Mashiro Chronicle

長文をまとめる練習中 割となんでも書く雑食派

(あるいは)失われた時を求めて: 『ライザのアトリエ2 ~失われた伝承と秘密の妖精~』プレイ感想〈微ネタバレあり〉

このエントリは、2020年12月3日にコーエーテクモ(ガストブランド)から発売された、『ライザのアトリエ2 ~失われた伝承と秘密の妖精~』(以下『ライザ2』)のプレイ感想だ。未プレイの人にも極力配慮しているが、どうしてもシナリオの中身に触れざるを得ない箇所もある。できる限りネタバレだと分からない形で書いていくが、読む際にはその点ご理解いただきたい。

 


 

君を離さない。

たとえ、この力を失っても――

 

いいキャッチコピーだ。これが、

 

ばいばいアトリエ。

この冒険を、ずっと忘れない。

 

などという怪物級の謳い文句を引っ提げてきた作品の続編でなければ、もっとずっとインパクトを感じていただろう。

 

『ライザ2』は、スマッシュヒットを飛ばした『ライザのアトリエ ~常闇の女王と秘密の隠れ家~』(以下『ライザ(初代)』)の続編として世に出た都合、様々な点で前作と比較される宿命を背負っていた。その最も大きなところが、おそらくこのキャッチコピーに関するあれこれだろう。

 

実際、『ライザ(初代)』のキャッチコピーは、ビデオゲームに付けられるものとしてはおよそ満点だった。キャッチコピーに求められる要素は多々あるが、「ターゲットとしている層に届く」といった一般論や、ウェブページ訪問数など計量可能な要素ではなく、今日のビデオゲームに付けられるキャッチコピーの大まかな方針として大事なところは、このくらいだろう。

 

  • SNSで流し見をされても、ティザー動画やスクリーンショットと共にぱっと目を惹く
  • ビデオゲームのなんらかの要素や売りどころを要約できている
  • プレイした後にプレイヤーが拡散したくなる

 

もちろん、街頭広告用なのかネット広告用なのか、はたまた作品全体のために用意されたものなのかで、重視されることは随分変わる。しかし、恣意性を持ってこの3つを並べたのには理由がある。というのも、これは別の表現で代替可能だからだ。

 

  • 短いが意表を突く言葉の並び
  • 設計/開発コンセプトの活用
  • プレイしなければ分からない伏線やギミックとの繋がり

 

こう書いてみれば、『ライザ(初代)』のキャッチコピーがなぜ優れていたか、言葉で説明できるだろう。まず、「ばいばいアトリエ。」という言葉の並びがいい。シリーズお決まりの要素を逆方向に活用していて、前半部だけでもキャッチコピーとして十分に戦っていける。ひらがなとカタカナの使い分けも絶妙で、声に出しても文字にしても大丈夫だ。

 

だが、『ライザ(初代)』がそのキャッチコピーと共にもてはやされたのは、後ろ2つの要素をきっちり組み込んでいたからではなかろうか。『ライザ(初代)』は、その開発コンセプトが、おそらくいわゆる「エモさ」に近い概念にあったと思われる。たとえば、ホームページのイントロダクションにはこう書かれている。

 

大人になる前の彼女たちが、

自分にとって

大切なものを見つける物語。

 

ライザのアトリエ ~常闇の女王と秘密の隠れ家~ URL:

https://www.gamecity.ne.jp/atelier/ryza/ 最終閲覧2020年12月11日

 

「大人になる前」=思春期の、それも特に「彼女たち」=少女をメインに、「大切なものを見つける物語」を展開する。これは、近年の特に(少女あるいは美少女)ポップカルチャーで有力な手法だ。ひと昔前なら、こういう説明は小学生向けの映画に使われていたかもしれない。ただ最近は、もう少し、たとえば死語になりつつある「空気系」に近い作品や、一部百合アニメで使われる例をよく見かける。

 

こういう作品の感想を書く時、最近は「エモい」という便利な表現を使いがちだ。だいたい、この「エモさ」というのは、十代の男女の変化、彼女たちが感じる時間の流れ、出会いと別れ、ふれ合いと訣別、そういうものを追体験する時に浮かび上がってくる。

 

そういう考えに接近している作品のキャッチコピーが「ばいばい」「冒険」「忘れない」なのだ。大変濃縮されている。

 

その上、このキャッチコピーには、「『ライザのアトリエ』に付けられたものだったにも関わらず、主人公たるライザのために用意されたものではなかった」という隠し味が仕込まれていた。これはむしろ、ライザ以外のキャラクターが放つことで、ライザとその周りの人々の抱いた感情をプレイヤーに実感させる。オタクというのは、こういう仕込みが好きで好きでたまらない生き物なのだ。これはもう、キャッチコピー勝ちと言って差し支えない。

 

翻って、続編の『ライザ2』はどうだったか。

 

君を離さない。

たとえ、この力を失っても――

 

これも、短い割に目を惹くいいキャッチコピーだ。アトリエシリーズに多少なりとも興味を持っている人が「あれ?」と思う要素に溢れている。前作が「出会いと別れ」を主題に据えていたにも関わらず、続編は「離さない」ときた。その上、「力を失う」だ。よもやライザが錬金術のスキルを失うわけがない。それではゲームが崩壊してしまう。いや、もしかしてその「よもや」なのか。妄想は止まらない。

 

実際にはどうだったか。結論から言えば、『ライザ2』は、おそらく『ライザ(初代)』の正統な続編であるという点が相当意識されていた。それは、コンセプトに限らず、それを実現する方法という面でもそうであったし、ゲームシステムにおける種々の要素のブラッシュアップという面でも言えることだ。

 

『ライザ2』で焦点になるのも、『ライザ(初代)』とある面で同様に、時間だった。しかし、それに対するアプローチを若干変えている。『ライザ2』でまず語られるのは、前作から作中で経過した3年という時間だ。物語は、『ライザ(初代)』から3年、王都で学問を究めるタオから、島にただ一人残ったライザへ招待状が送られるところから始まる。この手紙――古代の遺跡とその伝承を求めるタオの要請――によって、止まっていた歯車が回り出す。

 

3年あれば、人間は変わる。長らく会っていなかった人にとって、時間とは空白だ。その空白の間に、何があったのか。どうして今こんな姿になっているのか。タオもライザも、あるいは3年前の冒険を知る他の人も、お互いに空白を抱えている。その空白を埋めるべく、どこか焦りを見せながら、キャラクターたちは、太古の歴史を刻み込んだはずの、伝承という〈失われた時間の痕跡〉を共に探し始める。

 

その空白の間、キャラクターたちは何をしていたのか。ライザにとっては、試練と困難の日々だったかもしれない。錬金術の研究は行き詰まり、島では先生の真似事をする立場になった。ただ暴れていればいいだけの日々は去り、実家の農作業も、島での役回りも、全てこなさなければならなくなった。それでも、この3年の間に感じた成長もあっただろう。物語冒頭から広々としたマップを駆け回り、やたら質のいい錬金武器を生み出す続編のライザは、島の中で「こっちじゃない」「あっちじゃない」と言っていた3年前のライザとはまるで別人だ。

 

そんなライザに昔そのままの関係を求めるクラウディアの姿が生々しい。クラウディアにとってただ一人の親友であったライザとは、もう3年も会っていない。その上、この後また共に生きていける保証も全く無い。クラウディアは、ずっと、3年前の冒険、その続きを求めていた。商売人としてのクラウディアではなく、ライザの親友としてのクラウディアにとって、この3年間は〈失われた時〉そのものだっただろう。その3年間を取り戻すべく、そして、3年()を取り戻すべく、クラウディアは再びライザの冒険に加わる。

 

他のキャラクターも、クラウディアほどではないにせよ、やはり空白を埋めたがっている。戦闘では、3年前よりもよほど連携が取れるようになった。分かりやすくなった戦闘システムでは、過剰なほどにアクションオーダー(連携要求)が上手くいく。スキルを使えば、ぐっと動きが良くなったカメラが、次から次へと放たれる連携攻撃を捉え、画面を彩る。敵を一体倒せば、すぐさま次のターゲットを取り囲む。その上、無茶なアクションオーダーが姿を消した。まるで、3年前のキャラクターたちは、相手のことなど考えず、ただひたすら自分の都合ばかり優先させていた、と言わんばかりだ。

 

でき過ぎなほど息ぴったりの前作キャラクターたちを、遠巻きに見つめる双眸がある。パトリツィアだ。ライザとタオの間柄を疑い、クラウディアとライザの懐旧に巻き込まれるパトリツィアは、そこにいることそれ自体によって、ライザたちに3年という時間の経過を突き付ける。しかし同時に、プレイヤーは、パトリツィアの目を通じて、ライザら前作キャラクターたちが〈失われた時〉を取り戻しているという事実を知るのだ。パトリツィアがライザたちの会話に加われないという状況が、変わらなかった、あるいは取り戻された友情を、他の何よりもずっと分かりやすく示している。

 

こうして〈失われた時〉をひと時ばかり取り戻したライザたちは、やがて、〈失われた時間の痕跡〉を集めきり、再び異界の大物と対峙する。これを打ち倒したライザに訪れる、ビタースウィートな決断の瞬間。ライザはまた、取り戻したはずの〈時〉を手放していく。これが私の成長だと言わんばかりに。

 

そしてこここそが、おそらく多くの人が困惑したであろう要素だった。

 

君を離さない。

たとえ、この力を失っても――

 

このキャッチコピーは、ライザのこうした軌跡とどこかで矛盾している。ライザは、何かを「離さなかった」わけではないし、彼女の持つ全ての「力を失った」わけでもない。これは混乱する人もいるだろう。

 

しかし、『ライザ(初代)』を思い出して欲しい。前作のキャッチコピーは、別にライザ本人のことを言っているわけではなかった。むしろ、『ライザ(初代)』は、ライザ以外のキャラクターたちのことを指していたのである。『ライザのアトリエ』は、決してライザただ一人のための物語ではない。その実、

 

大人になる前の彼女たちが、

自分にとって

大切なものを見つける物語。

 

ライザのアトリエ ~常闇の女王と秘密の隠れ家~ URL:

https://www.gamecity.ne.jp/atelier/ryza/ 最終閲覧2020年12月11日

 

「彼女『たち』」とちゃんと言っているのである。

 

その意味で、『ライザ2』は正しく『ライザ(初代)』の後継者だった。前作に比べ、物語がより複線的になっている。ライザ以外のキャラクターにまつわるサブエピソードは大幅にボリュームアップし、あと一つ匙加減を間違えれば群像劇になるというところまで膨らんだ。

 

クリアしたプレイヤーの混乱は、単に、キャッチコピーを回収する要素、キャッチコピーを回収し得るキャラクターの正体が結末で分かりやすく示されなかった、という事情で発生したに過ぎない。そしておそらく、その分かりにくさは、開発側が意図的に用意したものだ。

 

確かに、『ライザ2』には、回収されていない要素がいくつかある。物語の進行上、描ききらなくても良いものであることは確かなのだが、しかしそうは言うものの、たとえばフィーという〈秘密の妖精〉が、結局異界の生物である以上になんだったのか、それは仄めかされる程度でしか判明していない。さらに、顔見せ程度でしか出てきていないキャラクターも、湖の底にいる。繰り返すが、こうしたキャラクターたちについては、物語の進行上描かずともなんとかなる要素は何から何までカットしてある。同じことだが、物語に必要な最低限の要素は全て描かれている。

 

私の中でよぎった直感は、「この『ライザ2』はトリロジーの第2作かもしれない」だ。この直感は、エンディング後のフィーの描写でより強くなった。あの時、フィーはどこにいたのか。それはプレイヤーに一切提示されない。つまり、それは少なくとも、『ライザ2』を(・・・・・・・)プレイ(・・・)している(・・・・)段階の(・・・)プレイヤーには(・・・・・・・)必要のない要素だということだ。逆に、たとえそうであっても、フィーがああいう風に動いている、という描写は、『ライザ2』に入れる必要があった。それは物語の進行上(・・・)必要な最低限の要素に含まれていたのである。これがたとえば、フィーが異界で元気にやっている描写だったならば、それは物語の後始末(・・・)として必要な要素だった。しかし、そもそも、『ライザ(初代)』の背景を借りるならともかく、『ライザ2』本編中、実は異界の風景自体一切出てこない。あれほど異界の話をしておいて、ゼロ。これは大変に不思議なことだ。

 

何より、ライザリン・シュタウトには、クーケン島をなんとかするという大仕事が残っている。このままでは、ライザも、開発スタッフも、空島を嘯いたどこぞの漫画の登場人物と同じだ。幸いなことに、アトリエシリーズは3作を基本構成としてきたから、まだ1本余裕がある。半年後、『ライザのアトリエ3』(『ライザ3』)が発表されても、私はたぶん、驚かないだろう。嬉しくは思うが。

 

もしかすると、この『ライザ2』のキャッチコピーは、『ライザ3』が発売されたその時、十全に回収されるのかもしれない。ならば、『ライザ2』の時点での分かりにくさにも納得がいく。

 

 

 

――果たしてそうだろうか。

 

いや、そうではない。未来に可能性を投げかけずとも、『ライザ2』の中で、キャッチコピーは回収されているのではないか。

 

そう。いるのである。姿も形も無いというのに、キャッチコピーを完全に回収し得るキャラクターが。そのキャラクターは、「力」どころか姿も形もいずれ失ってしまうと分かっていながら、一度は(・・・)失った(・・・)はずの(・・・)《時間》を取り戻すことで、「君」を離さなかったのである。『ライザ2』は、「失われた伝承」を取り戻す作業の中で、それを確かに、ライザへ、プレイヤーへと伝えようとしている。

 

キャッチコピーは、少なくとも確実に、『ライザ2』の内部でも回収されきっていた。これはなかなか愉快な話だ。ここに気が付くと、『ライザ2』の物語に仕込まれた複線性が本当はどこに向かっていたのかも分かる。『ライザ2』は、3年前の冒険を経験したキャラクターたちと、3年前からの変化を象徴するキャラクターたちの「今」によって複線になっていただけではなく、時空間が完全に分断された誰かによっても複線が敷かれていたのである。

 

いずれにせよ、この答え合わせは、多分、近い将来できるだろう。『ライザ2』だけで完結しているという態度ならば、『ライザ2』に対するフォローは蛇足でしかない。そうでないならば、きっとどこかで、またライザの物語が始まる。その答えが示されるまでは、DLCを楽しんでおこうか。こんな形で物語に深みが増した、と喜んでいるのは、きっと、私だけではないに違いない。

 

 

(了)

 

詞について考える待降節2020【楽曲オタクAdvent Calendar 2020企画】

このエントリは、なまおじさん(@namaozi)主催、【楽曲オタクAdvent Calendar 2020】用の記事だ。わたし個人としては2019に続き2度目の参加となる。

 

2020年の締めくくりに、優れた楽曲オタクたちが次から次へと音楽を紹介してくれる。音楽に興味がある人もそうでない人も、よければ下のリンクから他の記事も読んでみて欲しい。

 

    --楽曲オタクAdvent Calendar 2020(公式)

    

adventar.org

 

 

Index

 


 

0 (self-)Introduction

 

まずは、去年と同じように懺悔から入りたい。

 

実を言うと、わたしは楽曲オタクではない。楽曲オタクとはなんぞや――難しい問題だ。正直、自称できるほど自信があれば、誰でも楽曲オタクなのだろう。問題は、わたしにその自信が無いというところにある。

 

わたしが去年、このAdvent Calendarに参加した理由は、知己のめがねこ(@srngs_meganeko)が記事を執筆していたからだった。今年、そのめがねこは、掛川さん(@eomg_)の同人サークル、魚座アシンメトリーの新譜に作詞で参加した。

 

    --「side by side」/魚座アシンメトリー

 

pisc-n-asym.booth.pm

 

ちなみに、Advent Calendar企画の主催であるなまおじさんは作曲で参加。掛川さんご本人も逆に、Advent Calendar企画へ2年続けて記事を卸している。

 

彼らは音楽を聴いている量も作っている量も桁違いだ。わたしの中で楽曲オタクとはこういう人たちのことを指す。

 

翻って、わたしはあまり音楽を聴いていないし、主体性を持って音楽活動に取り組んでいるわけでもない。そういうわけで――少なくともわたし自身のうちにおいて――わたしは楽曲オタクではない。

 

ただ、わたしは某中堅ビジュアルノベル開発企業にアルバイトとして勤めていて、都合、BGMやボーカル曲の制作/製作などにわずかながら関わっている。そういう人によって書かれた記事が1本や2本あってもいいだろう、という甘い考えのもと、2020年もこのAdvent Calendar企画への参加を決めたのだった。

 

というわけで、去年と同じく、〈音楽を《作る》〉〈音楽を《聴く》〉の二大要素に、〈音楽を《使う》〉というものを加え、これら3つの視座を場面場面で交代させながら話を進めていきたい。去年の【サントラ】に代わるテーマは、【詞】。自分で言うのもなんだが、極めて恣意的なテーマ設定だ。メジャーどころが多い割に統一性の無い選曲……のように見えて実は、ということである。わたしの氏素性を知らない皆さんでも楽しんでもらえる記事にはなっていると思うので、そこはご安心を。

 

相変わらず前置きが長い。では、そろそろ本編へ*1

 


 

Ⅰ 音楽を《作る》──詞の具体、詞の抽象

 

1 そばかす/JUDY AND MARY

 

 

その昔、こんなことを思った。どうして世のレビューには、作曲や作詞の技法に踏み込んだものが少ないのだろう、と。実際には、単にわたしがそういうライナーノーツや解説に触れていなかっただけなのだが、しかし、世間一般の人向けに書かれた文章に限ってみると、やはり技術に焦点を当てたものが少ない気もする。とりわけ詞については、詳しい解説は詳しい解説で、どこか〈細かい〉技術の話から遠ざかっている印象もある。

 

最近ようやく、どうして少ないのか、どうして世間の目から離れたところにしかそういう〈メモ書き〉が残されていないのか、その理由の一つがなんとなくわかってきた。世間の人は、技術で音楽を聴かない。彼らは、もっと直感的で――作り手にとっては残酷なことだが――素直に音楽と接する。そういう人にとって、技術の話は小難しい上に本質的でないように感じられて、音楽体験の邪魔にしかならない。

 

翻って、作っている側からすると、その手の〈細かい〉技術の話はもうとっくの昔に飲み干してしまっている。〈わかっている〉ことをいちいち口に出すのは面倒くさい。よほど見事な出来でないとそこに言及する意味がないし、そこまで見事なら、少なくとも同業者間であれば、言わなくても通じる。結果として、特に詞については、なかなか技術的な話を見かけないのであった*2

 

その意味で、JUDY AND MARYの詞もやはり、〈細かい〉技術の話があまり為されない。実際、JUDY AND MARYの詞において、そういう〈細かい〉技術の話題は重箱の隅でしかないと思う。

 

では、JUDY AND MARYの美味しいところはどこなのか。わからない。手探りだ。JUDY AND MARYは参照点になりがちなアーティストで、「ジュディマリっぽくお願い」「ジュディマリっぽく作りました」という案件は世に溢れている。だが、作曲や編曲の方はさておき、詞について、〈ジュディマリっぽい〉の合意は雰囲気で形成されている。しかも大抵の場合、実は全員違う解釈をしていました、というオチが待ち構えている。

 

頻繁に指摘されるのは、〈女性的〉というところ。しかし、〈女性的〉とはなんなのか、そこに踏み込んだ文章はあまり見ない。説明しづらいのだ。この「そばかす」も、凄く(女の子らしくもありつつ)〈女性的〉だ。わたしもそう思う。一方で、〈女性的〉とはなんなのか、それは説明できない。

 

言われてみれば、まだ〈女の子らしい〉の方がわかりやすい気もする。ただ、これにしても、ぬいぐるみだとか角砂糖だとか、そういうイメージの単語を並べればなんとかなる話ではない。それっぽくはなるのだけれど。ここで躓いていては、〈女性的〉などおし広げて説明できるはずもない。

 

困った。1曲目からこの惨状だ。仕方なく、聴いていて一番〈女性的〉だと思った部分を書き並べてみた。

 

おもいきりあけた左耳のピアスには ねぇ

笑えない エピソード

 

そばかす/JUDY AND MARY Lyrics: YUKI

 

この、近すぎる身体へのまなざし。これこそが、その辺に転がっているオスには逆立ちしても書けない詞なのかもしれない。あり得ないほど近い、具体的なエピソードが、普遍を獲得している。この奇跡が、〈女性的〉なるものの源なのだろうか。いや、もしかしたらこれは、〈詞〉のもたらす妙の源かもしれない。朧気ながら、そんなことを思った。

 

***

 

2 Champagne Supernova/Oasis*3

 

 

日本に生まれた日本語遣いが英語で詞を書く。これはもう、それだけで一大事業だ。言うまでもないことだが、日本語と英語はぜんぜん違う。びっくりするほど違うのだ。ちょっと英語ができるからと調子に乗って英語詞を書くと、全く上手くいかない。学校では教えてくれないトラップがそこら中にあって、しかも、英語ネイティブスピーカーはそのトラップを意図的に踏み抜いてくることすらある。日本で生まれ育ったわたしに、そんな細かな押し引きのミソは全くわからない。

 

どういう洋楽を聴いたら英語の詞がわかるようになるのか――よく聞かれる質問だが、そんなものわたしが知りたいくらいだ。母音の長短、強勢、リンキング……別に、英語の詞は脚韻だけでできているわけではない。脚韻を無視していいわけでもない。

 

こんなことをうっすら思いながら、Oasisの2ndを聴いていたら、ふとある考えがよぎった。世間体で言えば兄弟仲が凄まじく、日本では狭い意味での音楽やサウンドの話ばかりされるユニットだが、実はOasisの詞は正統派かもしれない。

 

Wake up the dawn and ask her why

A dreamer dreams she never dies

Wipe that tear away now from your eye

 

Champagne Supernova/Oasis Lyrics: GALLAGHER NOEL THOMAS

 

響きが群を抜いていい。メロディのリズムパターン――弱拍と強拍の組み合わせ――に言葉が上手く乗っている。

 

だけれどもやはり、Oasisの詞の魅力は、この響きの裏側にある、普通の人より数段高いところで歌っているくせに、世界を270度くらい捻った角度から見ているような言葉の並びだと思う。わたしとあなた、その双方を冷めた言葉と熱い文脈で捉えきっている。抽象さ加減も絶妙だ。引用箇所に限らず、内容面でのレトリックは豪快だが、どこかで具体に繋がっている。

 

そんなことを職場で言ったら、上司から、「いやOasisの魅力は曲だよ。詞なんて、英語だから何言ってるかわかんないし」と返されたのだった。英語に限らず、詞とは案外、その程度のものだ。

 

それでもわたしは、Oasisの詞の、このひねくれた根性が好きで好きでたまらない。1990年代もてはやされた〈クール〉な英国音楽の神髄は、ここにあるのではないか。なんと言っても、そのひねくれたものの見方は、時に誰かを救いあげるかもしれないのだ。3rdアルバム収録の「Stand By Me」を聴いていたとき、そう思った。

 

 

There is one thing I can never give you

My heart will never be your home

 

So what's the matter with you?

