Mashiro Chronicle

長文をまとめる練習中 割となんでも書く雑食派

ナナシスでライブ素人童貞から脱却した話 【ナナシス5thアニバーサリーライブ感想】

去る2019年7月13日、「Tokyo 7th シスターズ」の「4th Anniversary Live -SEASON OF LOVE-」に一般参加してきた。

 

一般参加――ライブ界隈では聞きなれない表現だろう。まさか私も、この言葉をライブカルチャーで使うハメになるとは思っていなかった。要するに、ライブに客としてお邪魔した、という意味である。

 

こう書けば、タイトルの「素人童貞」の意味も、自ずと分かっていただけると思う。今まで私は、ライブなんて運営側でしか関わったことがなく、客としてライブに行ったことが無かったのだ。なるほど確かに、ライブに行ったことがあるかと聞かれれば、答えは「YES」である。しかし、如何せん立場が特殊過ぎる。まさしくナナシスのライブは、真の意味で私の「初めての相手」だったと言えるだろう。

 


 

今回ナナシスのライブに参加することになったのは、知人が連番のチケットを余らせていたからだった。その知人といえば、ナナシスこそ私が紹介したが、アニソン系のライブカルチャーに関しては基本的に滅法強く、色んな意味で初参戦になる私にとって、相方として申し分なかった。

 

しかし、ライブというものは、どういう風に参加すべきものなのだろう。私にとっては、まずそこから疑問だった。そりゃそうだろう。今までライブやイベントに参加する時には、「忘れちゃいけないのは1にスタッフ通行証。2はスタッフ通行証で、3はスタッフ資料」なんて言っていた人間である。このまま一般参加しては、一般客の入り口がどっちか、文字どおり右も左も分からない事態に陥りかねない。

 

とりあえず、ナナシスが最近リリースした曲を中心に、ライブでかかりそうな曲を「予習」してみる。しかし、この「予習」という概念もいまいちよく掴めない。普通の人は、どこまでパーカッションやベースの音を聴き込んでいるのか? それをどれくらい、あのペンライトの振りに取り入れているのか? 分からないなりに、ひたすらヘビロテする毎日だった。

 

相方たる知人に相談すると、彼は一笑した。

 

「ライブなんて、最悪チケットと体調整えるための何かがあれば大丈夫ですよ」

 

彼のこの言葉だけは信用ならなかった。こちらはライブ初参加、あちらは2週に1回はライブやLVに参加する剛の者。差は歴然としている。しかし、相方と行動予定は合わせなければならない。不安に駆られながら、当日までほとんど用意らしい用意をしなかった。

 

当日、結局ペンライトすらろくに用意していなかった私は、相方に断りを入れ、合流する前に物販へ向かった。最初はペンライトだけを買うつもりだったが、手元を確認すると、現金は諭吉しか持ち合わせていない。これは面倒だろうなあ、と直感した。面倒というのは、物販のレジ係が、お釣りを用意するのが大変、という意味だ。ペンライトの値段は3,500円。一万円札を出せば、お釣りは6,500円だ。紙幣が2枚に、硬貨が1枚。ライブ運営の経験から言って、これはレジに優しくない買い物である。

 

こんなところで無駄に「ライブ慣れ」を見せつけてもなあ、などと自嘲しながら、結局、ペンライトにパンフレットとタオルを併せて購入した。合計金額は9,000円。これならお釣りは紙幣1枚で済む。

 

……と、いいことをした、なんて気分でレジへ向かうまではよかった。いざ会計に至ると、そこにはクレカ決済用の端末が設置されているではないか。そもそも現金で支払うこと自体「イケてない」という現実を見せつけられたのだった。挙句、注文票の記入箇所を間違えており、レジ係を無駄に混乱させる始末。なんともしまらない出だしになってしまった。やっぱり自分からリードしたことのない素人童貞はダメ、という話である。

 

しまらない、といえば、何もかもしまらない感じだった。海浜幕張駅で相方と合流するタイミングで、数滴の水が天から降ってきた。とはいえ、気持ちいいくらいに雨がザーザー降ってくるわけでもない。梅雨の終わりの、あの「落ちてきそう」な空模様だ。「落ちてきそう」という表現には、実際には落ちてきてくれない恨めしさが入っているのではないか。いつだったか、私はそう考えたことがあった。

 

