはどこへ行くのか【『ラズベリーキューブ』プレイ感想<ネタバレなし>】

なるほど、確かに「昨日までの分は帳消し」なのだ。主人公にとっても、ヒロインにとっても。

 

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作品概要

・キャット―さが光るポップなイメージそのままの王道学園ラブコメ

・実験的な要素も若干含んだ、まどそふとの今後を占う一本

 

ここがオススメ!

・映像、音楽共に最高峰の仕上がりを見せるOP

・ポップさを随所に追求したデザインと色遣い

・ヒロインとのだだ甘な生活

 

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前作『ワガママハイスペック』の評判のおかげだろうか、まどそふとの最新作『ラズベリーキューブ』はかなりの注目を集めたようだ。そもそも、メーカーやブランドにとってみれば注目を集められたことそれ自体が成功なのだが、実際のところ、プレイヤーにとってはそうでもない。プレイヤーの関心事は、ひとえにそれが自分の求めていた作品だったか、の一点に尽きる。

 

注目作というのは、良くも悪くも尖った感想が溢れかえりがちだ。『ラズベリーキューブ』もご多分に漏れずその一例で、下の方を見ればキリがないほど酷評が並んでいる。とはいえ、そうした感想の大半はどこかピントがずれている――これは仕方の無いことで、人間はどうしても、事前に予想していたもの、期待していたものとの比較でものを評価をしてしまう側面があるからだ。最初に印象ありき、という形で感想を書き始めると、あとはどうしてもその印象の理由探しに終始してしまう。繰り返すが、これはどうしようもないところがある。

 

というわけで、ここでは筆者もまた、そのような個人の印象に引っ張られた感想に終始してみようと思う。『ラズベリーキューブ』は、少なくともそこまで悪く言われる筋合いはない、むしろ好意的に捉えられるゲームだ、という、極めていい方向の印象を前提とした感想に。

 

 

この作品をプレイする前に、前作『ワガママハイスペック』をさらりとプレイし、さらにまどそふとのこれまでの作品のホームページをチェックしてみて欲しい。その上で、『ラズベリーキューブ』のホームページを覗いてみると、ある違いに気が付くことができる。『ワガママハイスペック』までは、明示的で分かりやすい柱が一本通っていたのに対し、『ラズベリーキューブ』には、それがなかなか見当たらない。どういうことかというと、たとえば「ワガママ」にせよ「ナマイキ」にせよ、前作まではヒロインの属性を一つ固めて、その属性に対して多角的なアプローチを取っている。これに比べ、『ラズベリーキューブ』は、そうしたものがない。『ラズベリーキューブ』のコンセプトとして書かれているのは、「鬱展開を排除」だとか「王道であり定番のテーマ」だとか、そうした文言に留まる。それらは、作品づくりの上ではコンセプトとして扱えるものの、ユーザーに対してアピールする「コンセプト」としては、ややパンチが弱い。そもそも、ホームページで書かれていることは、そのほとんどがまどそふとのこれまでの作品にも言えることだ。

 

逆にいうと、『ラズベリーキューブ』はまどそふと的なものの再生産に挑戦した作品だということだ。まどそふとが初めて世にアダルトゲームを問うたのが2013年。それからほぼ1年周期でなんらかの作品を出してきた。ファンディスクを含めればこれまでに積み上げてきたゲームの数は4本。少しずつ、「まどそふと的な何か」というイメージが、ブランド内にもユーザー間にも構築されてきたタイミングなのではなかろうか。

 

そう考えると、『ラズベリーキューブ』は確かにまどそふと的だ。頭身が低く、頭と目が大きいキュートな絵柄。明度が高い色彩。キャラの外見だけでなく、タイトルロゴの意匠などにもそうした意識は如実に現れている。まさにポップそのもののようなゲームデザインだ。

 

これが最も押し出されていたのが、おそらく2018年のベストであろうOPだ。全体を通して眩しさが伝わってくるムービーは、垂れ流しにしているだけで部屋まで明るくしてくれそうだ。『ラズベリーキューブ』というタイトルの見せ方一つとってもポップな感覚を一切捨てていない。これに、ドラムやベースといったリズムパートの楽器がガンガン曲を押し進めていく音楽が加わる。サウンドにまでこだわりが及んだこの楽曲は、一度耳にすれば確実にフレーズを覚えてしまうような、暴力的とすら言えるメロディラインすら備えている。まさにキャッチ―な仕上がりになったと言えるだろう。

 

