Mashiro Chronicle

長文をまとめる練習中 割となんでも書く雑食派

2019よく聴いた完全神アニメ/ゲームサントラ集[楽曲オタク Advent Calendar 2019企画: 2019/12/03]

本エントリは、なまおじさん(@namaozi)の「楽曲オタク Advent Calendar 2019」企画のためのものである。もちろん、この企画を知らずにクリック/タップした方も大歓迎だ。そんな方は、ぜひ下のリンクをクリックしてみて欲しい。

 

adventar.org

 

なお、このような記事を書くにあたり、できる限り楽曲のサンプルなどを掲載したいとは思い努力したものの、アニメやゲームのサントラはストリーミングになかなか下りてこないので、断念しているところもある。実はAmazonの有料音楽ストリーミングには転がっているケースが結構見られる。

 

 

 

 


 

0 (self-) Introduction

 

さて、最初に謝っておかなければならないのだが、私は楽曲オタクではない。というより、畏れ多くてそんな風に名乗ることができない。私の知人たるめがねこ(@srngs_meganeko)はもっとずっと真面目に音楽を勉強しているし、そうでなくとも、私の周りにはやたら音楽に詳しい人が集まっている。私は、とてもとても作曲理論や楽器の演奏法などで太刀打ちできる人間ではない。

 

それでも、この企画に参加しようと思ったのには、もちろん幾つか理由がある。一つはもちろん、上記めがねこが2日目の記事を担当していたからだ。二点目は、初日を担当された主催のなまおじさんが、こともあろうに「ドリ☆アピ」を紹介していたからである。

 

scrapbox.io

 

最近、ひょんなことから安齋由香里さんの沼にハマり、「CUE!」を追いかけている私からすれば、タイムリーな話題だった。安齋由香里さんが頑張っているので、ぜひ皆さんも「CUE!」を追ってあげてください。絵は無茶無茶かわいい上にショートアニメの追加ペースも思っていたより早い。お得。

 

www.cue-liber.jp

 

しかし、いざ書かんと思い立ったものの、上述のとおり、普通に書いたのではなんにもならない。そこで今回は、アニメのサントラに焦点を絞りたいと思う。最近、某中堅ノベルゲーム会社で楽曲発注業務や選曲(音楽演出)のアルバイトをしている都合、2019年は浴びるようにサントラを聴いた。年代を問わず、サントラとして気になったもの、音楽の使い方で気になったもの、などなど、多様な視点からアニメのサントラを眺めてみたいと思う。

 


 

Ⅰ 『はるかなレシーブ』オリジナルサウンドトラック

 

 

 

 

はいいきなりド定番。スウェーデンの雄、ラスマス・フェイバーが全面的にBGMを担当した数少ないアニメの1つ。しかし、彼は一体どういう基準でアニメのサントラを受け持っているのだろう……。

 

舞台が沖縄であるため、琉球音楽のエッセンスを詰めた曲も見える(Disc 1 Tr. 6など)。全体的に、パーカッションや撥弦楽器の「撥弦」たる所以のサウンドが目立った構成の曲が多い。これはアニメのサントラとして普遍的な特徴ではない。一方でボーカルの入った楽曲にはキャッチ―なメロディラインも提供しており(Disc 2 Tr. 1など)、隙のない全体構成である。これだけ上質な弦楽器のサウンドで全曲まとめてくれれば、選曲する側としては嬉しい悲鳴だ。かえって使い分けに困る場面も出てくるからだ。なお現実は真逆である。

 

舞台に特色がある場合、このようにBGMにもそれを素直に反映させる作戦も取り得るが、実際にはどうしても必要なタイプの楽曲というものもあり、その辺りどうバランスを取っていくか、難しいケースが多々ある。作曲側だけでなく、発注する側もよく悩むものだ。このサントラも、Disc 2に入ると、リズムやパーカッションの打ち方自体は特徴的、というよりラスマス・フェイバーの来歴を感じさせる曲もまだまだ多いが、Disc 1ほど尖った曲は、Disc 2全体で見ると少ない。選曲業務に携わる人間としても、扱いやすい曲が増えたな、という印象を持った。ただ、それで凡庸なアルバムになったかといえばそうではなく、バランス感覚の面でも際立ったものがあった一枚と言えよう。