Sing me something new

Don't you know, the cold and wind and rain don't know

They only seem to come and go away

 

Stand By Me/Oasis Lyrics: GALLAGHER NOEL THOMAS

 


 

Ⅱ 音楽を《聴く》──流行とわたし

 

3 私たちはまだその春を知らない/AiRBLUE

 

 

2020年は、ライブコンテンツ、ライブカルチャーにとって不幸な1年だった。春先からライブというライブが中止になり、アニメやゲームの世界、あるいはその周りで確立しつつあったライブ文化はひとまずの休止を余儀なくされた。

 

このシングル「beautiful tomorrow」は、コロナウィルスの流行拡大が本格的に騒がれ始めた頃に出たものだ。メディアミックス企画『CUE!』、そのメインラインを構成する1枚でもある。

 

当初、表題曲「beautiful tomorrow」をなぞる形で、5月に「Hello, beautiful tomorrow!」なるライブイベントを開催予定だった。わたしも、そのチケット争奪戦に備えるべく、このCDを縦積みした。残念ながらこのイベントは中止になったが、感染症騒ぎが小休止となった11月、代替ライブイベント「See you everyday」が川崎で開催されたのだった。 

 

このシングルのリリース当初、『CUE!』の追っかけからいわゆる楽曲オタクまで、その注目は表題曲よりもむしろカップリング「私たちはまだその春を知らない」の方に注がれていた。楽曲オタクが注目したということは、たぶん、凄く流行に敏感な曲づくりだったのだろう。詞の方も、この数年ほどなんとなく耳にする、〈エモさ〉=別離、特に若い頃の時間への意識(あるいは無意識)にきっちり焦点が合っている。

 

いつか一人一人になる時に

どんな色が 見えるのだろう

君が急に 私に 聞いた

 

私たちはまだその春を知らない/AiRBLUE Lyrics: SHILO

 

そもそも『CUE!』自体、新人声優を集めたコンテンツということを除けば、セールスポイントはこの〈エモさ〉への意識だった。実際、わたしもそこに惹かれて始めた……わけではないが、追い続けた理由の一つはそこにある。

 

しかし、正直な話をすると、この曲を初めて聴いたとき、わたしは困惑した。これがライブで流れたとき、わたしがどんな反応をするのか、さっぱり想像できなかったからだ。曲の〈エモさ〉ばかりが際立っていて、ライブに向かないのではないか。そんな不安がちらついた。

 

季節は流れ、この曲がライブで初めてかかったのは、春どころか秋の終わりだった。明らかに5月のライブで掛けることを念頭に置いた曲ではあっただけに、11月のライブでは流せないのではないか、と思っていたのだが、『CUE!』の「See you everyday」といえば、そんな問題が吹き飛んでしまうような――観客の想定はおろか、期待すら遥かに超える熱量で作りこまれた――とんでもない代物と化していた。

 

結論を言ってしまえば、前述の不安は杞憂だったということだ。いや、11月のライブには確かに向いていなかった。ありあまる熱量が「私たちはまだその春を知らない」を全く別の曲へと変貌させてしまったからだ。それに、延期に延期を重ねた末のライブという特別感が、ライブそれ自体を物語へと仕立て上げてしまった結果、幸か不幸か、ライブの中にこもる〈エモさ〉が楽曲単体のそれを軽々越えてしまったのである。さらにさらに、夜公演でのTVアニメ化発表パンチだ。これで「私たちはまだその春を知らない」一つの感想を長々と書け、と言う方が無理な相談だろう。

 

それくらい、ライブの熱量はすさまじかった。一番驚いたのは、Bird*4の「にこにこワクワク 最高潮!」。

 

 

CD音源版を聴いた人は、別の意味で驚くかもしれない。これのどこに熱さがあって、どこにライブ向きの要素があるのか。むしろ(・・・)その疑問の(・・・・・)うちにこそ(・・・・・)、わたしのひっくり返った理由がある。げに、ライブカルチャーは素晴らしい。

 

***

 

4 ヒトリゴトClariS

 

 

わたしはだいたい流行から周回遅れなので、何かを聴くのは大抵ブームが過ぎ去ってから。2020年も、今さらFlipper's Guitarの1stを聴き直してみたり(まさしく英語で詞を作る大事業!)、なんとか話題についていこうと「A LONG VACATION」を流してみたり*5、なんとも言えない微妙な流行の追いかけ方をしている。

 

実を言うと、声優ソングなど広義アニソン*6についても似たような感じで、「23時の春雷少女」*7を聴いたのはリリースされてから3ヶ月後のことだった。

 

ClariSも、本当ならそうなる運命だったのだが、何があるかわからないもので、様々な因果の糸が絡み合った結果、なんとシングル「アリシア/シグナル」はリリース直後に聴いたのだった。

 

 

これには、ちょうどその頃、たまたま『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』なるTVアニメを見ていたから、という理由もある。 

 

そのアニメのEDだったClariSの「アリシア」、そしてアニメそれ自体に対しては、同じ感想を抱いた。これは、2010年代に芽生えたなにがしかの総決算なのではなかろうか。新しい曲、新しいアニメに触れていて、流行を――こう書いてみると、わたしがこの言葉を使うのもなかなかおかしな話だが――そう、流行をちゃんと意識しているな、とも思うのに、どこか懐かしい気もする。

 

実際、流行を追っているだけでなく、「アリシア」は詞としてもチャレンジングな曲だ。

 

夜の路地裏 静かな公園

駅の雑踏 心の隙間

 

アリシアClariS Lyrics: 毛蟹

 

連想ゲーム的にものを並べ立てていく詞は案外リスキーで、積極的に採りたい作戦ではない。そもそも、詞どころか詩の世界でも難しい技法だ。歌詞の世界でぱっと思いつくところでは、坂本真綾の「うちゅうひこうしのうた」あたりが成功例だろうか。それでも、「なんでこんなものが並んでいるのかわからない」という意見は耳にしたことがある*8

 

 

閑話休題。流行にも敏感で、チャレンジ精神にも富んだこの曲を聴いて、わたしはどうして、懐かしさを覚えたのだろう。これも感覚的な話で、理由なんてどこにもないのだが、歌詞を眺めていて、感じ入るものがなかったわけではない。

 

流れて行く前に

消えて行く前に

知らない未来があるのなら

 

誰かの描いた

シナリオじゃなくて

手を繋いだままで進める

私たちの道 見つけたい

 

アリシアClariS Lyrics: 毛蟹

 

なんとなく、このメタ設定を前提にしたような詞に、2010年代、その始まりを告げた『魔法少女まどか☆マギカ』本編、そしてそのアイディアの源流としての2000年代美少女ゲームカルチャー、さらに1990年代、あるいはそれ以前のTVアニメを連想したのかもしれない。

 

そのとき、では、美少女的な内容ではなく、今「アリシア」を歌っているClariSそれ自体の源流はどこにあるのだろう、と思って手探りに聴きあさった結果辿り着いたのが、「ヒトリゴト」だった。

 

2010年代、流行に乗り、栄華を極めたようにも思われたClariSだったが、ご存じのとおり、実際にはメンバーの入れ替わりなど色々あった。その意味で、今のClariSとしては、この辺りが一つ、何かの源だったのではないだろうか。

 

ヒトリゴトだよ 恥ずかしいこと

聞かないでよね

キミノコトだよ でもその先は

言わないけどね

 

ヒトリゴトClariS Lyrics: ケリー

 

この詞の素晴らしいところは抑制にある。冒頭「ヒトリゴトだよ」「キミノコトだよ」とメロディラインに対してほぼ完璧な音の当て方をした割に、これはここ1回ぽっきりしか出てこない。そもそも「ヒトリゴト」という言葉自体、曲中もう1ヶ所でしか使わないのだ。これは聴かせ方の妙。この詞はまさしく「ヒトリゴト」だった。

 

しかし、知名度の面でも楽曲の評価のされ方の面でも「ヒトリゴト」が有力なのは間違いないとして、なぜわたしがこの曲に引っかかったのか、という疑問は残っている。これも、理由はわからない話だ。ひょっとしたら、わたしの中で、『エロマンガ先生*9がやはり、2010年代の一つの節目のように思われたからかもしれない。『月刊少女野崎くん』『NEW GAME!』あたりから派生したアニメ版『エロマンガ先生』のライン*10と、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』から連なるライトノベル版『エロマンガ先生』のライン*11が交差しているのも、そう感じた理由の1つだろう。

 

こうして並べてみると、ClariSというのは、まさに2010年代の寵児だった。証人と言ってみてもいいかもしれない。そしてその2010年代というのは、それ以前から繋がる流れの中にあってのものだった。流行に疎いわたしがClariSだけは聴いていた、という事実も、そう思うと、なんとなく示唆深いもののような気がしてくる。気がしているだけ、というのがオチ。

 


 

Ⅲ 音楽を《使う》──音楽に触れる時・場

 

5 だんご3兄弟/速水けんたろう茂森あゆみ*12

 

music.apple.com

 

世に誰もが知っていると喧伝される曲は数多あれども、この曲ほど本当に誰でも彼でも知っている曲は少ないだろう。今さら何か新しい発見があったわけでもなく、「凄いね」としか言いようがない。

 

だんごとタンゴを掛けたというのは有名な逸話だ。いや、そもそもこの発想自体非凡なのだが、語り尽くされていてやはり長々書くべき話ではない。書けることがあるとすれば、それはわたしの、極めて個人的な感覚でしかない*13

 

この曲に初めて触れたのは、年齢がバレるネタだが、幼い時分だった。当然何を言っているのか全くわからず、詞を全て覚えていたわけでもなく、途切れ途切れで、格好のつかない、至って中途半端な歌・のようなものが、わたしの手元にあった。

 

「こんど生まれてくるときも」。

 

わたしが「だんご3兄弟」以外にフレーズとして覚えていたのは、実にこの1ヶ所だけだった。あとは、「次男」だとかなんだとか、歯抜けに単語だけが残っていて、そこ以外はふんふんふんとラララ~で飛ばしていた記憶がある。

 

どうしてそこだけ覚えていたのか、理由はわからない。しかし、子どもが歌に触れるとは、そういうことなのかもしれない。理由があって覚えたはずのものすら消え、最後に残るのは、理由もなく覚えてしまったもの。まことに恐ろしい限りだ。

 

今年、ひょんなことから、数十年ぶりに「だんご3兄弟」の詞と向き合う機会があった。いや、まともに向き合ったのは、人生で初めてかもしれない。

 

こんど生まれてくるときも

ねがいは そろって 同じ串

できればこんどは

こしあんの 

たくさんついた あんだんご

だんご

 

だんご3兄弟/速水けんたろう茂森あゆみ Lyrics: 佐藤雅彦・内野真澄

 

この詞に盛り込まれた諧謔み、リズムのキレの良さ、そうした巧さは、何一つ幼いわたしの手元に残らなかった。しかし、その巧さが際立てた前向きな哀しみは、わたしの深いところに刻まれている。「こんど生まれてくるときも」。この願いは、誰のものだったのだろうか。子どもが保育所でこの歌を歌うとき、子どもに(・・・・)保育所(・・・・)この歌を(・・・・)歌わせる(・・・・)とき(・・)――それはすなわち、この曲を使うとき――何を思うのだろうか。そんなよしなしごとを考えるようになったのは、ひとえに、わたしが年を取ってしまったからなのだろう。

 

***

 

6 空の青さを知る人よ/あいみょん*14

 

 

 

非凡な出だしだ。ひと目、好きになった。

 

この冒頭は相当練ったか、あるいはそうでなければ、この冒頭ありきで曲を作ったのだと思う。そうでなければ、あそこまで長く、2番の歌い出しを1番に重ねなかっただろう。しかし、わたしが好きになったのは、音の重なりではなく、これでもかと言うほど強い言葉を冒頭も冒頭で使うセンスの方だった。これが売れているアーティストなんだなあ、などと、月並みな感想を抱いたものだ。

 

この曲は、2019年公開の同名アニメ映画『空の青さを知る人よ』の主題歌だった。脚本は岡田麿里。思春期の少年少女と「喪失」を題材にした、いかにも岡田麿里、という作品だ。

 

実のところ、わたしの中でこのアニメ映画は予告編で終わっている。本編を見ていない、ということではなく、単に予告編で完結してしまっているのだ。2019年秋前後、わたしはやけくそのようにアニメ映画を鑑賞し続けていた。その中で、「空の青さを知る人よ」を使ったアニメ映画のPVに何度も何度も触れた。感想は、「曲のインパクトが強すぎる」。PVの完成度も作品も素晴らしかったが、それをあいみょんの勢いが上回っていた。そのように、思われた。

 

実際この曲は歌う側泣かせで、シンガーソングライターでもなければ歌いこなすのに相当な苦労がいる。その理由は、ひとえに2番サビ後のパートに尽きる。

 

同じ言葉の繰り返しというのは、歌う側に解釈の余地が与えられすぎるので、なかなか狙ったところに着地しない。たとえば、単語を一つ重ねるごとにクレッシェンドを掛けてもいいし、後ろに熱を保留して、淡々と歌い上げてみてもいい。前者の方が局所的な盛り上がり重視で、後者の方が〈怖く〉なりがちな雰囲気重視だと思う。この曲の場合、音源版は後者。重い。

 

あいみょんの歌というのは、この曲に限らず、特に初期のものについて言えば、〈重い〉という形容がぴったりくる。単に詞が重いのではなく、その解釈が重たさを保証しているのだ。そういう意味で、この「空の青さを知る人よ」は、あいみょんの重たさが売れている勢いに乗って空まで突き抜けてしまった曲、なんて言えるかもしれない。いわく、運動エネルギーは速さの2乗と質量に比例するらしい。そんなエネルギーに満ち満ちた曲をぶつけられては、とでも言えようか。PVを作る側、EDを用意する側となっては嬉しい悲鳴なのだが。こんな曲を実際に主題歌として使ってから、「良すぎる曲は作品に重た(・・)すぎる(・・・)」などと言ってみたいものだ。

 


 

終わりに──美少女ゲームと詞

 

7 PART 2/???(imoutoid

 

maltinerecords.cs8.biz

 

わたしがその傍らにいる美少女ゲーム業界は、言ってしまえば、この世で最もキッチュなものを作っている世界だ。シナリオも絵もBGMも主題歌も、全て全て〈いい感じに〉〈気持ちいい〉、あるいは、〈いい感じに〉〈気持ち悪い〉方へ向かっていく。もちろん、〈いい感じに〉〈売れる〉方へ流れることもある。

 

詞はどうだろうか。〈いい感じに〉なりきっていないのは関わる人間の力量不足だとして、そもそも、その詞から何か意味を見出すことなどできるだろうか。できるかもしれないし、できないかもしれない。作る側はいくらでも仕掛けを仕込める代わりに、全く動作しなくても文句は言えない。「自分はこういう意図で作ったんだ」といくら騒いだところで、結局は通俗の極みにあり、場合によっては自分勝手の極みですらある。

 

ただ、ごく稀に、そのキッチュなものが、自分のキッチュさを何一つ否定しないまま、清新で、エモーショナルで、ノスタルジックで、同時に激しい叫びになるときがある。それがそこにあることの奇跡性をもって、自らのキッチュさを超克してしまうときがある。それは言い換えれば、全く人間的である。

 

imoutoidのアルバム「ACGT」に収められた「PART 2」を聴くと、必ずそう思う。連続も余韻も否定した電子の音の中で、詞は狂い、曲は踊る。しかし、その不連続のうちに、わずかながら、言葉が屹立している。その叫びは、今でも常に新しいものとして、人間のもののごとく、わたしのうちに忍び込んでくる*15

 

わたしが美少女に、美少女ゲームに、美少女ゲームの詞に求めたものは、この類の奇跡性だったかもしれない。そんなことを思いながら、待降節に入った今日もわたしは、奇跡からほど遠い、全く俗な何かのために働いたのだった。

 


 

皆さんがここにあって、このエントリを読んでくださった奇跡(・・)に感謝して。皆さんにも奇跡が舞い降りんことを願いながら、今年もクリスマスを待ちたい。

 

来年も、良い音楽と出逢えますように。

 

 

(了)

 

*1:なお、記事中詞を幾つか引用している。はてなブログでは、JASRAC管理楽曲について部分的に歌詞掲載が可能である。本ブログでは、ガイドラインに則って歌詞を引用していることを予めお断りしておく。また、作詞者表記などは、JASRACの運営する検索エンジンJ-WIDでの検索結果に依っている。そのため、一般的な表記と異なる場合がある。

*2:最近、ヒップホップやラップの文化が日本にも定着し始めて、詞の響きなど〈細かい〉技術についての話題も見かけるようになった、気がする。

*3:J-WIDでの表記は全て大文字。個人的な感覚と公式ホームページ、ストリーミングサービスなどでの表記を鑑み、ここでは先頭のみ大文字とした。

*4:『CUE!』のコンテンツの中で結成された、4人組のユニット。ちなみに、AiRBLUEは16人全員でのユニット名。

*5:「A LONG VACATION」は、1981年にリリースされた、大滝詠一によるスタジオ・アルバム。Tr. 1の「君は天然色」が2020年夏放映のTVアニメ『かくしごと』EDに採用され話題になった。

*6:わたしは、アニメで実際に用いられた曲を狭義アニソン、それよりもう少し緩く、いわゆる声優ソングやキャラクターソングまで含めたグループを広義アニソンと勝手に呼んでいる。この辺りをしっかり固めておかないと、話が混乱してしまいがち。

*7:2020年6月にリリースされた、鬼頭明里の1stアルバム「style」収録曲。作詞作曲・田淵智也UNISON SQUARE GARDEN)、編曲・やしきん、と、楽曲オタクを狙い撃ちにしたかのようなクリエイター陣で話題となった。

*8:「うちゅうひこうしのうた」について言えば、さらに、「なんで最後に『ラララ~』と言葉を捨てているのかわからない」という意見も頂戴したことがある。「ラララ~」やハミングで通すのもそれはそれでリスクを負っている、ということだ。

*9:ClariSの「ヒトリゴト」がOPだった、2017年放映のTVアニメ。

*10:エロマンガ先生』の監督である竹下良平氏は、山崎みつえ氏監督『月刊少女野崎くん』で演出として台頭した。藤原佳幸氏監督『NEW GAME!』でも副監督。ちなみに、『NEW GAME!』も『月刊少女野崎くん』も動画工房の制作。同じく動画工房が制作した2018年のアニメ『多田くんは恋をしない』(監督・山崎みつえ、副監督・藤原佳幸)では、竹下良平氏をネタにしたと思われるシーンがある。