天気は曇り、季節は夏の一歩手前で足踏みしている。加えて、私の体調も優れていなかった。数週間前に引いた風邪は完治していたが、数日前、ひょんな怪我から化膿した右手の親指は、まさに痛みのピークを迎えていた。梅雨どきは、菌が繁殖しやすい。そういう恨みつらみも含めて、なかなかすっきりしない空を見上げながら、私は相方と共に、幕張メッセの人混みへと吸い込まれていった。

 


 

会場に入って、まず声を上げたのは相方の方だった。

 

「むっちゃいい席ですよ。ステージも画面も全部見渡せますね」

 

当選していた席は、比較的前めで、ブロックの隅っこに当たる場所にあった。確かに、メインステージも、中央の舞台も、スクリーンも、全て視野に収まる。初めてにしてはよい席に恵まれたなあ、などと思っていると、隣の相方がもう一度口を開いた。

 

「列と列の間隔が広いですね。珍しいです」

 

彼が言うには、座席の列と列の間が広く、足元にゆとりがあるという。私は、関わったライブがオルスタだったので、席のことはよく知らなかった。席にゆとりがある、ということは、人数を詰めていない、ということだ。主催側の懐事情を考えれば、ライブに来てくれる客は多ければ多いほどいいので、これは確かに珍しい。しばらく相方と議論したが、なかなか結論は出なかった。言えるのは、少なくともこれは、チケットが売れなかったから慌てて座席の数を減らしたような列の組み方ではないこと、それから、ライブカルチャーが所謂サブカルに根付いて結構な時間が経ち、ユーザーエクスペリエンスの向上や、新しい形のライブを模索する時期に入ったのではないか、ということ、その2点だ。

 

新しい形のライブ、という話題になったところで、噂のランティス祭についても多少話し合った。色々言われた企画だが、個人的には、成功失敗は抜きにして、チャレンジとしては面白かったのでは、と思っていた。相方は笑って、

 

「僕、あれは実質最前だったので、いい思い出しかないんですよね」

 

ライブの体験には、時の運が絡む。そのことを頭で理解したのだった。

 

そうこうしているうちに、ナナシスライブ御馴染みの総支配人による謎セトリBGMも静まり、いよいよ開演の時が近づいた(余談だが、なぜかマイケル・ジャクソンの「Black or White」が流れていたことだけ、やたら頭に残っている)。照明が落ち、まず聞こえてきたのは、メモルによるライブ中の注意だった。私としては、この段階からまず面食らった。ライブの始まりをどうするかはいつだって悩みのタネなので、とりあえず何も想定しないで入場したところ、想像以上に思ってもない人の声が聞こえてきた、という次第である。

 

その後、777☆SISTERSの紹介ムービーが流れる。相方が隣で、「これはいいですね」と呟いた。お生憎様、私はその時、どういう態度でいればいいのか分からず、半分呆然としていた。ペンライトは箱から出してあったが、さりとて何色でどういう風に振ればいいのかさっぱり把握できず、完全に置物状態。隣を見れば、相方はちゃっかり、用意してきていた汎用ペンライトを掲げていた。言わんこっちゃない、何が「ライブはチケットとプラスアルファだけでいい」だ。改めて自分の手元を見る。ハートをあしらったライブ専売のペンライトが、周りの光だけを反射して、僅かに明るくなっていた。

 

そういうわけだったので、1曲目の「FUNBARE☆RUNNER」が始まった頃は完全に棒立ちだった。かろうじて、地蔵を取り繕うことには成功していたかもしれない。幸運だったのは、この辺りで銀テープ発射の爆音が入り、浮遊していた意識が現実へと引き戻されたことだった。ふと周りを見渡せば、皆想像していたより思い思いにペンライトを振っている。身体の動かし方も人それぞれで、これならなんとかやっていけそうかな、という気にはなった。しかし、あと一押し決め手が足りなかったのも事実で、私は、今度こそちゃんとした地蔵として、今しばらく周りの雑音に呑まれる身であることを選んだ。

 

そんな私の後押しをしてくれたのは、やはりと言うべきか、ステージの上でスポットライトを浴びる演者たちだった。いや、正確に言うと、ステージの上にはいなかったのだが。地蔵を決め込んでいた私は、トロッコに乗り移る彼女たちを見上げながら、トロッコは人力なんだ……などと意味の分からないことに気を取られていた。そのままぼーっと上を向いていたところ、その一瞬は唐突に訪れたのだった。

 

だ - み な と 視 線 が あ っ た ! ?