 


 

Ⅱ 『ARIA The ORIGINATION』ORIGINAL SOUNDTRACK tre

 

 

「ARIA The ORIGINATION」ORIGINAL SOUNDTRACK tre

「ARIA The ORIGINATION」ORIGINAL SOUNDTRACK tre

  • Choro Club feat. Senoo、SONOROUS、牧野 由依、広橋 涼、新居 昭乃
  • アニメ
  • ¥2241

 

 

こちらも歴史的名盤。日本を代表するショーロトリオ、Choro Clubとピアニスト妹尾武の合作になる。Choro Club笹子重治は後にコーコーヤを別枠で結成し『リストランテ・パラディーゾ』のOSTでも成果を残すほか、松任谷由実坂本真綾に提供した「おかえりなさい」のアコースティックver. アレンジも担当した(シングル「はじまりの海」収録)。

 

 

また、Choro Clubはトリオとしてこれより以前に『ヨコハマ買い出し紀行 -quite country cafe-』の劇伴も担当したが、こちらの音源は廃盤な上希少で入手難度が高い。

 

そもそも『ARIA』シリーズはTVシリーズ3期いずれもOSTの評価が高く、treに絞る理由はあまりない。ここでtreを取り上げたのは、3期『ORIGINATION』9話の話題を持ち出したかったからである。

 

ARIA』シリーズは監督佐藤順一・選曲佐藤恭野の夫婦タッグで音楽演出をコントロールしていた部分も大きかったが、幾つかのパートではシナリオの要請上絵コンテ担当が「音楽・のようなもの」をコントロールするケースもあったようだ。この辺り、『ARIA』の上映会で監督が語っていたことなので若干不明瞭な点は残る。ここではそれを全面的に信用しておくと、9話、「ルーミス・エテルネ」(Tr. 14)が流れるの直前のBGMミュート(SEのみ)は絵コンテを担当した名取孝浩の提案だったようである。

 

アニメにせよゲームにせよ、あるいは実写の映画でも一部同様だが、BGMを消すというのは結構度胸のいる選択だ。逆に、その有難みを理解して乱発すると効力が薄れる。難しいところだ。適当なスクリプターに任せると、諦めているのかとりあえず汎用BGMを流してくる。これが我慢ならない人はシナリオを読んで自分でBGMを指定していかねばならないが、ここで入り、ここで止め、フェードアウトは何ミリ秒、そのままサイレントで何クリック続行……、と細かく指定していると本当に日が暮れる。その上直感に反した選択が正解のケースも多々ある。

 

話を『ARIA』に戻すと、このシリーズは個々のBGMの完成度が高く、どんなシーンであろうと適切な1曲を選べば大抵なんとかなる。実際、『ARIA』はアニメを垂れ流しにしておくだけで、案外ジュークボックスになってしまう。もちろんこの他のシーンでも選曲は熟練の腕を披露してくれるが、ここで議論したいのは、だからこそ、9話のミュートには意味がある、という点だ。

 

ミュートとは繋ぎではなく間である。この「間」の話は、アニメに限らずマンガでもゲームでもエッセンスなのだが、明示的に「こうしろ」と言えないものでもあり、まさしく創作者のセンスに依る部分でもある。書いていてお腹が痛くなってきたが、要するに、9話の件のシーンは「間」の取り方が完璧だったのだ。止まる音楽、吹き抜ける風、息を吸うアリス。そこに生まれたものは「時間」である。映像芸術と時間の議論は始めると長くなる上に私的な意見の撃ち合いになるので、ここでは割愛しておこう。

 