*11:いずれも原作・伏見つかさ、イラスト・かんざきひろTwitterの公式は合同で、TVアニメの制作もA-1 Picturesが主力。

*12:実際にはコーラス参加のアーティストもいるが、JASRACの運営する検索エンジンJ-WIDの表記に従っている。

*13:そもそもこのエントリ自体、そういう個人的な感覚の塊だ、というご指摘は正しい。

*14:この曲は著作権まわりに厳しいので、歌詞の引用を控えている。

*15:この曲それ自体については、imoutoidによる自作解説が詳しい。

 

blog.livedoor.jp

 

自作解説中、この言葉がやたら脳裡にこびりついている。

 

鬱者は式に行けない。


歪んだ青年期を送る僕へ、僕による、僕の為の、諦めと開き直りに満ちた音楽。ターゲットは自分。

 

引用元: 前掲ブログ

 

「PART 2」を聴いていると、ボーカルと他の音の区別すら曖昧になっていく、ある意味量子的な音楽の中で、断絶と共に「卒業」という言葉が顔を覗かせる。「THECEREMONY」とはなんだったのか。今となってはわからない話だ。


早逝したimoutoid本人については、彼やtofubeatsとも親交のあったimdkmが音楽ナタリーに記事を寄せている

【試論】ビジュアルノベルにおける「全体」序説: 『TrymenT』について

ライプニッツ記号論の端緒を紡いでから数世紀、人類は未だ、一つの記号体系への統一に向けた苦闘の最中にある。要するに、表現の形式によってメッセージそれ自体が変質する、といった、もはや古臭さを感じさせるような議論から――皮肉なことに――脱却しきっていない。これは、認知云々以前の話である。

 

特に、マルチメディアを駆使する「作品」において上記の事実は深刻かつ本質的な問題と化するのだが、実際のところ、特に商業的な利益を目指すようなプロジェクトにおいて、この問題は所与の前提の前に忘れ去られている。すなわち、形式が先立っており、その後構造などが固まるパターンが圧倒的に多く、「そのメッセージに最も適した形式」が検討されるケースはほとんど無い。

 

しかしながら、形式がある程度固まっている状態であろうとも、その内側において最善を目指す努力は当然為されるべきである。むしろ、そこにこそクリエイティビティもクリティックも姿を現すと言ってよいはずなのだが、とりわけビジュアルノベルの近傍においては、どちらもそこへ向かっていない。この理由としては、個々の要素の創作と議論に終始する界隈の風潮や、キャラクターを重視し過ぎる制作フローが挙げられるだろう――いや、いずれも尊重すべき議論や慣習であり、さらに言えば、結局そこに辿り着くのであるが、ここで主張したいのは、その前段階としてのマルチメディアのマルチ性に関する話題があまりにも看過され過ぎている、という実態の方である。

 

以下、具体例を挙げ、形式に向き合っていたはずの作品がなぜいつの間にか形式に裏切られていたかを短いながらに検証していくことで、ビジュアルノベルにおける個々のメディアの繋がりについて考えていきたい。敢えて大言壮語を吐けば、これはビジュアルノベルの「全体」に関わる議論、その嚆矢である。

 

***

 

2020年の初め、『TrymenT』なる全年齢向けの作品がリリースされた。これはニュートラルな意味で「問題作」である。実態としては『Re: LieF』の全年齢向けリブート版と言うべき企画であるが、シナリオの内容には相当のブラッシュアップが施されている。CG面での洗練も素晴らしい。

 

ではなぜ「問題作」なのかといえば、これが形式の面で相当の――相対的に、だが――挑戦をした作品だったからである。その「問題」性それ自体に関して善悪の価値判断はしない。なぜならば、その挑戦は、シナリオ側から見れば半ば必然的に挑まざるを得ないものであり、まさに上述の意味でクリエイティビティが発露した結果現れたものであったからだ。

 

ただ、「問題作」らしく、体験版の段階で面食らうプレイヤーも相当多いと思われる。まず、シナリオの文体が三人称で一貫している。これは通常のビジュアルノベルではまず考えられないことだ。普通、ビジュアルノベルはなんらかの視点人物を用意し、そのキャラクターに状況の説明や心情の吐露の一切を任せる。対して、『TrymenT』は、視点人物を一切放棄し、徹底的に三人称の視点を貫く。その形式上のこだわりは相当強く、たとえば(三人称視点ではなく)三人称小説で見られるような、「XXは嬉しく思った」といった、キャラクターの心情を解説するような文もそのほとんどが排除されている。もちろん、「XXは嬉しそうに飛び跳ねた」といった、動作の修飾を兼ねた形での表現は頻出するが、それでも通常の一人称視点ビジュアルノベルに比べると相当の規制を自らに課したと言えよう。

 

また、エピソード間の繋がりに関してもかなりの工夫が施されている。エピソードごとに(視点人物ではなく)中心人物が頻繁に切り替わる上、そもそも時空間が全く連続していない。時間も空間もバラバラに切り離された状態で個々のエピソードは進行し、それらがパッチワーク状につなぎ合わせられていくことで、シナリオの全体像を提示する形式を採用しているのだ。あるいは、モザイク画的、と言ってもよい。個々のエピソードの解像度は、近視的にはかなりのものがあるものの、それがシナリオの流れの中でどこに位置しており、どのような意味を持たされているのか、それは特にゲーム開始当初全くと言っていいほど明らかにされない。

 

このような文体とシナリオ構造に関する工夫は、『TrymenT』の企画者/シナリオライターがおそらくは描きたかったであろう何かから計算すれば当然のものであった。ここではそれを仮に《メッセージ》としておく。この《メッセージ》には、これもおそらくだが、有史以来相当の数の人間がチャレンジしてきた。その中で採られてきた代表的な手法としては、なんらかの特徴ある人物一人に焦点を当てる、というものが挙げられる。また、同じようで実は違うのだが、なんらかの特徴ある人物一人の《視界》にひたすらこだわる、という手段も採用されてきた。だが『TrymenT』は、そうした技法を敢えて採用しなかった。その理由は、この《メッセージ》が根本的に抱える「全体性」にある。前述したような二つの技法は、それを通じて《メッセージ》の抱えるひずみや矛盾を露呈させる際に極めて有効なのだが、《メッセージ》全体を描くのに適しているとは言えない。むしろ《メッセージ》は、それら数多の矛盾を抱え込みながら未だ「全体性」を保持し続けている。

 

ではどうすればいいのか。すぐに思い浮かぶのは、上述の作戦を数の面で拡張し、「できる限り多様な登場人物を提示し、そのいずれもについて綿密に描き込む」という手である。だが、十九世紀に活躍したどこぞの大文豪ならともかく、普通このような手法は成功しない。成功した事例はそれこそ片手で数え上げられるだろう。これを狭義の群像劇とすると、次に候補となるのは、広義の群像劇である。なんらかの事件(群)について、それに関わる人々がどのような行動を取ったのか、その行動の結果事件はどのように動いていったのか、を描写していく手法だ。事件に対する距離をサンプルとなる登場人物ごとにばらけさせることで、事件の多様な側面を描いていくことができる。『TrymenT』がやりたかったのはこちらであろう。

 

だが『TrymenT』はここでもう少し考えこむ。果たしてそれだけで《メッセージ》を描ききれるのだろうか。《メッセージ》が全であるのは、空間的に、というだけでなく、時間的にもそうなのではないか。それを描写するためには、《メッセージ》の時間的連続性を露呈させる必要がある。逆説的だが、そのためには、《メッセージ》の時間的連続を一度解体する必要があった。考えてみれば、《メッセージ》はそもそも矛盾を大量に孕んだものであった。それを認めつつ、まだらながらに連続であること――連続の中に断絶があること、あるいは、断絶の中に連続があること――を示すには、時系列を切り刻んだ上で、それを最後に綴じ合わせるしかない。なるほど、考えれば考えるほど、『TrymenT』は相当に真面目な作品だと分かる。

 

ここに至って、『TrymenT』はシナリオについてかなりのクリエイティビティが注がれた作品であると結論づけられよう。しかしそれは、『TrymenT』が別の意味で《問題作》である理由でもある。空間的時間的に不連続なエピソード群を描写するにあたり、『TrymenT』は視点‐文体を徹底した三人称に設定せざるを得なかった。この必然性は、同じような構造のシナリオを一人称で描くとどうなるか想像してみれば理解できるだろう。そもそも、広義の群像劇に仕立て上げたかった理由は「一つの側面からでは描ききれないものがある」であった。その上で、数多の「一人の視点」によって群像劇を構成してしまうと、最後に提示したい《メッセージ》がいずれの視点から観測されたものなのか分からなくなってしまう。あるいは、特定の視点から見た《メッセージ》に終始してしまうだろう。それならば、最初から視点を特定の誰かに固定させておいた方が良い。こうして、『TrymenT』は、個々の人物の心情にも潜り込むことなく、ひたすら外面を観察する三人称の文体を貫徹させることとなった。

 

問題は、それをシナリオ以外の要素が理解できていたか、という点にある。例として立ち絵芝居、スクリプトを取り上げてみたい。これも、体験版を紐解けばすぐ分かる話であるが、『TrymenT』の立ち絵芝居は相当「工夫」されている。各キャラクターの立ち絵におけるポージングがまず「工夫」の一つだ。文体の三人称に合わせる形で、特定の誰かに対して正面を向くことなく、それぞれのキャラクターが画面内で向き合えるよう設計されている。

 

ただ、この「工夫」は多くの人が想定しているよりだいぶ難しい問題を孕んでいる。というのも、これは演劇的な構図までしか取ることができないからだ。そう、『TrymenT』の立ち絵芝居とはただしく芝居なのである。映像の世界とその近傍では、画面の向こう側にいるプレイヤーの視点をカメラになぞらえがちだが、ことビジュアルノベルに関してはそうとは言えない。カメラであれば、比較的任意に画作りを行える。しかし、ビジュアルノベルは、その素材の量及び質の制約から、立ち絵芝居において設定可能な画の範囲が定まっている。簡単な例を挙げると、背景素材で全く想定していない空間は描写できない。また、人物を立ち絵素材で予め設定された角度以外から映すこともできない。こうした制約は、立ち絵や背景の素材数、また任意に画作りを行えるイベントスチル(いわゆるCG)の数をとにかく増やすことで緩和できるが、実際問題商業制作において無限に近い素材数は要求し得ない。すると、立ち絵芝居は必然的に演劇へ接近していく。

 

『TrymenT』の場合、さらに災難だったのは、三人称の視点を貫徹しなければならなかった点であろう。『TrymenT』は立ち絵素材の数に関して言えば相当恵まれている方であるが、たとえば同じ素材量でも、一人称視点を設定できた場合、振り向き立ち絵などを用意することで、より簡単に空間的な奥行きを表現し、かつ、「演劇らしさ」を低減できた。

 

ここで、ビジュアルノベルが演劇になってはいけない、と主張したいわけではない。意図的に演劇へ近づけていきたいのであれば、こうした効果はむしろ積極的に狙っていくべきであろう。ただ、『TrymenT』に関して言えば、《メッセージ》それ自体がある種のリアリティを要請している都合、これが芝居であると悟られてはいけなかった。もちろん、演劇であってもリアリティは担保し得るが、ここで指摘したいのは、そのような斜め正面を向き合う構図で必然的に生じる中央の「隙間」によって、キャラクターの言動が相対する別のキャラクターだけでなく、「隙間」を埋めるべき存在たるプレイヤーに向かっても放たれている、少なくともその効果が副次的に生じてしまっている、という点である。それによって、『TrymenT』は本来狙うべきリアリティから離れてしまったのではないか。筆者の疑問はまずここにある。ビジュアルノベルの画面に映るものが真にカメラ的であれば、これは生じ得ない問題であった。

 

ビジュアルノベルの立ち絵芝居やスクリプトにおける、画作りの角度に融通が利かない、という制約は、しかし、これよりもさらに大きな問題を『TrymenT』にもたらしている。それは、シナリオで徹底されていたはずの三人称視点の崩壊、という形で露呈している。

 

筆者は、『TrymenT』のゲーム(あるいはビジュアルノベルとしての『TrymenT』)それ自体に初めて触れた際、言いようのない違和感を終始覚えた。このシナリオは、常に三人称で進行している。それは間違いない。三人称にせざるを得なかった理由も分かる。だが、終始三人称の文体で進行するビジュアルノベルに慣れない以上に、『TrymenT』のもたらすエクスペリエンスに慣れなかった。この作品は、どこかでバランスを失っているのである。

 

その理由は、敢えて誤解を招く表現を用いれば、スクリプターの直感に求められる。普通、立ち絵芝居や背景の操作を担当するスクリプターは、自らが「気持ちいい」と思うような進行に仕立て上げる。そして、だいたいの場合、それはディレクターやプロデューサーなど、然るべき役職の人間によるチェックを通る。この「気持ちいい」に従っていればよい、という規範を「快楽原則」と言う。究極的なことを言えば、この「気持ちいい」を完全に把握しきっている人間がスクリプトを担当すれば、その作品は唯一無二のものになる。そこに矛盾も狙っていない違和感も一切生じないからだ。

 

アニメの絵コンテなどでは、たまにこの「気持ちいい」を極め尽くしたような人間が現れることもあるのだが、実際問題、ビジュアルノベルスクリプターでその領域にまで到達している人を見かけたことが無い。ただ、それにはビジュアルノベルにおけるコスト面での制約も関係しているので、ほとんどの場合あまり強くは言えないところだ。

 

その点、『TrymenT』のスクリプトはリッチで、いかにも「工夫」に満ちている。まず、画面が保っていない、という時間が無い。「画面が保つ」という表現も、かなり直感的なものだ。スクリプトの実作業においては頻出の単語であるが、その実、「やっていて冗長に感じる」「動きがなくて寂しい」など、スクリプターやチェック担当者の様々な主観的評価を一言に集約した表現である。

 

『TrymenT』がスクリプトで頑張らざるを得なかった理由は幾つか推測できる。一つには、シナリオがあまりに淡々と三人称の文体で進行するため、エピソードの内部において緩急を付けにくかった、という事情があるだろう。『TrymenT』のシナリオは、再三繰り返しているように、テクスト面では相当徹底された作りになっており、基本的に地の文では動作しか表現されない。また、込み入った状況を客観視点から冷静に描くため、キャラクターの熱量を伝えにくい。その帰結があの短く切られた文である。

 

もう一つには、似たようなことだが、この作品が《メッセージ》第一主義に陥るあまり、「ここが盛り上がりどころ」とプレイヤーに提示しづらかった、という点も挙げられよう。これはエピソード内部に限らず、エピソード間での比較についてもそうである。先に述べたように、特に前半、『TrymenT』は確信的にエピソード群をバラした上で提示している。要するに、エピソードとエピソードの間の繋がりを全く見せていない。そのため、プレイヤーはどうやっても、順を追うだけでは、盛り上がりの予兆を感知できないのである。

 

エピソードの内部ではテクストで徹底的に熱を削ぎ、エピソードとエピソードの隙間も大きく見せる。これではいかにも「画面が保たない」。キャラクターの立ち絵を配置する前から、それこそ直感で理解できる。

 

スクリプターが苦肉の策で採ったアイディアは、とにかく黒や白を前景に配置し、画面に映る背景を絞る、というものであった。これは相当に強力な手法で、普通乱発はしない。というより、する必要が無い。それほど「画面が保たない」状況に追い込まれるケース自体滅多に無いからだ。だが『TrymenT』はこれを多用した。普通、黒挿し・白挿しといえば、「シネスコ」と称される、上下に細く入るもののみを指すが、『TrymenT』はそれに限らず、とにかくあらゆる種類の黒挿し・白挿しを採用している。左半分のみ映す、右半分のみ映す、上下の幅をさらに狭める、などなど、羨ましいくらいに手段が豊富だ。

 

ただ、この黒挿し・白挿しによる画面の変化は、部分的にスコープの効果を生むことがある。画面に表示される背景が制限されるので、事実上拡大しているのと同義なのだ。実際に背景を拡大した状態で黒挿し・白挿しを実装するケースも多い。そして、このスコープ、あるいはファインダー的効果こそ、『TrymenT』最大の誤算であった。

 

何度も述べているが、『TrymenT』はそのシナリオ構造からして三人称を貫徹する必要があった。そして、それは当然のことながら、シナリオだけでなくスクリプトや立ち絵芝居においてもそのようになるべく仕組まれていた。肯定的に捉えれば、「芝居」になることを覚悟で立ち絵のポージングに「工夫」を施したのであるとも言える。それもこれも全て、シナリオの要求に応えるためであった。

 

だが、そこで安易に黒挿し・白挿しを実装するとどうなるだろうか。たとえば、体験版中、中心人物ではないあるキャラクターが冷蔵庫を開けるシーンを見てみよう。直前まで引きの画でキャラクターの立ち絵もあったところ、冷蔵庫を開く件に至って、背景がアップになり、右半分に黒が挿入される。この瞬間、キャラクターの立ち絵も消える。こうすることで、背景全体では左半分に小さく描かれているだけの冷蔵庫のみが画面に映り、結果、プレイヤーの関心は冷蔵庫に惹き付けられる。それは間違いない。問題は、プレイヤーはこれを誰の視点と捉えるのか、というところにある。

 

作品の受け取り手側は、常に視点を一致させる先を求めている。それは神の視点を持った語り手かもしれないし、二人称で語られる「あなた」かもしれない。いずれにせよ、プレイヤーは誰かしらの視点に自らを滑り込ませることで、物語世界に没入しようとする。『TrymenT』はその点、徹底して「機械の目」で文章が進行していく。地の文は誰の心情も明示せず、動作とその結果を淡々と述べ続ける。プレイヤーはなんとかそれに納得してゲームプレイを進めていくのだ。

 

ところが、画の方はどうか。冒頭、プレイヤーと作品の間において、「これは三人称で進む物語なんだ」なるコンセンサスが得られていない状態で違和感を覚えるのはどうしようもない。これはシナリオ構造上どうしても発生するコストである。しかし、ある程度物語が進行してきた状態で、上記の例のように「一見誰かの一人称視界」に見える画作りが為された場合、どうなるか。しかもそれが、誰かとの重要な会話などではなく、冷蔵庫を開けるといったような、本来些細なはずの動作/描写で発生するとどうなるか。議論するまでもないことである。

 

すなわち、『TrymenT』は、普通絶対に大丈夫なはずの「快楽原則」に従ったところ、作品の仕上げの段階でコンセプトやコンセプトから導かれる演出プランが揺らぎ、結果として奇妙な違和感を常に与え続ける作品になってしまったのである。これは明らかに、《メッセージ》を表現する際ノイズになる。すなわち、《メッセージ》が変質している。もし仮に、『TrymenT』はなんとなく一人称っぽい、という感想を抱く人がいれば、それはシナリオ、特にテクストのせいではない。むしろ、シナリオをビジュアルノベルというメディア形式に落とし込む際発生したエラーに気を取られているのである。

 

このようなスクリプト上の問題は、普段滅多に前景化しない。大抵の場合、よほど無茶なことをしなければ物語はつつがなく進行していく。そのため、特に時間的制約が厳しい商業制作のビジュアルノベルでは、ベターな選択肢があるかどうかすら検討しないことも多い。

 

また、最初に検討したような視点の問題も、なかなか議論にならないところである。文学の歴史を紐解いてみると、こうした形式上の視点人物の問題は、実制作者=作家による創作論が土台となっている。その点、ゲームのシナリオライターによる創作論が活発になってきたのは、それで個人がマネタイズできるようになったここ数年のことであり、むしろこれからのフィールドである。

 

さらに付言すると、シナリオライターによるシナリオ至上主義、あるいは逆に、原画家・グラフィッカーによるイラスト至上主義の弊害もここに浮上してきている。このようなスクリプト上の問題、あるいは他にも、音響上の問題、システム/UI上の問題など、本来議論すべきことは山のようにあるにも関わらず、実際には、現場で決定権を握っている人がどのようなキャリアを持っているかによって、こうした問題のうち幾つかは等閑視されている。このような現象はアニメ産業でも観測されるが、少なくともアニメにおいては、監督やスタジオのカラーと言える水準で物事が収まっている。これには、予算や人員の問題の他、監督になるまでに積むべきキャリアの長さなども影響していると思われる。翻って、ビジュアルノベルは、比較的若い人でも決定権を入手できる代わりに、「全体」に対する視座を持ち合わせていないケースも多い。

 

個々の作品について、プレイヤーがどのように受け止めるか。作品の作り手側は、流石にそこまで管理できない。しかしながら、何かを発信する段階で生じ得るような「メッセージ」の変質を防ぐことはできる。そうした「メッセージ」の変質は、たとえば今まで見てきたように、マルチメディアを構成する一要素を「全体」に落とし込む際発生するものである。となれば、シナリオ至上主義だろうとイラスト至上主義だろうと、いやむしろ、何らかの要素について徹底したこだわりがあればあるほど、他の構成要素の勉強をしなくてはならない。仮にその勉強の上施された《工夫》でも解決し得ない課題に直面したとすれば、それは作品がビジュアルノベル自体に対して批評的と言えるレベルにまで到達した、ということである。本来「作品の品質が」と言う時に理想として掲げられる何かとは、このような意味で批評的なものではなかったか。冒頭、クリティックがクリエイティビティと同じところにある、と述べたのは、このような文脈を念頭に置いてのことであった。