 

え? と思ったのは一瞬だった。そう、ぼーっとしていたため気が付かなかったが、私がいた席は、ちょうどトロッコ動線に対して最前列で、演者から相当近い場所だったのだ。なんという神席であろうか。件の「時の運」というのはこんなところで表に出てくるのか。身体が打ち震えるほどの衝撃だった。

 

混乱しきった私の頭は、ついに思考をやめ、身体は衝動のままペンライトを掴み取った。膿んだ右手の親指に鋭い痛みが1回走り、すぐに静まる。代わりに、ふっとハートの輪郭が露わになって、その内側からピンクの光を漏らしだした。おもちゃでよくある、魔法少女のステッキのようにも見えた。それでもいいと思った。私は光るペンライトを宙にかざして、ようやく、だーみなと視線が交差したという事実を呑み込んだ。ペンライトに灯ったちゃちでちっぽけな光でも、それこそが、だーみなが振り撒き、私が呼応した愛の形のようにも思えて、私はひと時ばかり、無邪気な愛の天使、幼き魔法少女であることを選んだのだった。

 

そこから先はフルスロットルだったと思う。だーみながカジカの自己紹介の時に手でハートを作っていたのは印象的だったが、逆に言うとまともに覚えているのはそこくらいで、とにかく興奮していた。777☆SISTERSがI'll be backなんて言いながら(言ってない)退場し、代わってCi+LUSが登場すると、私のテンションは一段と高まった。この辺りから、ああ、ライブとは言うけれど、普段音楽を聴いている時のように身体を動かしていればいいんだな、と、ようやく頭も理解し始めた。語弊のないように付け加えておくと、私は普段からライブの時並みに身体を動かしながら音楽を堪能しているわけではない。多分そうじゃないと思う。どうだろう……ひょっとしたら動かしてるかもしれないが、要は、いつもどおりでいいんだ、と理解したというのが大切だった。そういうことだ。

 

因みに神席だったので山崎エリイさんからも視線をもらった。それだけでチケ代物販費込み20,000円の価値はあったかと。ライブ初心者なので、許してね?

 


 

Ci+LUSの2人による次の演者の呼び込みは、一瞬どのグループのことを指しているのか分からなかった。Ci+LUSは、「今日新しいスタートを切る先輩ユニット」と表現していた。周りは皆分かっていたようで、声を揃えてLe☆S☆Caと叫んでいた。なるほどLe☆S☆Caか。私は納得しながら、少しばかり不安な気持ちを抱え込んだ。

 

新しいスタート云々というのは、Le☆S☆Caの3人のうち、2人の声優が交代になったことを指す。折しも、某バーチャルYouTuberの中の人交代劇がよくも悪くも話題を集めており、キャラと声優の関係について考えこんでいたので、私の脳裏に不安がよぎったのだった。Le☆S☆Caは、私がナナシスのゲームを始めた頃にデビューした思い入れあるユニットで、私の単推しもLe☆S☆Caだった。幸か不幸か、私が一番応援していたキャラは1/3の確率を引いて(?)声優の交代を免れていたが、それだけに余計、私自身がLe☆S☆Caとどう向き合えばいいのか分からなかった。

 

私は呼び込みの残響が残るうちにペンライトを黄色に変えると、その時の到来に対して身構えた。流れてきたのは「YELLOW」の特徴的なイントロだった。隣の相方が、「衣装にひまわりついてますよ!」と興奮しながら話しかけてきた。私は、「『ひまわりのストーリー』はやるんだろうなあ」くらいに思いながら、ステージ上の3人を眺めていた。

 

3人が緊張しているのは明らかだった。明らかに声のピッチが上ずっている。しかも3人とも。誰かが上ずっているのを他の人がフォローしにいったのだろうか、と感じられるほどだった。ピッチ自体は次の曲には正常に戻っていたが、それにしてもバランスが悪い。そもそもホノカ役の植田ひかるは女声の低音域で特に声量が小さいので、新たにレナ役になった飯塚麻結の大きな声がやたら響く。

 

それでも、私はいつの間にか泣いていた。

 

MCに入り、自己紹介が始まる。Le☆S☆Caのセオリーどおり、キョーコとレナが先に紹介を済ませる。トリはホノカだ。私は振り続けていたペンライトを下げて、胸の前で抱え込んだ。ホノカにカメラが向く。彼女は僅かに涙を滲ませながら、ホノカとして自己紹介をこなした。私はまた泣いた。