こんな明るさ満点のOPを見せられては、自然とシナリオにも光が満ち溢れているのだろうと、プレイヤーの中で想像が膨らんでいくものだ。実際、シナリオには緩急こそあれど、決定的に全てが暗転する瞬間はない。むしろ、主人公やヒロインが難局にある時すら、これは確実にハッピーエンドになる、という確信を覚えてしまう。実際、全てハッピーエンドであることは強調に値する。

 

シナリオの山(いや、谷)の作り方について、「不良に頼り過ぎ」との意見がネット上ではちらほら見られるが、これは流石に先入観に支配され過ぎというべきで、実際には「不良」という言葉でまとめるのは難しいサブキャラクターが多い。こうした発言をする人たちの発言をよくよく覗いてみると、実際には「雑なシリアス」とでも表現すべきだろうか、とにかく一部のシリアス展開を忌避しているがために、サブキャラの設定云々についてあまり考察を入れないまま印象先行で文章を作ってしまっていることが分かる。冒頭に書いたように、これはある程度仕方のないことで、むしろ感想なのであれば印象先行も十分に許容されるべきである。一応、彼らがやり玉にあげるようなシリアス要素をある程度一般化しておくと、「ヒロインが大病を患う」などの死が絡んだ要素と、「唐突にヤンキー軍団に絡まれる」などの「外部」いや内部と融和する見込みのない何かの急な来襲、この二点を挙げることができる(それ以外にもあるだろう)。おそらく、まどそふとが「排除」した「鬱展開」というのは、前者を中心としたシナリオのはずだ。前作『ワガハイ』の段階でも、たとえば兎亜ルートではそれなりのシリアス要素が最後にあった(その是非はここでは問わない)。実際問題、いわゆるバカゲーかよほど抜きゲーに接近したゲームでもない限り、日常ものを謳うタイトルでも高確率でシリアス展開の一つや二つはある。これには、イチャイチャだけでシナリオを〆ることが極めて難しいという制作側の都合もあるだろう(萌え抜きゲーの大家であるま~まれぇどですらシリアス要素はある)。シリアス展開に敏感なユーザーがこれらすべてにいちいち目くじらを立てては(流石に)いないことを考えると、おそらくどこかにラインがあって、それを超えるとダメ(というより不快判定)、といった構図になっているのだろうと推察される。

 

閑話休題。『ラズベリーキューブ』のシナリオについて、「不良に頼り過ぎ」というのは誤解である。ただ、シナリオに多様性があったかというとそうでもない、というのが本当のところで、おそらくその似通ったシナリオの構図もまたユーザーの誤解を招いた要因なのではと察する。この作品はヒロインどうしの絡みが少ないのだが、そのせいだろうか、主人公とヒロインが二人で外部の問題や敵と対立する、という展開が多く、それにサブキャラクターがどう反応するか、というところまで似ているのだ。これについても一概に批判できるところではないのだが、指摘しておく価値はあるので、ここに短くまとめておく。

 

シナリオの是非はあれど、ヒロインの魅力を引き出すことに関しては流石まどそふとと言うべきで、ヒロインが時に積極的に、時に控えめに主人公に迫ってきてくれる、その一部始終を堪能するだけで相当な満足感が得られる。特に、みなとルートで彼女が見せる様々な側面は本当に飽きさせてくれない。彼女の実家に帰省した時のノスタルジックかつしんみりとした雰囲気から普段の元気いっぱいな姿まで、すべてこの目に焼き付いていて離れない。付き合い始めてからの豹変ぶりで言えば瑠莉だろうか――おそらく、OPは瑠莉と主人公のことを歌っているのだろう。もちろん、美琴にしても悠にしても、それぞれがきちんとかわいさを伝えにきてくれる。こんなに嬉しいことはない。

 

ホームページで謳ったとおり、かわいいというよりキュートな絵柄で、ポップな印象を持たせながら、きちんとこちらの胸をときめかせてくれる、その意味で言えば、『ラズベリーキューブ』もまた、まどそふとの正統な血脈を受け継ぐ作品なのだ。共通ルートにマップシステムを導入する、そもそもその共通ルート自体非常に短い、などの実験的な要素を取り入れてはいるが、それらが今後どのようにブラッシュアップされていくのか、あるいは廃止されるのかはまだ未知数だ。まどそふと的なもののひとまずの決算を済ませつつ、こうした要素を取り入れてみようとする姿勢は、ブランドとして非常に前向きで好感が持てる。今までのまどそふとはどこにいて、今はどこに立っているのか。そして、これからどこへ行くのか。なんとなく、まどそふとの目指すものについて考えさせられもする作品だったように思う。とにかく、キャラゲー好きならマストプレイだ。