 

 

(了)

 

 

2019よく聴いた完全神アニメ/ゲームサントラ集[楽曲オタク Advent Calendar 2019企画: 2019/12/03]

本エントリは、なまおじさん(@namaozi)の「楽曲オタク Advent Calendar 2019」企画のためのものである。もちろん、この企画を知らずにクリック/タップした方も大歓迎だ。そんな方は、ぜひ下のリンクをクリックしてみて欲しい。

 

adventar.org

 

なお、このような記事を書くにあたり、できる限り楽曲のサンプルなどを掲載したいとは思い努力したものの、アニメやゲームのサントラはストリーミングになかなか下りてこないので、断念しているところもある。実はAmazonの有料音楽ストリーミングには転がっているケースが結構見られる。

 

 

 

 


 

0 (self-) Introduction

 

さて、最初に謝っておかなければならないのだが、私は楽曲オタクではない。というより、畏れ多くてそんな風に名乗ることができない。私の知人たるめがねこ(@srngs_meganeko)はもっとずっと真面目に音楽を勉強しているし、そうでなくとも、私の周りにはやたら音楽に詳しい人が集まっている。私は、とてもとても作曲理論や楽器の演奏法などで太刀打ちできる人間ではない。

 

それでも、この企画に参加しようと思ったのには、もちろん幾つか理由がある。一つはもちろん、上記めがねこが2日目の記事を担当していたからだ。二点目は、初日を担当された主催のなまおじさんが、こともあろうに「ドリ☆アピ」を紹介していたからである。

 

scrapbox.io

 

最近、ひょんなことから安齋由香里さんの沼にハマり、「CUE!」を追いかけている私からすれば、タイムリーな話題だった。安齋由香里さんが頑張っているので、ぜひ皆さんも「CUE!」を追ってあげてください。絵は無茶無茶かわいい上にショートアニメの追加ペースも思っていたより早い。お得。

 

www.cue-liber.jp

 

しかし、いざ書かんと思い立ったものの、上述のとおり、普通に書いたのではなんにもならない。そこで今回は、アニメのサントラに焦点を絞りたいと思う。最近、某中堅ノベルゲーム会社で楽曲発注業務や選曲(音楽演出)のアルバイトをしている都合、2019年は浴びるようにサントラを聴いた。年代を問わず、サントラとして気になったもの、音楽の使い方で気になったもの、などなど、多様な視点からアニメのサントラを眺めてみたいと思う。

 


 

Ⅰ 『はるかなレシーブ』オリジナルサウンドトラック

 

 

 

 

はいいきなりド定番。スウェーデンの雄、ラスマス・フェイバーが全面的にBGMを担当した数少ないアニメの1つ。しかし、彼は一体どういう基準でアニメのサントラを受け持っているのだろう……。

 

舞台が沖縄であるため、琉球音楽のエッセンスを詰めた曲も見える(Disc 1 Tr. 6など)。全体的に、パーカッションや撥弦楽器の「撥弦」たる所以のサウンドが目立った構成の曲が多い。これはアニメのサントラとして普遍的な特徴ではない。一方でボーカルの入った楽曲にはキャッチ―なメロディラインも提供しており(Disc 2 Tr. 1など)、隙のない全体構成である。これだけ上質な弦楽器のサウンドで全曲まとめてくれれば、選曲する側としては嬉しい悲鳴だ。かえって使い分けに困る場面も出てくるからだ。なお現実は真逆である。

 

舞台に特色がある場合、このようにBGMにもそれを素直に反映させる作戦も取り得るが、実際にはどうしても必要なタイプの楽曲というものもあり、その辺りどうバランスを取っていくか、難しいケースが多々ある。作曲側だけでなく、発注する側もよく悩むものだ。このサントラも、Disc 2に入ると、リズムやパーカッションの打ち方自体は特徴的、というよりラスマス・フェイバーの来歴を感じさせる曲もまだまだ多いが、Disc 1ほど尖った曲は、Disc 2全体で見ると少ない。選曲業務に携わる人間としても、扱いやすい曲が増えたな、という印象を持った。ただ、それで凡庸なアルバムになったかといえばそうではなく、バランス感覚の面でも際立ったものがあった一枚と言えよう。

 


 

Ⅱ 『ARIA The ORIGINATION』ORIGINAL SOUNDTRACK tre

 

 

「ARIA The ORIGINATION」ORIGINAL SOUNDTRACK tre

「ARIA The ORIGINATION」ORIGINAL SOUNDTRACK tre

  • Choro Club feat. Senoo、SONOROUS、牧野 由依、広橋 涼、新居 昭乃
  • アニメ
  • ¥2241

 

 

こちらも歴史的名盤。日本を代表するショーロトリオ、Choro Clubとピアニスト妹尾武の合作になる。Choro Club笹子重治は後にコーコーヤを別枠で結成し『リストランテ・パラディーゾ』のOSTでも成果を残すほか、松任谷由実坂本真綾に提供した「おかえりなさい」のアコースティックver. アレンジも担当した(シングル「はじまりの海」収録)。

 

 

また、Choro Clubはトリオとしてこれより以前に『ヨコハマ買い出し紀行 -quite country cafe-』の劇伴も担当したが、こちらの音源は廃盤な上希少で入手難度が高い。

 

そもそも『ARIA』シリーズはTVシリーズ3期いずれもOSTの評価が高く、treに絞る理由はあまりない。ここでtreを取り上げたのは、3期『ORIGINATION』9話の話題を持ち出したかったからである。

 

ARIA』シリーズは監督佐藤順一・選曲佐藤恭野の夫婦タッグで音楽演出をコントロールしていた部分も大きかったが、幾つかのパートではシナリオの要請上絵コンテ担当が「音楽・のようなもの」をコントロールするケースもあったようだ。この辺り、『ARIA』の上映会で監督が語っていたことなので若干不明瞭な点は残る。ここではそれを全面的に信用しておくと、9話、「ルーミス・エテルネ」(Tr. 14)が流れるの直前のBGMミュート(SEのみ)は絵コンテを担当した名取孝浩の提案だったようである。

 

アニメにせよゲームにせよ、あるいは実写の映画でも一部同様だが、BGMを消すというのは結構度胸のいる選択だ。逆に、その有難みを理解して乱発すると効力が薄れる。難しいところだ。適当なスクリプターに任せると、諦めているのかとりあえず汎用BGMを流してくる。これが我慢ならない人はシナリオを読んで自分でBGMを指定していかねばならないが、ここで入り、ここで止め、フェードアウトは何ミリ秒、そのままサイレントで何クリック続行……、と細かく指定していると本当に日が暮れる。その上直感に反した選択が正解のケースも多々ある。

 

話を『ARIA』に戻すと、このシリーズは個々のBGMの完成度が高く、どんなシーンであろうと適切な1曲を選べば大抵なんとかなる。実際、『ARIA』はアニメを垂れ流しにしておくだけで、案外ジュークボックスになってしまう。もちろんこの他のシーンでも選曲は熟練の腕を披露してくれるが、ここで議論したいのは、だからこそ、9話のミュートには意味がある、という点だ。

 

ミュートとは繋ぎではなく間である。この「間」の話は、アニメに限らずマンガでもゲームでもエッセンスなのだが、明示的に「こうしろ」と言えないものでもあり、まさしく創作者のセンスに依る部分でもある。書いていてお腹が痛くなってきたが、要するに、9話の件のシーンは「間」の取り方が完璧だったのだ。止まる音楽、吹き抜ける風、息を吸うアリス。そこに生まれたものは「時間」である。映像芸術と時間の議論は始めると長くなる上に私的な意見の撃ち合いになるので、ここでは割愛しておこう。

 

しかし、これくらい質のいいショーロとポップスの中道はない。Tr. 4はポップスやショーロ以外からも多くを消化吸収しようとしている。作曲は秋岡欧の担当で、この傾向は彼らの現状の最新作、『Musica Bonita』でも引き継がれている。秋岡の作曲は他にTr. 10など。この楽曲は『ARIA』シリーズ中でもよく用いられた。Choro Clubの魅力の一つは上品なコントラバスにも求められるが、そのコントラバス奏者である沢田穣治は他とは毛色の異なる楽曲を担当している。Tr. 7辺りは聴きやすさも残るが、Tr. 12は明瞭に他3人の作曲者とは別の方向性を模索したと思われる。用いられる楽器の種類や特徴的な冒頭もさることながら、中盤の進行にも着目したい。

 

ピアニストの妹尾武が担当したのはTr. 13やTr. 23など。Tr. 13は分かりやすさの向こう側にある、4人の緻密な合奏が印象的で、『ARIA』シリーズを代表する一曲である。いずれにせよ、このレベルのBGMを使って選曲できるのはさぞかし幸せであろう。

 


 

Ⅲ 『映画 聲の形』オリジナル・サウンドトラック

 

 

今度は全く別ジャンルから。京都アニメーション作品のサントラを持っている方は多いと思われるが、『聲の形』はどうだろうか。持っていない人も多い気がする。

 

というのも、このサントラはぶっちぎりで「分かりにくい」のである。この「分かりにくさ」は、劇伴担当の牛尾憲輔の、作品に対する非常にラディカルなアプローチに起因している。

 

世の中の大抵のサントラというものは、申し訳ない言い方になるが、だいたい他の作品に持ち込んでもなんとかなってしまう。そもそも、サントラという形態それ自体、作品から音楽(劇伴)を脱文脈化させて成立するものだからだ。

 

しかし、『聲の形』のサントラはそうではない。おそらく、2枚組のディスクに収められた数十曲のうち、他の作品でも使えるものは、下手をすると片手で数えられるだろう。この楽曲の制作過程が、その理由全てを物語っている。

 

animeanime.jp

 

上で紹介した記事でもインタビュアーが質問しているとおり、『聲の形』は聴覚障害を取り上げた作品であり、劇伴制作の難易度が跳ね上がっている。これに対し、音楽から作品を作る、という非常に尖った選択で、この映画は突破口を見出したのだった。言うなれば、牛尾の作ったものは、劇「伴」でも「BG」Mでもなく、作品世界の「音」そのものである。故に、他の作品他の文脈に持ち込むことができない。この辺り、関心のある方は、『聲の形』のBlu-rayに収められた、セリフが一切なく「音」のみで映像が進行するバージョンを鑑賞してみて欲しい。そもそも、それで物語が成立していること自体、『聲の形』そして『聲の形』の世界の「音」の成果と言えよう。

 

曲はなかなか参考にできない上、このような過激なアプローチは、中途半端に真似たところでどうにもならない。とはいえ、「複合メディアで作品を作る」時の理想の形ではあり、一度通して聴いてみて欲しいサントラではある。サントラだけでは何も分からない、という地点が、『聲の形』のある場所だ。

 

もちろん、牛尾が毎回このようなアプローチを採用しているわけでもなく、他の多くのアニメがこのアプローチを採用できるわけでもない。牛尾が他に担当したものでいえば、湯浅政明がメガホンを取った『ピンポン THE ANIMATION』や『DEVILMAN crybaby』は、サントラとしてもオススメ。

 


 

Ⅳ 『あまんちゅ!』オリジナルサウンドトラック

 

 

 

 

今でもよく思い出す。めがねこが上京して1年目、新宿のアニメグッズ専門店へ行った時のこと。CD売り場でおもむろに手にした『あまんちゅ!』のサントラについて私が放った一言に、めがねこは大層なリアクションをしてみせた。

 

「え!? GONTITI!? よう呼んだな!?」

 

ついうっかり方言が飛び出てくるようなギターデュオ、GONTITIによる数少ないアニメサントラの登場だ。ちなみにGONTITIはこの他、『ヨコハマ買い出し紀行』(第1期)の劇伴も担当している。読解力の高い皆さんはもうお気づきであろうが、Choro Clubが劇伴を担当したシリーズの前期OVAである。憶測すると、原作天野こずえ・監督佐藤順一の体制で作った『ARIA』のサントラがChoro Clubだったので、おそらく座組に関わった誰かが、順序を逆にする形で、同じ天野‐佐藤コンビの『あまんちゅ!』にGONTITIを起用するアイディアを出したのだろう。

 

参加しているアーティストの都合、楽曲の幅は2期『~あどばんす~』のサントラの方が若干広い。

 

 

しかし、こちら1期のサントラも凄まじいの一言に尽きる。アコースティックギターをふんだんに差し込みながら、圧倒的な守備範囲の広さを見せつけている。まずTr. 1の冒頭の上質さ加減が凄い。音質を上げても上げてもついてくるサウンドの質の高さには恐怖すら抱く。Tr. 7は「こんなSwingを作ってみろ」と言わんばかりだ。ある種のミニマルさを感じさせるシンセ遣いながら、効果音に堕ち切らず、きっちりメロディまで調和させたTr. 10の完成度にも注目したい。Tr. 19は、言われればこういうアレンジも思いつくが、思いつき仕上げ切るまでに必要なステップは相当多いだろう。「海的な音」「海的なサウンド」のステレオタイプを巧みに活用しながら、シリーズ馴染みのフレーズをまとめあげるのは、字面で感じるより遥かに難しい。

 

一つの楽器に自信を持っていること、その楽器で音楽をやることと、多様なジャンルの音楽に触れエッセンスを吸収することは、実際には両立する。しかし、その前に立ちはだかる壁は高く厚い。時にニューエイジ、時にワールドミュージック、場合によってはイージーリスニングにまで分類されてきた、境界で浮遊することを恐れないGONTITIだから可能だった業である。

 

余談だが、最近『今日だけの音楽』に感動した都合、坂本真綾をヘビロテしている。GONTITIとの関連で言えば、シングル「Million Clouds」に収録された「DIVE feat. GONTITI」が素晴らしい。

 

 

初期坂本真綾の名曲をアコースティックアレンジでセルフカバーしたものだ。20年かけて作り上げてきた、無垢(innocent)でありながら無知(innocent)ではない坂本真綾の歌う、究極の愛とエゴに、GONTITIの泣かせるアコースティックギターが映えわたる。詞の辿り着く先は正反対ながら、EGOISTの「Departures ~あなたにおくるアイの歌~」を思い出す人もいるだろう。「DIVE」に限らず、「Million Clouds」は坂本真綾史上最強シングルなので、全曲必聴だ。

 


 

Ⅴ  t7s オリジナルサウンドトラック「The Things She Loved」

 

t7s オリジナルサウンドトラック「The Things She Loved」

t7s オリジナルサウンドトラック「The Things She Loved」

 

 

 

案外EDMやテクノ、あるいはシンセを多用する音楽の文脈で固まったアニメ/ゲームのサントラは少ない。考えてみれば当たり前の話で、繰り返しになるが、劇伴というものは制約のある発注の中で作られるものだからだ。

 

その意味で、「The Things She Loved」は貴重な一枚だ。これもやはり、全曲がその文脈で固まっているわけではないが、質のいい曲が多数ある点は特筆に値する。こういうことを書くと、詳しい方は『ウィッチクラフトワークスOST(作曲: TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND)を想起するかもしれない。ズバリそこで、正直どちらを取り上げるか若干悩んだ。

 

ナナシスを選んだのは、アニメのサントラなどでは要求されることもある、メロのキャッチ―さといったところにも踏み込んでいるからというのが一つ。もう一つ、この記事の主題が「私が2019年によく聴いた」というところにある、という理由もある。この夏、ナナシスのライブでガチ泣きしたので……。

 

Tr. 2からヒゲドライバーは冴え切っている。素人目には、凝ったことは何もしていないように聴こえる。私も今年になるまで、特段注意を払って聴いていたわけではなかった。ナナシスのアプリで飽きるほど聴いていた、という事情もあるだろう。しかし、実際に「EDMやテクノに思いっきり振ってください」との発注を出す立場になってみると、その認識はひっくり返った。普通の人は、ここまで寄せ切った上でまとめられないのだ。中盤の音の交錯のさせ方、サウンドの聴かせ方、何を取っても一流の楽曲である。技術面ではTr. 8も震える。これを全音潰さずにまとめ切るのは尋常の技ではない。ギリギリ嫌味にならない高音の扱いも見事。

 


 

Ⅵ ハナヤマタ音楽集「華鳴音女」

 

 

 

 

バラエティとコンセプトは両立させたいがなかなか両立してくれないものたちである。神前暁MONACAが制作した劇伴を眺めてみると、知られている『俺妹』や『WORKING!!』のサントラはどちらかというとバランス重視の発注だったのだろう。一方、だいぶコンセプトや作品イメージを大事にしたな、というのがこちらの『ハナヤマタ』。

 

作曲側に楽曲制作のイニシアティブはあるのか、と聞かれると、ケースバイケースとしか言いようがない。このエントリで取り上げた中でも、『聲の形』や『ARIA』はかなり特殊な発注の仕方である一方、他は、少なくともサントラの曲を聴く限りでは、おおよそどのような発注だったか見当がつく(外れている可能性もある)。『ハナヤマタ』は判断が難しいところで、おそらく「こうしたい」というイメージや作品の方向性、さらに必要な楽曲のリストまでは発注側が用意したと思われるが、「ピアノで染めてみましょう」「透明感あるサウンドやリバーブにしてみましょう」といった、手段のレベルの提案がどちらからなされたかまでは分からない。和要素の混ぜ方はさらに微妙。発注レベルで「この曲に和楽器」と指定が入った可能性もある。裁量は作曲側にあったと思われるが。

 

ハナヤマタ』といえば伝説的なOPが著名だが、サントラ(Disc 2)も負けていない。30秒強の楽曲ながら、Tr. 29は印象的だ。付されたタイトル、サントラでの並びからも、この曲の持つ重みがうかがえよう。Tr. 4は同種のBGMで比較すると相当レベルが高い。ジャズ系のプロに任せるとオシャレになり過ぎるか分かりにくくなるか、というところもある一方、こちらはギリギリの普遍性を有している。個人的にはもう少し尖らせたいが、この辺りがいい塩梅なのだろう。

 

サントラの構成も良い。Tr. 1は単にここに置いてあるわけではなかろう。サウンド面でのアプローチは、基本的にTr. 1から外れない。その意味ではシンボリックな一曲だ。冒頭、普通はOPのアレンジやメインテーマを持ってくるところではあるが、そこからは外している――そもそもこの作品のメインテーマとはどれなのか、という問題はあるが。

 

とはいえ、最後はやっぱり『ハナヤマタ』。Tr. 32を聴くよね。

 


 

Ⅶ 『ふらいんぐうぃっち』オリジナル・サウンドトラック

 

 

 

 

最後は所謂日常系アニメの最高峰『ふらいんぐうぃっち』。作曲担当は出羽良彰だ。

 

このサントラは前半に注目したい。実に(事実上の)メインテーマが16回もアレンジされている。メインテーマを含めれば17曲である。『ふらいんぐうぃっち』は1クールのアニメだったから、もはや1話1曲を通り越して1パート1曲の領域に突入している。この他、サントラの後半にメインテーマが関係ない楽曲が21曲も入っているので、本当に一品もののメインテーマアレンジだと言えよう。

 

若干アプローチが似ているアレンジもあるにはあるのだが、このレベルになってくるとそこにある微細な違いが重要になってくるわけで、選曲する側としては精神力ゲージがゴリゴリすり減らされる展開になる。これがたとえ、「予め話の内容や脚本を送付した上で先方に決め打ちで作ってもらう」というタイプの発注であったとしても、胃を痛めるタイミングが選曲時から発注時に移るだけである。

 

よく知られているのはTr. 2とTr. 16だろうか。Tr. 9あたりは相当凝っている。Tr. 8やTr. 10くらいまで自在にアレンジできるのであれば、私もこういう楽曲の発注をしてみたくなる。相変わらずお腹は痛いが、それはそれで楽しかろう。実際には、「この曲にメインテーマのフレーズを仕込んでください」という発注でも上がってくると渋い顔になるケースもある。やりたいこととできることの狭間でもがくのが創作。これは作曲する側も選曲する側も、あるいは音楽以外の創作でも同じだろう。

 

サントラの後半も注意したい楽曲が多い。Tr. 22は序盤掴みどころがないように思えるが、溜めてからの後半の展開が素晴らしい。これを聴いた時、「ああ、この作曲家はなんでもできるのだな」としみじみ思ったものだ。この曲の後にTr. 29やTr. 31を聴くと落差にクラクラする。キャラクターに沿って作曲されたであろうTr. 34やTr. 37にも注目。ここまできっちり描き分けてくれる作曲家は、実はさほど多くない。発注時に予め材料が必要で、準備の段階にもハードルがある。

 