 

終演後のことだが、海浜幕張駅へ向かう大行列の途中で、見知らぬ女性2人組の、「あそこでホノカ役の人が泣いちゃうのはね」という評を耳にした。同性の意見は手厳しいな――私は、苦笑せざるを得なかった。実のところ、多分、その2人組の意見は間違っていない。というより、正しい。あの場でホノカとして、Le☆S☆Caの全てを知るただ1人の存在としての「正解」は、泣かないことだっただろう。

 

それでも、私はホノカを、植田ひかるを責める気にはなれなかった。思うに、正しい人間が正しくない人間と衝突を起こした時や、正しくあろうとした人間が正しさを貫けなかった時に、物語は生まれてくるのではないか。物語は、私たちが能動的に生むものではなく、そういう時に自然と生まれてくるもので、私たちはそれを受け止めるに過ぎないのではないか。ライブ後のまとまらない思考の中、ぼんやりとそんなことを考えた。

 

Le☆S☆Caの3人が正しくあろうとしたことは、その後の彼女たちのパフォーマンスが示している。MCでキョーコが「とにかく、私が・・上杉・ウエバス・キョーコ」と言い放ったのが印象的だ。

 

Le☆S☆Caは、最後の曲の前にもMCを入れた。私は、中央に立つ彼女たちを直視できず、下げたペンライトばかり見ていた。暗い足元に、微かな黄色の光が、ハートの器から漏れていた。愛によって灯されたこの光を、Le☆S☆Caにどう示せばいいか、まだ分からなかった。これからのLe☆S☆Caを応援する、なんて態度は、とてもではないが取れなかった。それでも、最後の曲が「ミツバチ」だと分かると、私はもう一度、ペンライトを天に掲げた。曰く、ミツバチは「あなたの息遣い」を運んできて、「大切なあなたに届」ける「便り」にもなってくれるという。私は、多分、Le☆S☆Caを応援できるくらい、どっしり構えられる人間ではない。それでも、小さなミツバチくらいにはなれるかもしれない。ひっそりと、そう思った。愛の形というにはあまりにしょうもない、と笑いたいなら、笑ってくれればいいと思う。私の愛は、少なくともその時は、ペンライトに宿っていた。

 

壇上の3人は、果たして何匹のミツバチを見かけたのだろうか。それは分からない。観客の視点から分かるのは、ただ1つ。3人は、当代最高のアニソン作曲家である、UNISON SQUARE GARDEN田淵智也が作った難曲を、確かに歌いきった。相変わらず音量の均衡は取れていないし、たまにピッチは上ずっていたが、彼女たちが正しくあろうとしたことは間違いないだろう。

 


 

Le☆S☆Caの退場とその次のグループの入場時は、Le☆S☆Caではなく、次のグループがMCを担当した。Le☆S☆Caは明らかに緊張していたから、その方がよかったと思う。振り返ってみれば、開幕後の一番場が温まった状態で、さらにCi+LUSという爆弾を場に投げ込んだのも、Le☆S☆Caがどうなるか読めなかったからかもしれない。いずれにせよ、全ての選択はよい方向に働いていた。

 

会場全体がなんとなくしんみりとしていたものの、次のWITCH NUMBER 4のパフォーマンスはその空気を一変させるくらいのパワーを持っていたので、本当にこの順番でよかったと思う。「星屑☆シーカー」の直前、トロッコへ移動しながらだーみなが、「トロッコに乗ってみんなのところへ……行くよっ」とMCをした。もちろん、「行くよっ」は曲の出だしに合わせたものだ。完璧なタイミングでパーカッションが入り、私はつい飛び上がってしまった。恥ずかしっ、と思いながら周りを見ると、皆ジャンプ後の着地姿勢になっていたので、まあそういうもんだよね、と自分を納得させた。

 

※ライブ中に跳びはねるのは危険なので控えましょう。

 

SiSHの盛り上げ方もよかった。「さよならレイニーレイディ」はまさに今の時期に聴きたい曲だし、その後の「プレシャス・セトラ」もライブ映えする曲で、まさに今日この日のためのセトリだった。

 