しかし、これくらい質のいいショーロとポップスの中道はない。Tr. 4はポップスやショーロ以外からも多くを消化吸収しようとしている。作曲は秋岡欧の担当で、この傾向は彼らの現状の最新作、『Musica Bonita』でも引き継がれている。秋岡の作曲は他にTr. 10など。この楽曲は『ARIA』シリーズ中でもよく用いられた。Choro Clubの魅力の一つは上品なコントラバスにも求められるが、そのコントラバス奏者である沢田穣治は他とは毛色の異なる楽曲を担当している。Tr. 7辺りは聴きやすさも残るが、Tr. 12は明瞭に他3人の作曲者とは別の方向性を模索したと思われる。用いられる楽器の種類や特徴的な冒頭もさることながら、中盤の進行にも着目したい。

 

ピアニストの妹尾武が担当したのはTr. 13やTr. 23など。Tr. 13は分かりやすさの向こう側にある、4人の緻密な合奏が印象的で、『ARIA』シリーズを代表する一曲である。いずれにせよ、このレベルのBGMを使って選曲できるのはさぞかし幸せであろう。

 


 

Ⅲ 『映画 聲の形』オリジナル・サウンドトラック

 

 

今度は全く別ジャンルから。京都アニメーション作品のサントラを持っている方は多いと思われるが、『聲の形』はどうだろうか。持っていない人も多い気がする。

 

というのも、このサントラはぶっちぎりで「分かりにくい」のである。この「分かりにくさ」は、劇伴担当の牛尾憲輔の、作品に対する非常にラディカルなアプローチに起因している。

 

世の中の大抵のサントラというものは、申し訳ない言い方になるが、だいたい他の作品に持ち込んでもなんとかなってしまう。そもそも、サントラという形態それ自体、作品から音楽(劇伴)を脱文脈化させて成立するものだからだ。

 

しかし、『聲の形』のサントラはそうではない。おそらく、2枚組のディスクに収められた数十曲のうち、他の作品でも使えるものは、下手をすると片手で数えられるだろう。この楽曲の制作過程が、その理由全てを物語っている。

 

animeanime.jp

 

上で紹介した記事でもインタビュアーが質問しているとおり、『聲の形』は聴覚障害を取り上げた作品であり、劇伴制作の難易度が跳ね上がっている。これに対し、音楽から作品を作る、という非常に尖った選択で、この映画は突破口を見出したのだった。言うなれば、牛尾の作ったものは、劇「伴」でも「BG」Mでもなく、作品世界の「音」そのものである。故に、他の作品他の文脈に持ち込むことができない。この辺り、関心のある方は、『聲の形』のBlu-rayに収められた、セリフが一切なく「音」のみで映像が進行するバージョンを鑑賞してみて欲しい。そもそも、それで物語が成立していること自体、『聲の形』そして『聲の形』の世界の「音」の成果と言えよう。

 

曲はなかなか参考にできない上、このような過激なアプローチは、中途半端に真似たところでどうにもならない。とはいえ、「複合メディアで作品を作る」時の理想の形ではあり、一度通して聴いてみて欲しいサントラではある。サントラだけでは何も分からない、という地点が、『聲の形』のある場所だ。

 

もちろん、牛尾が毎回このようなアプローチを採用しているわけでもなく、他の多くのアニメがこのアプローチを採用できるわけでもない。牛尾が他に担当したものでいえば、湯浅政明がメガホンを取った『ピンポン THE ANIMATION』や『DEVILMAN crybaby』は、サントラとしてもオススメ。

 


 

Ⅳ 『あまんちゅ!』オリジナルサウンドトラック

 

 

 

 

今でもよく思い出す。めがねこが上京して1年目、新宿のアニメグッズ専門店へ行った時のこと。CD売り場でおもむろに手にした『あまんちゅ!』のサントラについて私が放った一言に、めがねこは大層なリアクションをしてみせた。

 

「え!? GONTITI!? よう呼んだな!?」

 