日常系アニメと聞くと、「音楽的にはどうなの?」と思う人も多いだろう。しかし実際には、作品に与えたいイメージなり、舞台設定から来る印象なり、なんらかの形で、音楽は予め、作品や企画によって規定されている。ここを、発注する側も作る側も理解していないと、なかなか思うような作品に仕上がらない。そうでなくとも、素材不足やらスケジュール遅延やらで何かとトラブルに見舞われる界隈である。作りたいものが見えている、それが共有されている、というのは、口で言うほど簡単なことではない。『ふらいんぐうぃっち』は、音楽ももちろん、アニメーションやコンテの切り方にも工夫が見られ、見事に作品世界とそこで生きる人々を描き出した。結果から見れば、様々な点で恵まれた作品であっただろうという推測を、ついしてみたくなる。

 


 

楽曲オタクは、だいたいの場合、音楽の質――サウンドや作曲技術など――について議論する。一方、アニソンオタクなどは大抵「アニメでこうだった」「ライブでこうだった」と語る。これは、音楽の持つ様々な側面や、音楽の使われ方・楽しみ方の多様性に起因した差異である。重要なのは、自分が今どういう立場でどのように語っているのか、そこに自覚的であることだ。ここでは、音楽を「使う」側に立ちながら、できる限り様々なアプローチでサントラを俯瞰しようと試みた。実際には失敗している点もかなりあり、この失敗とは自らの内の不整理そのものであるので、反省したい。とはいえ、「使う」ことが前提の音楽が、使われる先の作品とどのように繋がっているのか、という観点は、是非とも持っていて欲しい。それは、アニメやゲームなど、様々な作品の音楽的側面を語る上でも重要なことである*1

 

 

2020年も素敵なサントラが世に出ますように。それはきっと、素敵な作品との出会いでもあるだろう。

 

 

(了)

*1:偉そうに言っているが、自分が一番できていない。

「CUE!」ミニライブ「See You Everyday」でソロライブ参戦デビューした話(兼、安齋由香里さんを推すエントリ)

この記事は、2019年11月3日(日・祝)に催された、声優育成コンテンツ「CUE!」のファーストミニライブについてのレポートである。その割には前置きが長いような気もするが、ともかく本題はそのつもりだ。ライブの内容にのみ関心のある方は、Ⅳのみ読んで事足りる。また、以下では、ある程度「CUE!」に関する用語も登場する。極力解説を加えているが、その点予めご理解いただきたい。

 

 

 

 


 

Ⅰ 2019年11月3日・朝

 

足の裏に、じわりと汗をかいていた。

 

目を覚ましてまず目についたのは、ぐちゃぐちゃになった、キャラもののブランケット。昨晩、朝方は冷え込むから、と、掛け布団の上から、足元に掛けておいたものだ。大方、脚だけ温められ過ぎて、寝苦しくなった私が蹴飛ばしてしまったのだろう。寝相の悪さには自信がある。

 

しかし、部屋が暑かったわけではない。むしろ、ベッドの頭側には、上半身が掛け布団を絡み取ろうとした、その跡が残っていた。丸まって寝ていたのか、腰にも違和感がある。何より、はみ出た頭が感じる空気には、清涼感以上の鋭さが宿っていた。

 

脚だけに掛けたのは失敗だったかな――。そう思いつつスマホを拾い、ベッドの上でソシャゲを動かしながら、一方で私は、もう一つの可能性に行き着いていた。全身から出ていないこれは、ストレス性の発汗ではなかろうか。もっと直接的に言おう。緊張して上手く眠れなかった可能性がある。たかがライブ、されどライブ。実のところ、客側の立場でライブ参戦するのはまだ2回目な上、ソロで突撃するのはこれが初めての経験となる*1。どこかに不安を抱えていても、不思議ではなかった。

 

不安というものは、考え始めるときりがない。今回の「ミニ」ライブは、どれだけ体力を必要としているのか。食料、水分補給のための物資は現地調達可能か。ペンライトなどライブに必要なアイテムは、当日の事前物販のみで対応可能か。そもそも、当日の事前物販で売り切れている可能性はないか。失敗した場合のリカバリ法はあるか。朝6時、普段はまだ寝言を吐き出している時間に、私の目は覚め切ってしまった。実のところ、前日に会場下見を行い、スタッフにもいくつか質問を投げていたので、これらの不安には、いずれも回答があった。だからまさしく、これらの疑問は杞憂だったのだが、そういう問題ではないことも重々承知していた。

 

下見といえば、会場たる池袋に赴いた際、ちょうど行われていたDay 1に参戦できていない、という僅かばかりの悔しさは抱えたが、それはそれ、これはこれ、という開き直りをするには、十分な時間があった。というより、私が「CUE!」に対して、そこで怒り狂うほど本気ではなかった、ということなのかもしれない。いや、前日に至るまで、自覚的に相当入れ込んできたという自負はあったのだが。

 


 

Ⅱ 前日譚・夏コミ

 

私と「CUE!」の出会いは、そう遡らない。せいぜい、2019年の夏コミ、その数日前程度までだ。元々、DIALOGUE+という謎のユニットが、有名な作曲・編曲家を引っ提げてデビューするらしいぞ、それと同じくらいの時期に、関連する声優育成ゲーが出るらしい、という噂は、音楽に強い知人から流れてきていた。とはいえ、私はさほど興味を示さなかった――そういう作曲を売りにしてくるユニットは、遅かれ早かれ出てくる宿命にあっただろう――ので、その噂はそこでおしまいだった。

 

流れが変わり始めたのは、私が夏コミの企業ブース出展一覧を目にした頃のことだ。なんにせよ、今年の夏コミは目玉がない。変則開催になったため、どの企業も前向きな参戦には尻込みしており*2、かつ、2019年の上半期に一世を風靡するレベルのコンテンツが現れなかった結果、どこのブースも商品ラインアップに力強さを欠いていた。これでは手持ち無沙汰だ――そう思った時、ふと、件の噂を思い出した。頃合いよく、例の音楽に強い知人や、私をナナシスのライブへと連れていった別の知人が、「夏コミ参戦できないが『CUE!』のCDは欲しい」とツイートしていたので、私は、夏コミに一般参加する目的づくりのため、代行を安請け負いしたのだった。

 

そういうわけだったので、夏コミ1日目、酷暑の中、次発のりんかい線に乗り込み、青海展示場への入場に成功するや否や、私はLiber Entertainment*3のブースへと直行した。ブースに形成されていた列はおおよそ想定の範囲内だった。やや少なく感じられた、というのが本音だったが、想定の下限、という意味では、まさしく想定内と言ってよかったように思う。

 

これなら2番目、3番目に回るプランでもよかったかな――私は、「CUE!」以外に目的を持っていなかったにもかかわらず、そんな呑気なことを、列の途中で考えていた。しかし、その思考は、突如妨げられる。ホームページで商品の最終確認をしていると、ある文字列が目に入った。「CUE!」の会場限定CDを購入した人に限り、サイン会に参加できるという。私は固まった。サインを貰える、という事実にではなく、サインしてくれる候補者が16人もいる、という事実に、だが。しかも、その16人、悉く名前すら聞いたことのない声優ばかりだった。私は結局、翌日以降は夏コミの企業ブースで仕事を抱えていたので、1日目にサインしてくれ、かつ、私が僅かに名前を耳にしたことのあった安齋由香里さんに、私の分含め計3枚のサインをお願いしよう、と決心した。

 

しかし、サイン会ということは、サインしてくれる相手と何かしらコミュニケーションが発生する、ということでもある。しかも、3枚もサインしてもらうのだから、私と安齋さんの間には、相当な時間が生まれるはずだ。私はさらに困ってしまった。一体何から話せばよいのだろう。ひとまず、彼女の名前を検索にかけてみる。私が安齋さんの名前を、似たような姓の声優と混同しないまま頭の片隅に置いていた理由は、少しすると見つかった。私に代行を依頼してきた知人とはまた別の知り合いが、東京大学五月祭で行われた彼女のトークショーに参加していたのだった。なるほど、これは使えそうなネタだ。私はひとまずほっとした。ただ、これだけで足りるわけもない。安齋さんのルーツである台湾の話を振るか? 今ちょうど、ほぼ並行して企画が始まったばかりの『ラピスリライツ』の話題にするか? そもそも、私が彼女の名前を覚えていたのは、五月祭だけが原因だったのか? 風も凪ぎ、耐え難い暑さになりつつあった青海展示場の野外休憩スペースでそんなことを考え続けていると、いつの間にか、汗でタオルが駄目になった。

 

サイン会の本番前、再び列に並ぶと、スタッフがCDの封を破るよう指示を出してきた。私は3枚のCDを開けると、ふと、疑問が浮かんだので、列整理のスタッフに声を掛けた。

 

「すみません。同じ声優さんに3枚サインを書いてもらえますかね?」

 

この手の質問は、本来、CDを買った時にすべきものだ。長い入場待機列での待ち時間もあり、日差しで思考がやられていたのかもしれない。

 

スタッフは、そんな私のタイミングを逸した質問に、しかし、一瞬考える素振りを見せた。

 

「構いませんが、3回列に並んでいただくことになりますね」

 

今度は、私が一瞬固まる番だった。正直に言えば、NGを出されたなら別の声優にサインを書いてもらう算段だったのだが、回答は斜め上から降ってきた。列に並び直す。3回。私は頭の中で反芻し、ようやく、スタッフの言わんとしていることを理解した。私は表面上、「ありがとうございます」と取り繕ったものの、裏では、「これ握手会で同じアイドルに並び続けるオタクムーブだよな……」と思案していたのだった。

 

しかし、何度サイン会の要項を見ても、安齋さん以外の名前はちっとも頭に入ってこない。何より、私と代行を依頼してきた2人、その誰に、誰のサインを渡すか、調整するのが大変だった。私は、そんな消極的な理由で、安齋さん3周オタクムーブを決め込んだのだった。

 

自分の1回目の番が近づき、最低限のエチケットとして、帽子による髪ハネを直し、新しいタオルで汗を拭った。そうこうしているうちに、安齋さんがどんどん近づいてくる。近づいているのは自分のはずなのに、なぜか、安齋さんがこちらに向かってきているように思われた。心臓が早鐘を打つ。いつの間にか、足の裏に、いつもとは違う汗がにじんでいた。

 

安齋さんの目の前に立ち、CDを渡す。挨拶をしようと、口を開く。喉から出てきたのは、おそろしく小さく、芯の無い声だった。

 

「すみません。今から3周します。よろしくお願いします」

 

「3周も? どうして?」

 

安齋さんの笑顔は眩しかった。私の視線は、自然とCDに向かって落ちていった。

 

「その……来れなかった哀しき男たちのために……」

 

色々とがっかりだよ、自分に。いくらなんでも緊張し過ぎだろう。キモオタのテンプレのような声、明らかに照れ隠しのセリフ。私がこんな人間だったとは、思ってもみなかった。

 

それでも、安齋さんは優しかった。

 

「そっか。それじゃ、その子たちの分も頑張ってね」

 

おそらくは、業務対応だったのだろう。私には、それで十分だった。あるいは、少し過剰だったかもしれない。私は、自分への失意を強く覚えながら、同時に、安齋さんへの残り2回の道のりを少しだけ楽しみにする余裕を持つことができた。

 

1回目のやり取りで肩がほぐれた私は、以降は、幾分かマシな受け答えができるようになったものだ。2周目では、想定どおり、五月祭のネタを振り、幾ばくかの成功を収めた。3周目、私は直前まで悩みながら、結局こう切り出した。

 

「安齋さんは、去年、『RELEASE THE SPYCE』で主役に抜擢されました。そのモモ役が絶賛されていたのを覚えています。一方、今回の『CUE!』では、当たり役だったモモとは180度違う、お姉さんタイプのキャラを担当されました。どのような点がチャレンジでしたか?」

 

安齋さんの視線と声が、少し硬度を帯びた。

 

彼女の回答を一言一句残すのは、控えておこうと思う。要点をまとめれば、「『RELEASE THE SPYCE』に登場する別のキャラを研究した上で挑んだ」だったが、実際には、その話し方や言葉の並べ方に、多くのニュアンスが含まれていた。ああ、これは当たりの質問だったな――私は直感した*4。私が安齋さんの名前を覚えていた本当の理由、そして、彼女が五月祭に呼ばれた理由は、『RELEASE THE SPYCE』で主演を務めていたからだった。私はその事実を思い出すと、安齋さんが『RELEASE THE SPYCE』について語っているネット記事を片っ端から調べ上げた。管見の限り、『RELEASE THE SPYCE』と「CUE!」の、しかも役柄を並べた記事はなかった。ひょっとしたら、どこかの雑誌に語っているのかもしれない、という不安を抱えながら、私はしかし、これ以上の質問を考えられず、突撃を決行したのだった。

 

結果としては、少なくとも私にとっては、成功と言ってよかったように思う。というのも、この質問を投げた時に見えた、安齋さんの別の表情が、私にとってはひどく好感の持てるものだったからだ。瞳の一番奥に宿った、真面目さ。安齋さんにしてよかった、そう素直に思ったのだった――ああ、これはもしかすると、安齋さんの勝利かもしれない。

 


 

Ⅲ 前日譚・「CUE!」アプリリリース後

 

ひどく消極的だった夏コミ前に比べ、夏コミ後といえば、それなりに、「CUE!」のリリースを楽しみに待てるよう変化していた。安齋さんのおかげだ。当然、推しも安齋さんが声を当てる夜峰美晴さんに決定した。

 

私にとって、アプリリリース前に推しを決めるというのは、初めての経験だった。いつもなら、初めて引いた最高レアがしばらくの推し、と考えているのだが。実際には、リセマラが面倒くさいだけなので、運命だとかなんだとか、オカルト的な理由に傾倒しているわけではない(全く信じていないわけでもない)。

 

しかし、リリース当日のリセマラは想像していた以上に面倒だった。最高レアである☆4は出る。出るのだが、美晴さんの☆4が出ない。出ない以上は、それ以外の条件がどれだけよかろうともやり直しである。夕方から始め、夜に入ってくると、「CUE!」のサーバーにアクセスが集中し、明らかにダウンロード速度が落ちた。これに、我が家ご自慢の無線事情が加わり、ロード画面でタイムアウトを連発する事態に陥ってしまう。結局、ようやく美晴さんの☆4を引けたのは日付が変わった後。初日のログインボーナスを逃してしまったのだった。

 

へとへとになりながら、アプリの外面をなぞっていく。数分経って、私は気が付いた。このゲームアプリに、おおよそのゲームが備えているようなインタラクティブ性は、ない。びっくりするほどオート任せのアプリだ。たとえば『アイドルマスター シャイニーカラーズ』なら、まだ辛うじて、タイミングを取ってタップする、という仕様で、こちらからリザルトに介入する余地が残っている。一方「CUE!」のアプリは、徹頭徹尾CPU任せだ。こちら側の介入余地は、作戦要素としてのキャラ選択・配置しかない。これで本当に大丈夫なのか。若干心配になった。

 

ただ、もうしばらく考えていると、これはこれで1つのチャレンジなのかな、という気にもなった。昨今のソシャゲは、あまり操作しない・操作させないのが基本だ。これには、ただでさえ多数のソシャゲをプレイしているユーザーに、隙間時間で触ってもらうため、という戦略が背景の1つにある。「CUE!」のアプリは、ある意味それを突き詰めているわけで、これはこれで一作なのかもしれない。尤も、そう言うにはスキップの速度が遅く、ややテンポの悪い側面もある。今後のアップデートで、方針が見えてくるだろう。

 

もう1つ考えたのは、このアプリの持つインタラクティブ性は、別のところにあるのかもしれない、ということ。たとえば、このアプリでは、1つのアニメを様々な声優の声当てで楽しめる。自分が育てた声優が、自分の選んだ作品に、自分の好みの役で出演している。なるほど、確かに、結果に対しプレイヤーが関与している。そもそも、この企画に選ばれた16人の声優=中の人、彼女たちそれ自体について、私たちプレイヤーの態度や企画への関わり方次第で、今後のあり方が変わる、と言えないだろうか。『ラブライブ!』以来注目されるようになった、声優とキャラクターを重ね合わせる手法それ自体、ある意味「インタラクティブ」なのかもしれない*5

 

いずれにせよ、コンテンツの拡充について高いハードルがある点や、宣伝のスタイルなど、大きな企業がバックにいないと難しい企画ではある。なるほど、確かに挑戦的な企画だ。

 

そういうことならば、プレイヤーとしては、ひとまずお金を出して、様子を見てみるよりない。折しも、「CUE!」のミニライブの当落が発表され、なぜか私以外の知人が全滅してしまっていたため、参戦する者として、半ば義務めいたものを感じながら、私は課金アイテムに手を伸ばした。ライブに行けなかった者の無念を晴らすため、私が胸を張ってライブへ行き、何かを掴み取ってこなくてはなるまい。そんな過剰な自意識が、私の中に芽生えた*6

 

しかしこのアプリ、Wind*7やMoon*8に推しがいるユーザーにはなかなかの修練を要求している。特にMoonは、そのシナリオを読むために、ランク50が必要だ。一応5桁単位で課金し、それなりに触っている私が、ミニライブ開催時点でランク48だった。既にランク50や60に到達している人は、アプリリリースから1週間、ほぼ「CUE!」しか触っていないのではなかろうか。

 

Windも似たようなもので、ランク30半ばが要求されているので、私は積極的にスタミナを回復した。このアプリは育成要素がかなりあるので、バランスを見つつ、課金石を溶かしていく。結局、ミニライブまでにWindの収録コンテンツ*9を完クリするという目標には一歩届かなかったが、美晴さんにそれなりの愛を注ぎ込めた、気がしていた。ミニライブ当日までは。

 


 

Ⅳ ミニライブ当日・ライブ本番

 

せめてライブ本番までは、「CUE!」に対し本気でいよう、という考えは、アプリリリース前から、なんとかライブ本番まで持ちこたえてくれた。ライブ直前も、池袋の某ドーナツ屋のカウンター席、その隅を陣取り、美晴さんの育成に励んでいたものだ。

 

ライブが開場となり、待機列が形成されていく。正直に言えば、私が引いたのは、後方スタンディング席の、それも3桁台の番号だったので、見える見えないについては、さほど期待していなかった*10。最悪地蔵を決め込んでもいいかな、と思うくらいには覚悟していたのだが、実際には、後方とはいえスタンディングの前から3列目を取ることができたので、ひとまずは胸をなでおろした。

 

隣の女性2人組は、どうにも絢推しだったのだろう。片方が、ペンライトをやや濃い青色に変えていた。同じWindのメンバーとして、美晴と仲良くやって欲しいな――呑気にもそう思ったが、よく見ると、もう一方の女性はペンライト4本持ちのガチ勢だった。なぜか親近感を覚えつつ、今度は前を向く。手前の男性2人組は、私と同じ「臭い」がした。彼らの話を立ち聞きしていると、とうとう「安齋さん」「美晴さん」というフレーズが漏れ聞こえてきたのだった。なるほど、同志である。一方で、私と違い、おそらく相当の数の声優イベントに参加してきたのだろう。他の会場のキャパや声優コンテンツ事情に踏み込んだトークが続く。その周りにいた人も、触発されたように深い話題に入っていった。どこかから、声がする。

 

「このコンテンツは、新人声優を育てるんじゃなく、新人マネージャーを育てるものなんじゃないか」

 

周りがどっと沸いた。私も笑ったものだ。なんにせよ、後ろのスタンディング席は缶詰め状態。所謂後方彼氏面がギリギリできるかどうかという水準まで人が詰まっていた。手前の男性2人組のうち片方は、昨日前方指定席を掴んでいたらしく、

 

「これ声優コンテンツじゃなくて『CUE!』に惹かれてきた新人は嫌になっちゃうよ。格差が凄い」

 

と発言していた。

 

開演にはまだ時間がある。彼らの話はどんどんヒートアップし、いよいよ安齋さん・美晴さんの話題ばかりになってきた。片方の男性が自慢気に、「一瞬だけとはいえ、11月の絆ランキング*111桁だったから。今はもうだいぶ下がったけど」と話せば、もう片方の男性が、「そういえば、安齋さんは美晴ガチ勢らしいよ」と返す。――なるほど、安齋さんはガチ勢なのか――。そういえば以前、声優に詳しい、五月祭に参加した件の知人が、安齋さんはソシャゲに強い、と言っていた気がする。私も、徐にアプリを起動して確認してみた。確かに、彼女ではないかとされるユーザー名の人が、美晴の月間ランキングにも累計ランキングにもいる。ただ、確証は持てないので、やはり風聞程度に扱っておいた。何より、私は面伏しの心持ちになってしまっていたのだ。私の美晴さんランキング、月間も累計も、その時点で未だ2桁上位。少しばかり、愛を注ぎ過ぎたかもしれない。

 

隣の2人組も前の2人組も、まだ話し足りない、と感じていたであろうタイミングで、スクリーンに映像が映った。キャラクターによる諸注意だ。ナナシスの時は初めてだったので驚いたが、今回は用意しておいた対応でなんとかなった。

 

なんとかなりそうかな、という私の安心を打ち砕いたのは、その後のこと。「Forever Friends」のイントロが流れ、舞台袖が俄に騒がしくなる。手拍子を打つ者あり、ペンライトを掲げるものあり――私は、じっと静かに、人の隙間から舞台を窺っていた。ようやく演者たちが入場する。静寂と演者の登場との間を繋いでいたイントロだけの瞬間も、振り返ってみれば、数小節分にも満たない長さだった。それを認識し得ないほど待ちわびていた私が最初に持った感想とは――

 

演 者 が デ カ い っ ! ?