その後は、Le☆S☆Caとは別の意味で「今日がスタート」の七花少女の出番。そもそもの持ち曲数がまだ少ない分、MCはたっぷり時間を取っていた。初登場の割にかなり落ち着いていたのが印象的だったので、後で相方に聞いてみると、曰く、メンバーの半分くらいは相当場慣れしているので、本当の意味での新人のフォローに回れたのが大きかったのではないか、ということらしい。いずれにせよ、堂々としていたのは好印象で、これからも見守っていきたい限りである。

 

お次ははる☆じか(ちいさな)の番。この(ちいさな)を抜いてはいけない、というのはライブ中に得た知識の1つである。このはる☆じか(ちいさな)はとにかく衣装が可愛かった。いや、美味しそうだった。正直どちらも同じ感情を表していると思う。ケーキをあしらった衣装は、余すところなく「可愛い」を体現していた。彼女たち2人がフリフリしている姿は、果たして18歳未満にお見せできるか悩むくらい魅力的で、私の中で未だに映像がこびりついている。

 

KARAKURIの声が響いたのは、そんなこんなで可愛い演者たちがまだステージ上に残っている時だった。KARAKURIは、私の中で謎の1つであり続けていた。なんと言っても、双子設定で声優は1人なのに、一体どうやってライブをするのか、というところが不思議でならなかったのだ。

 

その答えは至ってシンプルで、「1人でやる」だった。いや、色々と関心させられて、私はこのライブだけでKARAKURIのファンになった。「Winning Day」を披露しながら1人でメインステージ奥の階段を下りてくる秋奈は、間違いなくこのライブ中誰よりも目立っていた。振り付けとカメラの切り替え方にも工夫があって、ちゃんと2人いるように見えたのもポイントが高い。KARAKURIは、今回のライブでただ1(2)人、単身で会場の耳目を独占したのだ。

 

カッコいいな……なんて月並みな感想でいっぱいになっていたところにぶちこまれたのは、秋奈の……その、なんと言うべきか、極めて独創的なMCだった。あそこまでいくと逆に味があるのでいいと思う、うん。少なくとも、他の人に卸せるものではない逸材であることはよく伝わった。念のためもう一度書いておくが、KARAKURIは今ライブのベストパフォーマンスだった。そのことは間違いない。

 

パフォーマンスの完成度という意味でKARAKURIがベストなら、観客にもたらした驚きという意味であれば、次のNi+CORAがナンバーワンだっただろう。スース役不在の中、代役を務めたのはなんとCi+LUSのマコト。しかもばっちり決まっている。ムスビ役のMCによると、この組み合わせが決定した後のレッスンの段階で、マコトは既にNi+CORAの振り付けを覚えてきていたらしい。凄まじい熱意と言うよりない。一方の私は、再度耳にすることができたマコトの「お兄ちゃん」で発狂しかけていた。

 

次の出番だったサンボンリボンは、唯一アルバム「H-A-J-I-M-A-L-B-U-M-!!」から楽曲を披露した(「Clover×Clover」)。今回のライブは、かなり曲数が詰まっていた割に、「Are You Ready~」以降から大半の楽曲を取っていた点が特徴的だったと言えよう。私個人的には「Re: Longing for summer」の曲も聴きたかったが、それはまた次の機会に。

 

以下は脳天が吹き飛んでいたのであまり覚えていない。4UとThe QUEEN of PURPLEのロック系2グループが連続で来たので、一旦(身体の疲れで)微妙に下がっていた私のテンションは再びハイになってしまったのだった。このあたり、裏声で叫びすぎて、何をしていたのか本当に覚えていない。あ、演者が何かやった、という意味では、長縄まりあが自転車に乗ったのは覚えている。長縄まりあはエアドラムも上手くて、そこにはかなり驚いた。

 

後でセトリを眺めながら相方と振り返って、ようやく自分があの時何を考えていたか、僅かに思い返すことができた。驚いたのは4Uの1曲目で、「TREAT OR TREAT?」だった。それで驚きすぎたのでインパクトは薄いが、2曲目の「Crazy Girl's Beat」も相当に意表を突かれた。私の本命は「Lucky☆Lucky」で、相方の本命は「メロディーフラッグ」だった。まあ、いずれにせよ盛り上がったのは間違いない。

 

じゃあThe QUEEN of PURPLEはどうだったか、というと、これは残念ながらどうやっても思い出せなかった。Hey-Yoと叫んだりなんだりして、楽しかったのは間違いない。ただ、頼みの綱の相方が、

 

「僕はQoPの単独ライブで沼にハマったんでよく覚えてないです」

 