 

なぜだろう、演者が相当大きく見える。物理的に巨大なわけがないので、つまりこれは、後方席と舞台の距離が近い、ということだ。後方席が一段以上高くなっているので、入ったその時に、ステージとの距離について、目測を誤っていたのだ。私が以前、イベント運営側で関わっていたライブも500人規模のオルスタ会場だったが、その時は全面フラットだったので、そのノリで計算していたのが完全に裏目に出ていた。テンパる私、進む楽曲。その上運のいいことに、「Forever Friends」ではかなり長い間、安齋さんが向かって右側、私のいるサイドに寄っていた。かなりしっかりと目視できる。私は色んなものをかなぐり捨てた。多分、腐れ切ったプライドとか、明日の体調とか。

 

ポニーキャニオン謹製のライブハウスたるharevutaiは、音響もよかったような気がする。この辺り、私は音響の専門家ではないし、ライブ経験も浅いので、突っ込んだことは言えないが、少なくとも私は満足した。この低音を聴きに、私はチケット代を払ったのだ。あと安齋さんを見に*12

 

大満足の「Forever Friends」が終わると、トークコーナーが始まった。全体を通して、現時点での持ち曲の少なさもあり、トークコーナー、ゲームコーナーがかなり長めで、大きなライブ公開収録に参加した気分でもあった。いや、ライブの質それ自体には相当満足しているので、よいのだけれど。それに、トークやゲームのコーナーもかなり面白かった。声優どうしの絡みが多重に渡って展開され、The 観客の求めているグダグダさ加減、それそのものがお出しされた印象だ。声優の一挙手一投足が可愛いか面白いかだったし、それに「可愛い~」「エモい」と反応する声優も可愛かった。眼福。

 

最初は、ニコニコでのLV視聴者による投票で勝敗を付ける、ユニット対抗トーク対決だった。リアルに賞金があるので声優は皆アピールに必死。各ユニットの色が見えて、なかなか関心させられた企画だった。元気いっぱい、全員の矢印が違う方向を向いているように見えて、実は超真面目なのがBird*13。Birdのその素直さには意表を突かれたが、「こんなにいい子では投票で勝てないだろうな」とも直感した。それくらいいい子だったのだ。ゲームのお題に対してまっすぐだし、他のユニットのメンバーに対してもまっすぐだ。とても好感の持てるユニットである。Flower*14は、一番想定どおりだったかもしれない。内山悠里菜さん(陽菜役)を中心としたユニットに「しようとしている」のがよく見えた。Moonは180度印象がひっくり返った。いや、私がまだシナリオを読めていなかったからかもしれないが、特に聡里役である小峯さんのノリの良さ、トーク力には相当関心した。これはイベントやラジオをする程人気が出るだろうな、と思っていたところ、案の定このゲームコーナーでは投票1位になり、MoonがiTunesカード5,000円を手にしたのだった。

 

この辺りから徐々に、Windがどういうユニットなのか見えてきた。Windは、キャラクターと声優の個性こそ違えど、本質的にプロデュースのされ方が同じだ。「お茶目な大人」がそれである。Windのメンバーは、とにかくよく喋る。そういえば、いつぞやのtwitterで、そんなことを誰かが呟いていた気がする。メンバーだったか「CUE!」公式だったかは失念してしまった。

 

そして、その「お茶目な大人」というあり方が、Windメンバーにも自覚されているのが面白い。トーク対決のお題の1つは、「自分のチームのかわいさを一言で!」だった。他のユニットもカラーを見せる中、Windはデカデカと「のり」と書いていた。何故に平仮名なのか――その疑問は解決されなかったが、本人たちも、「Windはノリがいい」と言及していたのはよく覚えている。

 

各ユニットのカラーが見えたといえば、その後に引き続いたWind対Moonのクイズ大会もなかなかのものだった。この対決と、FlowerとBirdによる同一のクイズコーナーに挟まれる形で、ユニット曲が2つ挟まった。Flowerの「One More Step!」はパーカッションのサウンドが印象的な楽曲だ。そのパワーに負けないようサビを歌い上げるのは案外難しいはず……なのだが、Flowerの声にはパワーがあった。ボーカルが終始安定していて、こちらとしてもノリきれた、という印象だ。

 

Birdの「ドリ☆アピ」は曲が強い。この曲の、作曲ではなく歌詞に言及しようとすると、どうしてもBirdのシナリオに触れざるを得ない。未読のプレイヤーのために泣く泣く割愛するが、1つだけ言っておくと、Birdは、表面上(=シナリオ上)そう見えている以上に、悠希(キャラクター)のためのユニットだ。それだけに、他のキャラクターや、他の声優=中の人の掘り下げや、お互いの絡みが必要とされている。今から入って追いかけるなら、このユニットかもしれない。曲もいいし*15

 

FlowerとBirdの楽曲披露とクイズ対決が終わってから、WindとMoonの曲披露があった。Windの「Steppin' Girl」は、一聴した時から諸々驚かされる曲だ。もう少し落ち着いた曲の方が、ユニット間の違いが出るのではないか――初めて聴いた時、そう感じたものだ。しかし、これも結局、Windのプロデュースの方向性を考えれば当然の選曲で、むしろBirdの方に「ドリ☆アピ」を持って行って正解なのである。まっすぐで無垢な心でなければ「ドリ☆アピ」は難しいし、人生の辛酸を多少知っていなければ「Steppin' Girl」の明るさが出ない。

 

ユニットの今、声優=中の人の今、そしてプロデュースの方向、という意味で言えば、Moonの「ヒカリニ染マル未来」は、もう少し経ってから聴いてみたい楽曲でもある。もちろん、今この瞬間にしかできない歌い方というものがあり、その「今できる歌い方」「今すべき歌い方」が変化していくことこそ、アーティストを追いかける喜びそのものである、という事実は、言うまでもない。ユニット曲4曲中明らかに毛色の異なるものはこれだけであり、それがMoonに当てられているのは示唆的だ。ボーカルとダンスのパフォーマンス、映像・レーザーなど視覚表現の面で、現時点でも完成度が高かった。ただ、たとえば僅か半年後に予定されているZepp Tokyoでのライブの時点でも、今とかなり異なる歌い方になるのではないか。そう予想するし、そうであって欲しい――もしそうなら、特に注目すべき存在であるように思う。

 

それだけに、Moonが現時点で熱狂的なファンを多数抱えているのはちょっと不思議だった。4ユニット中一番観客の元気がよかったのはMoonだったのだが、私はむしろ、いい意味で、これからのユニットであるように思う。どのユニットもこれからだ、というのは正論であるが。

 

そういえば、この辺りで、「俺が○○の初代1位や~! 絶対結婚しような*16!」と叫んだ人がいた気がする。申し訳ないが、私は、ちょっとほっとした。というのも、各プレイヤーが自分の推しキャラについてだけ見た場合、すなわち、各プレイヤーにとって一番絆ランキングの高いキャラを抜き出してきた時、私よりも高い順位を記録しているユーザーが、もしかするとこの会場にいないのではないか、と思っていたのだ*17。私ごときが一番ではちょっと面目ないので、こんなことで安心してしまったのだった。同時に、「やっぱり結婚宣言は1位経験者じゃないとダメだな」と一瞬思ったが、これはすぐに思い直した。安齋さんは、平気で美晴を嫁宣言している。最近、このような「キャラクターを愛し過ぎた結果、キャラクターと声優を過激に分離させてしまう」声優さんをよく見る気がする。『刀使ノ巫女』の某女史などなど。

 

余談が過ぎた。Moonのユニット曲が終わると再び全体パートに入った。新披露のカップリング曲「さよならレディーメイド」が先に入り、最後に、「Forever Friends」をもう一度披露した。「さよならレディーメイド」はタイトルからして自己言及的な楽曲だ。おおよそこの「レディーメイド」という語は否定的に使われることが多く、この曲でも、歌詞の詳細は記憶していないが、あの角ばった手触りのする曲調からして、強く肯定的なニュアンスで捉えられてはいないだろう。この曲で印象的だったのは安齋さん。むしろ、この曲になってから気づいた、と言うべきだが、安齋さんは、ダンスが上手い。周りの人に比べ、キレがあり、動きが大きい。この曲で見せた眼差しの確かさも、私の中で、夏コミの時垣間見た何かと微妙に重なり合いズレ合って、ズンと深くまで入り込んできた。この人は、どこまで向かっていくのだろう。彼女の向こう側を見せてくれる彼女を推していてよかった。そう本気で思った。

 

そういう視点で2度目の「Forever Friends」を鑑賞すると、なるほど、安齋さんの「確からしさ」というのは、どうにも眼差しだけではないようだと気が付いた。夏コミの時に見た、硬さのある視線は、愚直に捉えるならば、彼女の真面目さを表しているように思えてならないが、今ここで取り上げたいのは、安齋さんの切り替わり方の方である。愛想がよく柔らかで、トークも軽快、絡みも早い、という彼女と、「さよならレディーメイド」の時の彼女には、大きな隔たりがあるように、一見すると思われる。実際には、どちらも、真面目な彼女なのである。求められている姿、自分の情動、その狭間で、安齋さんは自分のあり方を変えながら、一瞬ずつ丁寧に生きている。そのダイナミックな生がもたらす、刻み込むような確からしさに、私は参ったのだ。

 

その意味で言えば、やはり、夜峰美晴という役は、安齋さんにとって挑戦なのではなかろうか。役に応じて変化できることは、声優というより、何かを演ずる者誰しもにとって必須の素養であるが、こと、上述のとおり「キャラクターと声優=中の人の成長を並列化させる」ようなコンテンツの中にあり、かつ、Windというユニット全体のプロデュース方向がある中で、「安齋さん」本人がどう変化していくのか。安齋さんに限らず、私たち全員にとって、「私」という固有名詞付きの何かが確固として存在するのかどうかまで含めて、関心がある。

 

いずれにせよ、安齋さんの生は美しい。それが実感できただけでも、今回のミニライブには満足している。終演後、会場を出ると、なぜか朝と同じくらい肌寒かった。見れば、全身が汗ばんでいて、それが蒸発していったようだった。いつの間に、朝の、寒さと緊張で強ばっていた身体は、解き放たれていたのだろうか。なるほど、「Live 'a' life」。1つの生を生きている実感を、確からしい生から受けて帰ったのだった。

 

 

(了)

 

余談:

終わった後、アプリに5,000円、シングルに10,000円、お金を積んだ。シングルには、もう少しお金をかける必要があるかもしれない。

 

 

*1:初めてのライブは2019年6月のナナシスだったが、その時は参戦理由からして知人の余った連番が流れてきたから、というものだった。この時の様子は、別のエントリにレポートとしてアップしている。

*2:この手の話は、実際に出展する企業にいるとよく耳に入ってくる。

*3:「CUE!」の運営元。なお、「CUE!」の音楽には、ポニーキャニオンが関わっている。

*4:あるいは、安齋さん業務モードが一層強くなっただけなのかもしれない。

*5:この施策自体は、以前からあったものかもしれない。ただし、新人声優のサクセスストーリーとコンテンツ内のキャラクターの成長を重ねるスタイルが業界で注目されるようになったのは、明らかに『ラブライブ!』以降だろう。

*6:あるいは、この時点で既に、「CUE!」の持つ得体の知れない魅力に気づき始めていたのかもしれない。

*7:「CUE!」に登場する、声優たるキャラクターが結成したユニットの1つ。私の推し、美晴さんが所属するのはこのユニット。

*8:「CUE!」の企画内部にあるユニットの1つ。

*9:「CUE!」のアプリ内にあるコンテンツの1つ。育成した声優を配置し、収録へ参加させ、スコアを獲得する。3段階ある難易度のうち最も高いものはS判定クリアのために相当の育成が必要。

*10:このあたりも、ライブを運営する側になってみると、会場のキャパからおおよそ計算できるようになる。尤も、今回はその見込みがいい方向に外れたのだが。

*11:キャラごとに用意されている、全プレイヤー対抗の好感度ランキング。累計部門と月間部門がある。ここで男性2人組が話しているのは、11月1日からスタートした月間ランキングのこと。

*12:どちらが主目的かは、説明するまでもない。

*13:文脈的に指摘するまでもないことだが、「CUE!」のユニットの1つ。

*14:やはり、「CUE!」のユニットの1つ。

*15:あと、悠希役の鷹村さんが思っていた以上に可愛かった。新規層を惹きつけるため敢えて無粋な言い方をすれば、ストレートに顔面偏差値が高い。

*16:両者の名誉のためキャラクター名は伏せる。

*17:私の具体的な順位は、特定を避けるために表記を控える。

<3訂版>初心者のための『あいりすミスティリア!』(あいミス)

3訂版に寄せて

 

まさか3訂版を出さねばならなくなるとは、色んな意味で驚きである。辺境の弱小ブログにおいて、安定して相当のビューを得ているので、流石に申し訳なくなってきて、前のものから情報の更新を試みた。一周年記念、ということにしておきたいと思う。

 

なお、改訂に際し、参考のため『あいミス』のキャプ画像を追加した。このブログは無論非営利だが、問題がある場合は削除する。

 

 

改訂版に寄せて

 

以前、ウィルちゃんのかわいさを垂らし流すついでに書いた『あいりすミスティリア!』(18禁DMM版は『~R』、以下どちらも『あいミス』表記)の初心者向け記事が、なぜかやたら閲覧されている。おそらく、どこも攻略情報を書いていないからなのだろう……。

 

とはいえ、流石に情報が古くなってきたので、一応あんな記事を書いてしまった身として、AndroidiOS版がリリースされるまさにこの時期のために、新しく初心者向けのガイドラインを残しておこうと思う。

 

目次

 


 

1.リセマラは必要?

 

結論: いらん。

 

多くの人は勘違いしているが、『あいミス』は根本的にヒロインとのコミュニケーションやヒロインの物語を楽しむ作品だ。18禁版はベッドシーンもある。リセマラは、「このキャラかわいい!」と思った段階で終了していい。当然、一発目で来る可能性もあれば、なかなか引けないこともあるだろう。その意味で、リセマラは生じるかもしれない。ただ、ゲーム攻略が~という話になると、リセマラはあまり意味がない。

 

攻略上、「今このキャラがいればなあ」と思うことはあるが、基本的には好きなキャラに愛を注ぎ込めば、それが低レアだろうとキチンと活躍の場を作ってあげられる。『あいミス』は、そういうゲームだ。

 

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▲トップ画面に座する愛しのウィルちゃん。イベントCGは色々不都合が多いので流石に差し替え。なお、過去のイベントCGは回想から閲覧できる。

 

 


 

2.じゃあガチャは無視していい?

 

結論: とりあえず引けるだけ引け。

 

じゃあ初心者のうちから石を貯め、好きなキャラの限定が来たらぶん回す、という方針でいいのかと言われると、これは明確にNOだ。

 

『あいミス』の戦闘システムにおいて、一番重要な要素は属性だ。各キャラの各カードには、予め<力・芸・知・理・心>の5つの属性が割り振られている。通例、めんどくさいので色で判別している(左から対応して<赤・緑・青・紫・黄>)。

 

『あいミス』では、エネミーに対して有利な色であれば、Rでも採用できる可能性が高い。敵によってはNでも採用する。逆に、色が不利の場合、SSRでもお留守番だ。

 

とはいえ、始め立てのプレイヤーに、キャラが全体として育っていない状態でRやNを使えというのも酷な話だ。なので、基本的には、

 

・全ての色でSRが1枚以上ある

 

という状態になるまで、ガチャを引き続けることをオススメしている。

 

このゲームでは、SR以上には必殺技にあたる「萌技」が与えられている。また、SR以上になると、戦闘中何回か使える「スキル」や、パッシブで発動する「アビリティ」に強力なものが増えてくる。なので、各色にSRが1枚あると、一気にストレスが軽減されるだろう。

 

余談だが、このゲームでは、SRのスキルやSSRのアビリティをRやNにも付けることができる。『あいミス』において、RやNでも活躍できるもう1つの理由は、ここにある。

 

キャラは基本的になんでもよい。最後に付録としてキャラの特徴を羅列しておくので、必要な場合は参考にして欲しい。

 


 

3.ガチャ回しも終わった! 次に何をすれば?

 

『あいミス』は、チュートリアルが残念なことに定評がある。というか、育成要素が多すぎて、初心者ではとてもとても全容を掴みきれない。

 

初心者がまずすべきことは、下の2つのうちのどちらかだ。

 

(イ)メインシナリオの周回

(ロ)イベントの周回 (※開催中の場合)

 

順に説明していこう。

 

 

(イ)メインシナリオの周回

 

なんだかんだ、どのゲームでもメインシナリオは大事だ。『あいミス』もその例に漏れない。

 

メインシナリオは、その内容自体、『あいミス』のウリの1つだ。高名なエロゲブランド・オーガストが作成している、肝いりの物語なので、これ自体も楽しめるだろう。

 

一方、メインシナリオはキャラの育成の面でも大切だ。というのも、メインシナリオでNカード(聖装)がドロップするからだ。

 

Nを回収するメリットは大きく2つある。1つは、N聖装に付いているアビリティの強化が行える点。もう1つは、N聖装強化が条件になっている「ポテンシャル」の開放が可能になる点だ。

 

このゲームにおいて真っ先に強化すべきなのはアビリティだ。アビリティの効果はすさまじく、たとえば代表的物理アタッカーのソフィについて見てみると、NアビリティをMAX強化するだけで攻撃に34%のボーナスが付く。中途半端に育てたR/SRアビリティや、使いどころが限定されるようなSSRアビリティよりも、Nアビリティのシンプルな効果が優先されることも多い。なので、初心者はまず、Nを集めてアビリティを強化した方がよい。

 

もう1点、別の育成要素として、「ポテンシャル」というものもある。こちらは、キャラ全体を強化するものだ。『あいミス』では、あるキャラ1回の編成につき、アビリティを3つまでしか装備させることができない。一方、ポテンシャルは、付いているアビリティに関係なくいつでもそのキャラに対して有効だ。アビリティが具体的な敵やクエストを念頭に置く作戦要素だとすれば、ポテンシャルはキャラそのものを底上げする純然たる育成要素だと言えるだろう。

 

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▲ルージェニアにN聖装のHP強化アビリティと最大HPアップポテンシャルを付けた状態。いずれもLv. 3だが、効果量には大きな差がある。

 

N聖装のレベル上限を上げ、さらにレベルを上げていくと、N制服なら敏捷、N私服なら防御のポテンシャル開放が視野に入ってくる。ただし、ポテンシャルはいつでも有効な代わりに、アビリティに比べステータス強化度合いが小さい。たとえば、ソフィの攻撃ポテンシャルはレベル1で+4%だ。レベル1のNアビリティ(攻撃up)は、優に2桁%を超える上昇率である。なので、最初はアビリティを強化した方がいい。

 

 

(ロ)イベントの周回

 

一方、イベントも重要だ。『あいミス』では、基本的に隙間なくイベントが組まれている(例外は、メインシナリオに追加があった場合など)。

 

イベントには幾つかパターンがあるが、そのいずれでも、基本的には

 

・イベント限定SR聖装

 

が入手可能だ。上述のとおり、SRは大事なので、それだけでも嬉しいものだ。

また、イベ限SRはイベント中かなり数が手に入る。これはつまり、SRのアビリティやSR聖装そのものの強化がとてもやりやすい、ということだ。この機を逃す手はない。

 

イベ限SRはその後の入手機会も限られるので、基本的にはイベントで完凸を狙いたい。ただ、初心者には難しいこともあるので、そこは無理せず、上の(イ)と様子を見ながら進めてみて欲しい。イベントの詳細については、後ろの章で触れたい。

 

 

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4.ヒロイン以外の育成要素は?

 

『あいミス』では、ヒロイン以外にも幾つか育成要素がある。まず、プレイヤーレベル。こちらは、やっていけば自然に上がる(というか、逆に狙っても伸びない)。戦闘中発動可能な「冥王スキル」や、スタミナに当たるBPの上限に影響する。が、こちらは工夫して伸びるものでもないので、焦らずのんびりと構えていて欲しい。

 

もう1つ、こちらが重要なのだが、

 

・学園の施設レベル

 

を上げることもできる。

 

こちらは、クエストクリア時などに入手できる「冥界銭」を消費することで育成可能だ。学園は、ヒロインのコミュを発生させるのに重要な他、ポテンシャルの開放に必要な「ポレン」の唯一の入手先でもある。基本的には、学園用のスタミナであるAPを消費して、ポレンを集めていくのが日課になるだろう。その他、やはり一部ポテンシャルの開放に必要な「鍵」、キャラ用(聖装用)の経験値アイテムである「珠」、それから各種スキルのレベルアップに必要な素材が手に入る。

 

学園の施設レベルが上がっていけば、当然手に入るものの量や質も上がっていくので、ひとまずは

 

・学園全施設レベル3

 

を目途に頑張って欲しい。

 

学園の仕様も最近リニューアルし、1施設に2キャラ配置することは絶対条件ながら、一度に動かす施設の数はプレイヤーが決められるようになった。お気に入りのキャラを一気に強化したい場合は、1施設だけ動かした方がよいだろう。もちろん、薄く広く動かすのもアリ。

 

冥界銭は、各種クエストの報酬としても貰えるが、専用のクエストもある。「出撃」メニューから「曜日クエスト」を選択すると、「冥界銭ハント」というのが目に付くだろう。各レベル1日2回までの制限付きだが、BP消費1で挑戦可能だ。『あいミス』では1分で1BP回復するので、事実上BP消費無しだ。なお、挑戦回数は石を割れば回復可能だが、流石にそこまでするメリットは通常ないので、推奨していない。

その他、試練コンテンツでもかなり稼げる。試練については7章を参照して欲しい。

 

 

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5.コンテンツやクエストで詰んだ! なんだこのゲーム!

 

基本的に、各色につきSRが1枚以上あれば、それなりにサクサクとクエストを進められるはずだ。ただ、一部コンテンツやクエストは(様々な事情で)難度が高くなっており、そこで詰む可能性は否定できない。具体的には、

 

・メインシナリオ2-9・5-16・6-10・7-15・7-16

・イベントの高難易度クエス

・レイドボスイベントの高難易度

・階層が高い試練コンテンツ

 

など。

 

その場合、以下の要素をチェックしてみて欲しい。なお、レイドボスについては下のイベント周回の章で具体的に指摘しているほか、試練コンテンツについても章を改めて解説している。

 

(イ)色は(特にボスに対し)有利を取れているか?

(ロ)アビリティは強化されているか?

(ハ)相手は物理/魔法のどちらかに強くないか?

(ニ)特定のキャラ/特定のスキルが有効でないか?

 

 

(イ)色は有利を取れているか?

 

上述のとおり、基本的に『あいミス』は色ゲーだ。SSRの強力な素のステータスに甘えていると、頻繁に詰んでしまう。そういう時は、一度騙されたと思って、有利色のRにSSRのスキルや強化したアビリティを付けてみて欲しい。

 

ちなみに、メインシナリオ2-9や5-16で詰んだと騒ぐ人の7割は、この(イ)が原因である(※個人の感想)。

 

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▲初心者にとって一つの壁である5章ボスクエスト。紫にBOSSの表示が出ているのだから、有利を取れる黄中心で組んでみたい。

 

 

(ロ)アビリティは強化されているか?

 

これも既に書いたとおり。Nアビリティすら強化していない状態で出撃すれば、それは詰んでしまうだろう。メインシナリオ2-9・5-16で詰んだと騒ぐ人の残り3割はこちらが原因。

 

 

(ハ)相手は物理/魔法耐性を持っていないか?

 

こちらは状況依存なのでなんとも言えない。確かに、一部の敵は物理または魔法のどちらかに強いことがあるので、物理ばかり、魔法ばかりの編成で挑んでいる場合は、メンバーを一部変えてみるのもアリだろう。

 

 

(ニ)特定のキャラ/スキルが有効ではないか?

 

これは(ハ)よりさらに限定的なシチュエーション。たとえば、相手の回避率が異様に高い、状態変化「飛行」バフを使うせいで、ろくに物理攻撃が当たらない、などの場合、ティセの持つ落とし穴スキルが非常に有用だ。また、相手が単体のボスの場合、SRポリンの持つ被ダメ時デバフのアビリティが強力なケースも多い。

 

このように、状況依存的な攻略は、それこそネットの海を漁るか、自分で色々試すかして見つけてみて欲しい。

 

 

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6.イベントはどう進めればいい?

 

『あいミス』におけるイベントは、幾つかのタイプに分類できる。最も大きな括りで分けるのであれば、

 

(イ)学園要素が絡むイベント

 ・ クエストだけのイベント

 

と分類できる。クエストだけのイベントは更に、

 

(ロ)イベントアイテムをショップで交換するイベント

(ハ)クエストに応じて順繰りにミッションを達成していくイベント

(ニ)レイドボスイベント

 

に分けられる。

 

全てのイベントに共通して、目玉は、

 

・イベ限SR

 (※SR+も性能はSRと同じ。18禁版で濡れ場があるかどうかの違い)

・聖片

 (※付録の「キャラ育成要素まとめ」にある「萌具」参照)

 

であり、その他、

 

・限定召喚チケット

SSR素材(特に宝石)

SSR萌具強化素材

 

を狙っていくことになる。

 

 

(イ)学園周回型イベント

 

このタイプのイベントでは、学園で手に入るイベントアイテムを、時間経過で開封していく。開封するイベントアイテムのレアリティによって、開けた際に貰えるものの水準が上がる。また、レアリティを問わず、イベントアイテムを開封した個数にミッションが定められている場合がある。

 

2019年10月復刻イベントより仕様が大幅に変わった。以前より旨味が少なくなったものの、クエストを介さない学園単独でのイベントになったため、他のイベントと重なっての開催が可能になっている。また、イベント期間も大きく伸びた。

即時開放はチケット式になった。チケットは毎日1枚配布、3枚まで貯めることが可能。基本的にはSSRか、引きが悪ければSRに使いたい。個数ミッションがない場合、特にRを開放する意味が薄いので、引いた段階で捨ててしまってよいと思う。

 

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▲リニューアルされた学園イベント。特効SSR・SRは、所持しているだけで効果がある。

 

 

(ロ)イベントアイテムをショップで交換するイベント

 

なんのことはない。出来る限り高難易度のイベントクエストを、できるだけ沢山周回すればいいだけだ。

ポイントは、最初はイベ限SRを入手し、イベントアイテムを大量に入手できる環境を整えておくこと。これはどのイベントでも共通して言える。

 

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▲ショップ>イベントタブをクリック/タップすれば、交換画面に遷移する。イベント特設ページからも移動可能。

 

 

(ハ)順繰りにミッションをこなしていくイベント

 

専らクエストクリア回数か、イベントアイテムの入手個数にミッションが定められているイベント。ほとんど(ロ)のイベントと同じなのだが、こちらはプレイヤーが自分で報酬を選んでいくことができない。(ロ)の場合、ショップでどの報酬と引き換えるかはプレイヤーが決定できるが、(ハ)タイプの場合、それはできない。

 

 

(ニ)レイドボスイベント

 

ぶっちゃけるとレイドボスは初心者には強すぎるので、無理して超級や絶級を目指さず、自分のできるレベルに合わせて周回して欲しい。どのレベルでも周回しておけば限定召喚チケットなどが入手できるので、そこは心配せずとも大丈夫。イベントアイテムを入手し、ミッションなどを通じて報酬をゲットするのは他のイベントと同じ。

 

絶級Lv. 100攻略のコツは幾つかあるが、いずれも相当の練度を求められるので、自分の成長度合いを確かめる、程度の感覚でよいかと。また、育っている色によって体感難易度が相当異なる。一応列挙しておくと、

プリシラの初期実装SSRを手に入れ、前衛反撃率アップアビリティを活用する。

フランチェスカの1周目(2枚目)SSRを手に入れ、スキル「火の鳥」を初ターンに使う。クルチャの最大HPアップスキルでも代用可。

・適宜冥王スキルを活用する。主に回復、防御アップなど。

・前衛物理攻撃主体の編成にし、ソフィ・ルージェニアなどの反撃率高めのキャラや、リディア・ギゼリックなどの瞬間火力に強みを持つキャラを多く採用する。

・アシュリー・ソフィやラウラ、後衛物理ならティセ、魔法ならラディスなど、1ターンで複数回行動できるキャラの採用を検討する。

など。繰り返しになるが、かなり難易度は高い。

 

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▲レイドボス絶級Lv. 100の編成例。必ずしもSSRだけを採用するわけではない。

 

なお、レイドボスイベントは、終了後ある程度経過すると、チャレンジクエスト「深淵の封穴」にソロ用コンテンツとして追加される。こちらは20ターン縛りに緩まっており、クリア報酬も美味しいので、余裕があればプレイしたい。プレイには「九皐湛湛の親鍵」が必要だ。曜日クエストのドロップや、イベントでの引き換えにて入手できる。

 

 

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7.試練コンテンツがなんも分からん! 敵強すぎでは?

 

2019年の中盤から追加されたコンテンツ・試練。まあその理不尽な仕様にはただただ驚嘆するばかりだが、実際周回すると色々美味しいこともあるので、無視できないのが現状だ。これでも初期実装時より難易度は低下し、周回にかかる時間も短くなっているので、根気強くプレイして欲しい。とにかく、1周目で折れないことが大事だ。

 

試練独自の仕様は以下のとおり。いずれも非常に重要なので、頭の片隅には入れておいて欲しい。

 

・試練には普通のクエストとは異なる独自編成を組む必要がある。

・一度出撃したキャラは、レアリティに応じた休憩時間を消化するまで、再出撃できない。

通常の回復スキルや回復萌技は、階層が進むにつれ、その効果量が大きく減退する

冥王スキルの回復や、割合回復である再生、蘇生スキル発動時のHP回復量は、上の減退の影響を受けない。

・10の倍数の階層ごとにセーブが入り、この時、状態異常とバフ・デバフがリセットされる。体力はキープされるが、最大HPアップのバフは破棄される。

・10の倍数の階層をクリアしていた際にダウンしていたキャラは、次の階層へ進むことができない

・一度100階層をクリアした場合、2周目以降、スキップチケットを消費して、10の倍数の階だけの戦闘にすることができる(=10回だけのバトルにすることができる)。この場合でも、報酬は100階分獲得できる

・こちらの編成が全滅した場合、相手のHPは全快せず、現在の状態が維持される。状態異常はリセットされる。

 

これらの仕様を理解していないと、次のようなミスが起こる。

 

・10階層目にて、一人ダウンした状態で蘇生スキルが間に合わず、次の階層から4人で攻略することになった。

・冥王スキルのうちバフ効果のあるものを10の倍数の階層で使ってしまい、わずか1回の戦闘でバフがリセットされてしまった(100階層除く)。

・60~70階層を超えているのに、クリスのスキルをHP回復技で固めてしまった。その結果、たかだか3桁の回復のために1ターン消費してしまった。

・深い階層で敵が強すぎて全滅してしまい、諦めた(敵のHPはキープされるので、時間をかければ確実にクリアできる)。

 

これらのミスはいずれも致命傷になりかねない。特に一番下のミス(?)は、初期仕様の試練を知っている人ほど陥りやすい罠なので注意したい。

 

休憩時間の消化に際して、貴賓室を使えば時短を図ることが可能だが、現状2キャラしか使用できないため、大した効果を期待できない。今後拡張できるようになった場合は、積極的な使用を考えたい。

 

試練では、概ね1週間に1回、報酬がリセットされる。それとは別に、ほぼ1ヶ月に1回、合計クリア報酬も清算される。後者ももちろん重要だが、より注意したいのは前者だ。SSR宝石素材が手に入る他、今後実装予定の強化コンテンツで使う(とされている)素材も入手できるので、最低週に1回は触りたい。今はスキップチケットが使えるので、1ダンジョン15分ほどでクリアできるはずだ。

 

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▲試練は一度クリアしてしまえば、恒常的に10階ごとのスキップが可能。最近はスキップチケットの入手も容易になった。

 

また、地味に冥界銭をがっぽり稼げるのもポイント。最近は中級者以上でも、やれ学園レベルアップだの萌具強化だので消費量が増えており、重要度が増している。

 

試練コンテンツは、とにかく諦めないことが一番大事かと思われる。そのうち目途が付くようになるので、このページの付録B・キャラ紹介なども参考にしながら、折れずに頑張って欲しい。

 

 

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8.だいたいやることはわかった! それ以降は? 課金はいつする?

 

ここまでやっていくと、だいたい『あいミス』にも慣れてくる頃だと思う。それ以降は、「萌具」強化などがメインコンテンツになっていく。詳細は付録の「キャラ育成要素まとめ」 を参照して欲しい。

 

参考までに、課金要素の話もしておきたい。初心者の間は、無償石がジャバジャバ手に入るので、石の心配はせずともよいと思う。『あいミス』の課金要素は、正直ガチャ以外あまりない。なので、課金のタイミングは、

 

・自分の好きなキャラが限定SSRで登場した時

 

と断言できる。

 

『あいミス』には事実上の天井があり、引き切れなかった場合は、ガチャ時に付いてくる「蒼片」を2000個集めることでもSSR聖装と交換可能だ。ただし、蒼片は入手してから30日経過すると「蒼粒子」に変換され、交換対象がSSR聖装そのものから凸アイテムである「開花の輝石」に変化するので、そこには注意。

 

なお、正月などに、特別で「プラチナ聖装券」が販売されることがある。こちらは、現在ガチャで引くことができない限定SSRとも交換可能な時があるので、特に「始める前に推しの限定SSRが出てる!」という悲しき事態が発生した場合には、躊躇なく飛びついていきたい。

 


 

β版リリース当初は色々心配なことも多かった『あいミス』だが、1年以上経って、それなりの安定感を見せるようになってきている。願わくば、今始めようと思っているあなた、今始めたばかりのあなたも、『あいミス』の世界を堪能できますように。

 

 

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付録A キャラ育成要素まとめ

 

※印付きは能力開花画面で強化できないもの。※印の後ろに強化できる場所を記してある。

 

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▲名簿画面からキャラを選択した状態。右下の能力開花をクリック/タップすると、主要3要素をまとめて管理・強化できる。

 

聖装レベル ※名簿→聖装をクリック/タップ。

 N~SSRまで、各聖装そのもののレベルを上げられる。

 経験値は聖装ごとに管理される。

 クエスト参加でも経験値は手に入るが、専ら学園で入手可能な「珠」を使う。

 レベル上限は聖装を重ねることで(凸ることで)開放可能。

 なお、重ねる際には聖装ではなく「開花の輝石」というアイテムに変化している。

 スキル強化素材でも上限開放可能だが、こちらはエンドコンテンツ気味。

 

スキルレベル

 スキルは戦闘中何回か使用可能な特殊技。

 各聖装につき、1ないし2個付属している。

 同一キャラであれば、他の聖装にも付与することが可能。

 スキルレベルは、指定された素材を消費することで10まで上げることができる。

 素材のうち、宝石は入手難度がやや高い。

 

アビリティ

 アビリティは、クエスト参加時に3つまで持ち込める。原則としてパッシブ。

 効果量が非常に大きいことが特徴。

 スキル同様、同一キャラであれば他の聖装でも着用できる。

 レベル上げには、元々そのアビリティを持っていた聖装の「開花の輝石」を使用。

 最大で3まで上げることができる。

 

ポテンシャル

 あるキャラ全体に対して有効なステータスアップ。

 一部ポテンシャルには、「鍵」「特定の聖装のレベル」などの開放条件がある。

 原則、学園で入手できる「ポレン」を消費して、最大で3まで育成可能。

 なお、ポレンの数はキャラごとに管理されている。

 

想飾 ※強化できない。名簿→想飾でデフォルト装備設定、編成画面でも変更可能。

 厳密にはキャラの育成要素ではない。

 レベル上げなど一切不能、入手は特定クエストクリアなどによる。

 全てのキャラに対し装備可能で、ステータスを僅かに上昇させる。

 

萌具 ※名簿→萌具→強化を選択。素材の合成もここで行う。

 各キャラ固有の装備品。

 R萌具はショップにて冥界銭と交換することで入手できる。

 SR萌具はそのキャラのR萌具をレベル15まで育成することで入手可能。

 SSR萌具は、「聖片」を20個とショップで引き換えることができる。

 聖片は、SR萌具のレベル15・20達成ミッションやイベントなどで入手する。

 聖片は非常に入手難度が高い反面、SSR萌具の効果は絶大。

 なお、萌具はステータスアップではなく、ダメージ計算の際に用いるとみられる。

 萌具のレベルは、冥界銭と専用強化アイテムを用いる。

 専用強化アイテムは、曜日クエストやイベント引換にて手に入る。

 なお、SSR萌具の更なる強化用アイテムが試練を中心にドロップするものの、

 現在その機能は実装されていない。

 

親愛度 ※下記参照。

 学園周回・プレゼントなどで上げることができる。

 親愛度を上げることで、回想ページにおいてコミュの閲覧が可能になる。

 また、親愛度1000ごとに、キャラの全パラメータに1%のボーナスが付く。

 

所持聖装ボーナス ※下の詳細と、聖装レベルの欄を参照。

 単純に、そのキャラにつきどれだけの聖装を持っているか、

 その聖装をどれだけ強化しているか、で算出される。

 そのため、ここは自然と数値が大きくなっていく。

 

聖装ストーリー開放ボーナス ※下記参照。

 聖装ストーリーを回想画面で開放すると、該当する聖装を装備した場合のみ、

 パラメータにボーナスが付く。

 上2つと異なり、これはキャラ全体に対し有効ではないので注意。

 

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付録B キャラ紹介

 

《前衛物理アタッカー》

ソフィ

 THE 超火力エルフィン。基本的に単体攻撃のエキスパートで、全体攻撃はスキルなどを含めてもほとんどしない。その代わり、やれ相手の防御を下げるだの自分の攻撃を上げるだの相手の防御を無視するだの、とにかく火力を底上げするスキルが揃っている。反撃率を底上げしてあげると、もりもりカウンターを決めてくれるのが特徴。限定2周目(3枚目)SSRで単体攻撃時2回攻撃(確率)アビリティを獲得したので、こちらを優先した方がいいかもしれない。

 年齢ネタの使い手ではあるものの、おっぱいは大きいしちゃんとエロいので、まずこの子を好きになる人も多いかも。

 

ベアトリーチェ

 高速アタッカー。コト同様、回避率や即死率の高さが売り。ただし、コトとは違い、火力控えめな代わりに、全体攻撃スキルや遠隔攻撃(相手の後衛への物理攻撃)ができる。1枚目SSRのアビリティが微妙に使いにくいので、運用する場合はSR以下のアビリティを使いたい。

 冥王のお世話係として冥王自身によって造られた存在だが、そもそも『あいミス』時空では地上の生き物はだいたい冥王によって造られているので、その点差異化できているのやら……。

 

コト

 第1回人気投票1位のサムライ。高速・即死・回避が売りだが、こちらは単体攻撃が多め。昼寝キャラなのもあり、(自分の)睡眠に関するスキルや萌技もある(ので、そこは若干使いにくい)。

 このキャラの魅力は終了したイベントでフォーカスされていたので、閲覧したい場合は復刻を待つか、場合によっては回想メニューから閲覧するよりない(が、参加していないイベントのシナリオを閲覧できるかは不明)。

 

パトリシア

 邪念撲滅ちゃんことクリスの後輩神官。ここ最近調整が入り、連撃率が上方修正された。魔力が高いほど火力が上がる物理判定のスキル持ち。イベ限SRでは通常攻撃魔法化アビリティが配布されたので、パトを使いたい場合は参考に。

 基本的には健気な後輩ちゃん……なのだが、バレンタインイベやメインシナリオ7章にて、先輩がヤバいキャラだとバれ、一気にツッコミキャラへと変貌した。

 

ラウラ

 高速アタッカー。即死・回避も高いが、何より相手からアイテムを盗む(=ドロップさせる)スキル持ちな点で特異。周回のお供とも言う。ステータス上は全キャラ中最速なので、基本的に上から殴る係。恒常SSRのアビリティが優秀で、SRのアビリティも強力。色の関係で盗みではなくアタッカーとして運用したい場合には、初期実装以外のSSRスキルも視野に入る。

 どのゲームでもそうだけど、半獣キャラはかわいい。あと声が癒し。

 

ヴァレリア

 ステータス上は紙耐久・高回避キャラ。この子も魔力が高いほど威力が上がる物理判定のスキルを持つ。特徴は吸血能力で、一部スキル発動時に体力を回復する。イベ限SRで通常攻撃時吸血アビリティが配布されており、これがあるのとないのとではかなり違う。SSRより優先したい。

 イマドキの女の子を夢見る箱入り吸血鬼という設定が秀逸で、何をやらせても可愛い。

 

ルージェニア

 通称姉姫。自分の体力を削って防御無視の攻撃を仕掛けるキャラ。とはいえ、ギゼリックほど低耐久でもなく、回復技もあり、といったところ。一部クエストでは鬼のような強さを見せる。アビリティで味方前衛を強化するのも特徴。とにかく単体突破力が高く、反撃率も高めに設定されているため、高難易度レイドボスでお呼びがかかるケース多め。

 センスが壊滅的なネタが結構多いが、筆者は性格含め好感を持っている。

 

シャロン

 鈍足・高耐久・高火力アタッカー。範囲攻撃も多く、雑魚敵の多いクエストの周回では主力になるだろう。1枚目SSRを引けているかどうかがかなり大きいので、気に入った場合はSSRの早期取得を強く推奨。紹介文は短いが、要は、シンプルな強さだということ。場面を選ばない。

 ドラゴニアということで、話のスケールがだいたいデカい。尻尾がいいよね、尻尾が。

 

リディア

 2019年の3月に実装されたばかりの天使。なんと数値上はソフィさんを凌ぐ超物理火力を誇る。ソフィさんがスキル重視の運用をするのに対し、リディアは萌技の回転率がいい(スキルのクールタイムが長い。そのため、R以下がやや使いにくい)。使いたい場合は1枚目・2枚目のSR・SSRを粘りたい。1枚目SSRの萌技がユニークで、敵前衛をまとめて後衛まで打ち飛ばしてしまう。これが強力なサポートであることは、メインシナリオ5章を突破した人なら分かるはずだ。

 第2回人気投票首位であり、限定聖装が配布で実装された。こちらはどちらかというと、SSRのステータスで色が増えた、ベッドシーンが増えた、といったところが重要なので、基本は水着や初期実装のSSRを狙えばよい。気に入って全部揃えたい場合は……相応の努力が必要。

 実は微ネタバレキャラなので、詳細は割愛。筆者のお気に入りのヒロインの1人。

 

ギゼリック

 こちらも実装は割と最近。ステータス上は高火力には見えないが、スキルやアビリティをよく見ると、自分を毒にしたりなんだりしながらぐいぐい火力を押し上げていくキャラだと分かる。ただ、その代わり長くはもたない。立っている限り超火力なので、バックでサポートを図りたい。

 全キャラ中最大のおっぱいに心ごと奪われるプレイヤーが後を絶たない。お酒も付き合ってくれるし、ね?