などと言うので、これはもうお手上げである。

 


 

〆はI shall returnな777☆SISTERS。曲自体は概ね予想どおりだった。とはいえ、アンコール前最後の曲だった「ハルカゼ~You were here~」はA席の辺りから崩れ落ちる声が聞こえるくらい、万感の想いが観客の胸に去来した。

 

アンコールは全員で「STAY☆GOLD」。相方は後に、

 

「AXiSのエピソード中ずっと雨が降っていたじゃないですか。それで、最後の最後に晴れる。少なくとも僕にとっては、その演出が印象的でした。そう考えると、AXiSのエピソードが完結した直後のライブのアンコール曲が、水たまりの虹云々言う『STAY☆GOLD』だったのは構成の妙なんじゃないでしょうか」

 

という見解を披露している。私は、運営としては賭けだったかもしれない、と思った。というもの、この時期は梅雨明けしているかどうか微妙だからだ。ナナシスにとって、夏が重要な季節であることは間違いない。「SEASON OF LOVE」がいつを指すかは微妙なところだが、私は、今回のセトリは全体的に夏の始まりを意識しているように思われたので、この「SEASON」は初夏かもしれない、と考えた。そうなると、この時期の開催を選んだ運営としては、梅雨が明けているかどうか賭けるしかない。

 

いや、そうではない、「SEASON OF LOVE」はもう少し含みを持っている、という主張も成立する。パンフレットの冒頭、総支配人が「SEASON OF LOVE」に至るまでの道のりをまとめている。それを深読みするのであれば、「SEASON OF LOVE」は、愛の季節は、季節なんて訳ながら、季節でもなんでもないかもしれない。このライブに至るまでに大きく成長したナナシスがついに見つけた何かが「LOVE」であり、「SEASON OF LOVE」は、そんな直近の、或いはこれからのナナシスのことを指しているのかもしれない。

 

いずれにせよ、初夏を狙ったものであることは、やはりそのパンフレットの文章からも読み取れる。曰く、AXiSのエピソードのエピローグで流れているBGMは「初夏の手紙」だという。少なくとも総支配人は、わざわざ「追伸」でそれを明らかにしている。ということは、今回のライブでやたら強調された紙飛行機は、「初夏の手紙」で間違いない。というより、このライブそのものが、「初夏の手紙」だろう。そうなると、「SEASON OF LOVE」は、初夏の意味合いを、少なくとも含んでいる、というのが、私の解釈である。

 

しかし、「初夏の手紙」とは、これまた何か思わせぶりな追伸である。思い返せば、今回のセトリは、直接的にAXiSのエンディングだった777☆SISTERSの「NATSUKAGE-夏陰-」にせよ、もう少し広く取って「ハルカゼ~You were here~」にせよ、或いは手紙ということならLe☆S☆Caの「ミツバチ」にせよ、ナナシスのシナリオの内外で起きた変化や別れを、どことなくにじませている。長い人生の中、ほんの一瞬交わった人々が、お互いの変化を受け止める。そんな曲たちだ。

 

翻って、私の方に届いた「初夏の手紙」は、何をもたらしてくれたのだろうか。会場を去り、海浜幕張駅の近くで相方と食事をしたその後の帰路、ふと空を見上げた。相変わらず空はどんよりとしていて、夜の暗さをぼかしていた。

 

しかしそのうち、雨が細々と、はっきりと降り始めた。私にとっては、それで十分だった。

 

愛を受け取った私の身に、すぐ何か変化が起きるわけではない。変化といえば、ライブは一瞬の非日常だった。しかし、それが過ぎれば、またいつもどおりの毎日が待っている。それでも、私は元気だし、ほんの少しの灯りを心に灯しながら、いつもより目線を高くして歩いている。天気だって、恨めしい曇りから本降りになり、そのうち、季節の大きな流れの中で、ゆっくりと、初夏の日差しへと移ろいゆくだろう。「SEASON OF LOVE」という手紙は、むしろ、私にほんの少しの変化を与えてくれた。その「ほんの少し」を与える何かこそが愛なのかもしれない、という含みを示しながら。

 

右手を見やる。傷絆を巻いた親指は、元のように痛んでいた。この痛みも、いつかは治っていくだろう。変わりゆく毎日の、今しばらくの道しるべとしてみるのも悪くない。そんな、青く未熟で、若々しいことを久しぶりに思った帰り道だった。

 

 

(了)