 

 

 

《前衛バランス型》

アシュリー

 アタッカーでもタンクでも運用可能だが、基本はアタッカー寄り。敏捷依存のスキルがあるので、どちらの運用でも敏捷重視の育成をしたい。スキルはシンプル・イズ・ベストという印象を持つだろう。1周目(2枚目)SSRが強力なので、アシュリーを使う場合は引換券とも睨めっこ。

 聖装が揃ってくるとアビリティ構成がほぼ固定される。とにかく連続行動、複数回攻撃のアビリティを積みまくる。その意味でサンタアシュリーがオススメされがちだが、実はそれだけではこのテンプレアビリティ構成が完成しないので注意。

 シナリオの最初に登場する女騎士。まあ性格もそういう感じよね。

 

ファム

 育成しきるとウィルちゃんを凌ぎ全キャラ級最高の幸運ステータスを誇るようになる。かなり特殊なキャラで、スキルはフィールド変化なども含み、通常攻撃は火力がやや低い代わりにデバフの影響を受けない。1周目(2枚目)SSRで防御無視の火力スキルも獲得。また見た目とは裏腹に超耐久であり、基本的にタンクと同じくらいまで耐える。ロリ恐るべし。

 言葉遣いはロリだが、精神力が推定ヒロイン中相当上位。くぐり抜けてきた哀しみの数が違う。18禁版だとベッドシーンが完全にファム主導。ロリ恐るべし。

 

 

 

《前衛タンク》

クレア

 このゲームは必ずしもタンクが必要な類のゲームではないが、出番がないわけではない。びっくりするほどの物理耐久と、効果の大きい挑発スキルで、まさしくタンクの役割を担う。攻撃スキルも専ら防御依存。ただし、このゲームは魔法防御と魔法攻撃のパラメータが同じなので、運用する場合は魔力の底上げも図りたい。

 シンプルにレアリティが上がるほどスキルやアビリティの重要度が増していくので、あまり考えずSSRを取ってOK。

 ドMだが作中屈指のイケメン。2019年の1~3月に開催されたイベントでは出番が相当あり、その中でプレイヤーからの評価もグイグイ上昇していった。

 

 

《前衛サポート・特殊運用》

フランチェスカ

 サポートのエキスパート。攻撃スキルが物理に回っているものの、採用するケースは少ないだろう。バフ・デバフでの運用が主体。場合によっては後衛でもよい。

 真価は1周目(2枚目)SSRのスキル「火の鳥」を手に入れるまで分からないかもしれない。最大HPアップと再生(継続HP回復)付与、MP(冥王スキル用ポイント)回復、と、てんこ盛りもいいところの性能をしている。これが活きてくるのが試練と高難易度レイドボス。試練では再生を、レイドボスイベントでは最大HPアップとMP回復を重宝するだろう。

 踊り子ってそれだけで魅力的だよね……というキャラ。単体でも可愛いが、シナリオや学園コミュで他キャラと絡みだすとさらに可愛くなる。

 

ポリン

 防御は高くないし魔法攻撃だし後衛か、と思いきや、恒常SRやイベ限SRのアビリティで相手にデバフを撒く係に変貌するので前衛キャラ。発動条件が「被ダメ時」「スキルで体力消費時」なのが特徴。このように、基本的に運用にはSRが必須。レイドボスを除く単体ボスに非常に強く、育成しきると1人で周回可能になるという報告もある。

 貧乳を気にする大魔導士だが、貴族設定がキチンと活かされているのもポイント。

 

クルチャ

 後衛での運用も可能な回復役。ただ、回避・敏捷のステータスが高いので、こちらは前衛での活躍が見込める。通常攻撃魔法化はイベ限SRにあるので、クルチャを使いたい場合はこちらも検討したい……が、他のキャラより優先度は低い。

 フランチェスカより回復寄りの性能をしており、火力もそこそこあるので、汎用性が高い。特化型のサポーターではないのが強みであり弱み。

 この子も高精神力ガールの孕みたガール。兎の生殖力は高い。

 

 

《後衛物理アタッカー》

ティセ

 弓兵。敏捷依存の攻撃スキルもあるが、その最大の特徴は罠スキル。こちらが回避した時に発動するスキルと、相手が回避した際に発動するスキルがある。回避主体の敵に対しあまりに強かったため、レイドボス戦では罠による固定ダメージ数値が下方修正されている。

 黄色SSRでは後衛範囲攻撃という凄まじいスキルを2つも獲得した。アビリティも非常に強力であり、罠が必要ない人はこちらを優先したい。

 部屋では素っ裸ガール。実はソフィと面識があり、そのあたりのエピソードも見どころ。

 

イリーナ

 小さな大ガンマン。実は前衛での運用もできる。敵を倒していく度にバフを乗せていくのが特徴で、単体ボスというよりは通常クエスト周回向け。出血をもたらすスキルも多い。

 これもロリ体型。謎の決め台詞を持つ少女。他キャラとの絡みでいきいきしてくるキャラ。

 

《後衛魔法アタッカー》

ラディス

 シンプルな魔法アタッカー。独自の売りは恒常SRにある魔力吸収スキル。この効果量がかなり大きい。イベ限SRに通常攻撃魔法化のアビリティがあるので、こちらも取得を目指したい。

 2周目のSSR(つまり、3枚目のSSR)でツインスキルを獲得した。萌技以外の単体攻撃時に確率で2回攻撃する。これが非常に強力なので、余裕があればこちらも検討したい。ただし、通常攻撃が魔法攻撃になっていないと意味があまりないので、要注意。

 このキャラは物語のネタバレに触れることになるので、詳細はメインシナリオを参照。

 

エルミナ

 多分全キャラ中一番名前を覚えられていない人。使われていないわけではなく、むしろ自業自得。範囲攻撃が多いことが特徴で、雑魚の多いクエストで真価を見せる。通常攻撃にデバフを乗せるのも持ち味の1つ。なお、通常攻撃魔法化アビリティはイベ限SRにあるので、こちらを最優先にすること。

 ロリコンであり、アビリティに「ロリキャラがいる時性能アップ」という衝撃の文字列が並ぶやべー人。なお冥王のことも別腹で大好き。もはや『あいミス』において「ロリコン」は固有名詞であり、そのせいでだいたいの人が名前を記憶していない。

 

セシル

 数字上は最高の魔法ステータスを誇るが、仕様が特殊で、基本的に通常攻撃ではラディスの方がダメが出る。スキルと萌技ではセシルの方が圧倒的に上。イベ限SRにぶっ壊れ全体攻撃(マダンテ)があったが、流石に火力が下方修正された。それでも強力なことには変わりはない。

 アビリティで精霊を装備する……のだが、『あいミス』には色とは別に魔法にも属性があり、その区別が困難を極めている。イベント配布SR+やブライダルSSRを持っている場合、精霊を装備するより、魔力アップやフィールド展開を重ねた方が、トータルで見た火力的には正解。

 押しかけ女房の前方正妻面であり、2019年に入ってからイベントなどで徐々にフィーチャーされてきたヒロイン。筆者の推しの1人。

 

プリシラ

 ややサポート寄りで、上3キャラに比べると自身の火力は劣る。アビリティは通常攻撃魔法化を除くとだいたい前衛/全体強化で、中でも初期実装SSRの両アビリティが魅力的。前衛反撃率アップは試練と高難易度レイドボスイベントで真価を発揮する。

 また貴重な弱体付与持ちでもある(弱体は全ステータスダウン)。通常攻撃魔法化はイベ限SRでの配布であり、必要な聖装が多く、運用はやや難度が高い。とはいえ、その代わり他のキャラでは絶対にできない立ち回りを実現してくれる。

 通称は妹姫。または尻姫。他の人のお尻が大好きというなかなか愉快な性癖を持っている。

 

《後衛回復・サポート》

クリス

 純然たる回復役としては最高峰の性能を誇る。ほとんどのスキルが回復/サポートであり、一応本人も魔法攻撃は可能だが、その運用は珍しいだろう。昔に比べ蘇生スキルの重要性も上がっているため、最近ますます存在感を増している。

 試練においては階層が進むにつれ通常の回復スキルの効果量が減退するので注意。これを忘れて痛い目に遭うプレイヤーが相当数いる。

 キャラとしては個性が非常に強い。声優もそういうキャラを長くやっている人を使っている。特にバレンタインイベントで相当にヤバい奴であると判明した。

 

ウィル

 一時期最高のサポートキャラとしてどのクエストでも出番があった。最近は敵の睡眠耐性の強化によりやや出番は減ったが、それでも最高のサポート役であることは疑う余地がない。仕事としては、敵への睡眠付与が主体。睡眠は、単に行動できなくなるだけでなく、攻撃が必中になってしまう。ウィルは、高い幸運ステータスで相手にバシバシ睡眠をキめていくのが特徴だ。

 その他、効果量の大きい前衛デバフや蘇生なども担当可能。通常攻撃魔法化はなんと1周目限定SSRにあったので、色々大変だった……のだが、最近1周目SSRが恒常落ちしたのでちょっと楽になった。布教もしやすい。通常攻撃睡眠付与は恒常SR。

 かわいすぎてヤバい。もう本当にかわいい。かわいくて強いとか最高か。

 

 

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白鳥はかなしからずや: 『ましろ色シンフォニー』

Twitterが、俄に騒がしくなった。

 

アダルトゲームのブランド・ぱれっとの作品主題歌などを披露するファンイベントの中で、『ましろ色シンフォニー』のルート追加版の制作が発表されたらしい。

 

ましろ色シンフォニー』(以下『ましろ色』)は、遡ること今からちょうど十年前、この世に出てきたエロゲだ。アニメの出来が評判になり、今日では当時の代表的なアダルトゲームの一本とみなされるまでに至っている。

 

ましろ色』には非常に印象的なサブヒロインがいて、彼女のルートが当時熱望されていたものだ。実際、全年齢向けPSP版では新規ルートが収録されたのだが、如何せんそれが十八禁版へ逆移植されることはなく、十年の月日が経った、というのがあらましである。今回発表されたのは「+SANA Edition」というタイトルだけで、実際それ以上の情報は(少なくとも公式からは)公表されていない。だから、そのサブヒロインのルートが逆移植(あるいは、新規書き下ろし)されるのかどうかまでは、実は分からない。ひょっとしたら、ファンイベントではもう色々と情報が提示されたのかもしれないが。

 

とはいえ、私にとっても思い入れある作品たる『ましろ色』の情報ということで、心が浮足立ったのも事実だ。種々の感慨を抱き、私はやおらパソコンの電源を入れた。もちろん、今一度『ましろ色』を紐解くために。

 


 

開いてすぐ、私の胸に、思っていたよりも大きな感情の波が押し寄せた。巷で「エモい」と呼ばれる類のものだろうか。そう、「エモい」。この作品は、どこか全体的に「エモい」気がする。

 

四対三のウィンドウに表示されるタイトル。流れてくるタイトルBGM。どこか時の流れに乗り遅れてしまったかのようなシンセの音づかい。なるほど、これは「ノスタルジー」か。「エモい」の正体の一つは、確かに昔を懐かしむ時のこの気持ちかもしれない。間違ってはいないと思う。

 

だが、その考えはすぐ大きな挑戦者を迎えることになる。セーブ画面を開いた私は、少し驚いた。最後のセーブデータに残された日付は、2018年の11月。最後にプレイしてから、まだ1年も経っていなかった。

 

もちろん、作品の作り自体にどこか古めかしさがある、という意味で、『ましろ色』はノスタルジックだろう。ただ、同じ懐旧でも、『ましろ色』それ自体が懐かしい、というタイプのものではなかった。それどころか、私の中において、『ましろ色』はまだまだ新鮮な作品だった。その事実を思い知った時、私は、この作品は郷愁以外の何かをもたらしてくれるのではないか、と直感した。これは推測だが、1年前の私も、そう思ってこの作品を開いたのではないか。なんとなく、そう思った。

 

私は、セーブ画面を閉じ、『ましろ色』の冒頭部を鑑賞することにした。白が画面を覆い、ふわりと青い縁取りの文字が浮かぶ。男の子と女の子、二人の間は何色か――作品が、私に語りかけてくる。まだ何色にも染まっていない、しろ。この白は、二人の恋の色であって、まだ始まっていない物語の、今の色なのかもしれない。そう思ったところで、カレンダーが時を刻んだ。

 

夜空が浮かぶ。やや唐突感のある、シナリオの出だし。ヒロインの声が短く入り、直後、主人公の独白が挟まる。CGの全景が露わになって、私の前にヒロインが登場した。印象的な掴みだ。この出だしは相当練られたものだろう。この出だしの文章もそうだし、音楽もどこか電子感のあるピアノのメロディラインが、この作品の向かうところを示しているようで、自然と胸が高鳴る作りだ。何より、演出が濃い。冒頭とはいえ、このCG一枚にどれだけスクリプトを組み込んだのか。その演出プランも、局所的にしか判断できなかったが、上質だ。ああ、この感覚かな――私は一度、ゲームを開いたまま休憩を入れた。いい作品に巡り合った。そう直感した時の、僅かな気後れ。心地よい気怠さが、私に訪れた。

 

水を含んで、再び作品と向き合う。クリックしていくと、冒頭からずっと鳴り止まない音楽の代わりに、シーンが細かく分割されていく。ところどころ、暗転してスタッフのクレジットが入る。そこまで来て、私はようやく思い出した。半年少し前、たまたま『ましろ色』の主筆だった保住先生にお会いする機会を得たことがあった。その時だったか、少し後だったか、上手く思い出せないが、確か、私がこのように聞いたのだった。『ましろ色』の冒頭はかなり変わった作りになっていたが、あれは何を意図したものだったのか――。保住先生の回答が蘇る。「映画」、だと。

 

ポップカルチャー評論において扱いの難しい言葉に、「映画っぽい」がある。特に長編アニメでは鬼門となる表現だ。ある作品を「映画」と評すれば、それはもちろん、暗にそのジャンルの他の作品は「映画」ではない側面を強く持っている、というニュアンスを滲ませてしまう。であるならば、「映画」とはなんなのか、という問いが、当然投げかけられてしまうだろう。劇場公開が前提の長編アニメは、一面的にはどう考えても<映画>なので、とりわけ「映画」という表現には気を付けなければならないのだ。

 

そしてそれは、別に長編アニメに限った話ではない。アダルトゲームでもそうだ。だが保住先生は、「映画」を目指した、と明言した。であるならば、プレイヤーは、どこにその要素を含ませたのか、きちんと捉えるべきなのではないか。少なくとも、その努力はすべきだ。このオープニング部の構成だろうか。掴みの作りや、時系列を少し刻んだエピソードの進行のさせ方。そして、特にバラバラになったエピソードたちを繋ぎとめる、音楽。ひょっとすると、音楽が重要かもしれない。冒頭から一貫して流れるこの曲は、オープニングがまだ続いている、という証である。弦楽器のレガートも、それを表している気がする。

 

ただ、もう数クリックして、ヒロインの立ち絵が現れると、やっぱり演出かな、という気にもなった。この作品には、ヒロインがこちらに背を向ける立ち絵がある。小さな違いのように見えて、これは相当に大きい。普通のエロゲでは、この立ち絵素材を作らない。普段見せない服の背中側の設定まで細かく描写しなければならないなど、やたら労力がかかる割に、ヒロインの顔が見えない瞬間が多い立ち絵になるからだ。もちろん見返りの図などを用意するブランドもあることはあるが、頭部に至るまでこちらに背を向ける素材までは提供しないところがほとんどだ。これは、シナリオライタースクリプターが、演出について相当ワガママを言える状況でなければ作られない。

 

シナリオライターは、案外この「背を向ける」差分を欲しがる時がある。その理由は簡単で、特に共通ルートなどヒロイン同士の絡みが多いシーンで、誰がどのような立場にあるのか図示できるためだ。主人公に対する向きと立ち絵素材の大きさで、平面である背景の上に、空間の形成が可能だ。

 

なるほど、ひょっとしたら、オープニング部に限らず、この作品はその意味で「映画」かもしれない。「映画」は、ある空間をカメラで切り取って、平面に落とし込むものだ。『ましろ色』はちょうどその逆で、平面の構成によって、空間を再現しようとしている。この作品は、空間を作って、その中にいるヒロインたちの機微を描写しようとしているのではないか。その読みは正解だった。もう少しゲームを進めると、透過素材にプロップに、と演出素材が山のように投入され始めた。立ち絵もぴょこぴょこ細かく動く。なるほど、確かに「映画」かもしれない。そう思った。

 

とはいえ、私の中には違和感もあった。濃い演出、練られた演出というのは、素材だけで成立しない。迂遠な言い方を控えれば、普通、そのような作品には「モチーフ」が挿入されて然るべきだ。そして、その違和感を言語化できた時、私は冒頭の言葉たちの意味を知ったのだった。

 

恋は、ましろ色。

 

この言葉は、テーマのように見えて、実のところモチーフだった。秋から冬に移り変わる時期という、エロゲではなかなか題材にされない季節を選んだのも、このモチーフのためだろう。雪や氷の持つ、少し冷えてキラキラした、透明感のある、白と青。思い返せば、タイトル画面も真っ白だった。清涼感のある季節に出会った男の子と女の子の、「これから」の物語が、今始まろうとしている。参った、これは正しく「映画」だ。

 

ましろ色』は、男女の関係を通じて、お互いが変わっていく様を丁寧に描いている。それは、たとえば愛理ルートでは直接言葉にされるし、みうルートでも、件の紗凪の態度で示される。だがそれは、二人が変わったのであって、二人の間の恋の色が変わったわけではない。「まだ」何色にも染まっていないだけで、これから染まっていく可能性もある。ただ、本編の中で、そこまでは示されない。あくまで、恋は「"pure" white」のままだ。

 

本編の中で、二人はむしろ、恋によって脱色され、徐々に透明になっていく。あの、冬の痛々しいまでの輝きを、纏っていくのだ。その二人の間の恋は、「未だ」白色のまま。

 

この「映画」が撮りたかったものは、その白ではなかったか。それに気づいて、私はようやく合点がいった。「エモい」のもう一つの正体は、この輝きだ。そう確信した。

 

この手の輝きは、誰しもが経験し得るものではあるが、普通、一瞬のうちに過ぎ去っていく。『ましろ色』は、その輝きを、丁寧に丁寧に閉じ込めた作品だ。私たちが流れる時のどこかに置いてきたものを、『ましろ色』は持っている。この作品から感じるノスタルジーも、あるいはこれが正体かもしれない。ならば、なおのこと『ましろ色』の「エモさ」とは「白」だ *1

 


 

二人の間の恋は、未だ染まることなく、2019年までやって来てしまった。その間、男は青で女は赤、というようなステレオタイプも、随分議論に晒されてきた。それでも、この恋だけはましろ色だった。冬のつんと張り詰めた、気高い美しさを纏いながら、『ましろ色シンフォニー』は私たちの前に立っている。時の流れに取り残されるのは悲しくないし、いじらしく思われる必要もない――そう言われた気がした。

 

そこまで感じ取って、私は『ましろ色』を閉じた。三十分くらいのプレイだっただろうか。この輝きは、今の私には眩し過ぎた。

 

 

(了)

 

 

*1:最近出た『アオナツライン』(戯画)も、映画を目標にしていた。この作品と比較してみるのも面白いだろう。