ついうっかり方言が飛び出てくるようなギターデュオ、GONTITIによる数少ないアニメサントラの登場だ。ちなみにGONTITIはこの他、『ヨコハマ買い出し紀行』(第1期)の劇伴も担当している。読解力の高い皆さんはもうお気づきであろうが、Choro Clubが劇伴を担当したシリーズの前期OVAである。憶測すると、原作天野こずえ・監督佐藤順一の体制で作った『ARIA』のサントラがChoro Clubだったので、おそらく座組に関わった誰かが、順序を逆にする形で、同じ天野‐佐藤コンビの『あまんちゅ!』にGONTITIを起用するアイディアを出したのだろう。

 

参加しているアーティストの都合、楽曲の幅は2期『~あどばんす~』のサントラの方が若干広い。

 

 

しかし、こちら1期のサントラも凄まじいの一言に尽きる。アコースティックギターをふんだんに差し込みながら、圧倒的な守備範囲の広さを見せつけている。まずTr. 1の冒頭の上質さ加減が凄い。音質を上げても上げてもついてくるサウンドの質の高さには恐怖すら抱く。Tr. 7は「こんなSwingを作ってみろ」と言わんばかりだ。ある種のミニマルさを感じさせるシンセ遣いながら、効果音に堕ち切らず、きっちりメロディまで調和させたTr. 10の完成度にも注目したい。Tr. 19は、言われればこういうアレンジも思いつくが、思いつき仕上げ切るまでに必要なステップは相当多いだろう。「海的な音」「海的なサウンド」のステレオタイプを巧みに活用しながら、シリーズ馴染みのフレーズをまとめあげるのは、字面で感じるより遥かに難しい。

 

一つの楽器に自信を持っていること、その楽器で音楽をやることと、多様なジャンルの音楽に触れエッセンスを吸収することは、実際には両立する。しかし、その前に立ちはだかる壁は高く厚い。時にニューエイジ、時にワールドミュージック、場合によってはイージーリスニングにまで分類されてきた、境界で浮遊することを恐れないGONTITIだから可能だった業である。

 

余談だが、最近『今日だけの音楽』に感動した都合、坂本真綾をヘビロテしている。GONTITIとの関連で言えば、シングル「Million Clouds」に収録された「DIVE feat. GONTITI」が素晴らしい。

 

 

初期坂本真綾の名曲をアコースティックアレンジでセルフカバーしたものだ。20年かけて作り上げてきた、無垢(innocent)でありながら無知(innocent)ではない坂本真綾の歌う、究極の愛とエゴに、GONTITIの泣かせるアコースティックギターが映えわたる。詞の辿り着く先は正反対ながら、EGOISTの「Departures ~あなたにおくるアイの歌~」を思い出す人もいるだろう。「DIVE」に限らず、「Million Clouds」は坂本真綾史上最強シングルなので、全曲必聴だ。

 


 

Ⅴ  t7s オリジナルサウンドトラック「The Things She Loved」

 

t7s オリジナルサウンドトラック「The Things She Loved」

t7s オリジナルサウンドトラック「The Things She Loved」

 

 

 

案外EDMやテクノ、あるいはシンセを多用する音楽の文脈で固まったアニメ/ゲームのサントラは少ない。考えてみれば当たり前の話で、繰り返しになるが、劇伴というものは制約のある発注の中で作られるものだからだ。

 

その意味で、「The Things She Loved」は貴重な一枚だ。これもやはり、全曲がその文脈で固まっているわけではないが、質のいい曲が多数ある点は特筆に値する。こういうことを書くと、詳しい方は『ウィッチクラフトワークスOST(作曲: TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND)を想起するかもしれない。ズバリそこで、正直どちらを取り上げるか若干悩んだ。

 

ナナシスを選んだのは、アニメのサントラなどでは要求されることもある、メロのキャッチ―さといったところにも踏み込んでいるからというのが一つ。もう一つ、この記事の主題が「私が2019年によく聴いた」というところにある、という理由もある。この夏、ナナシスのライブでガチ泣きしたので……。

 

Tr. 2からヒゲドライバーは冴え切っている。素人目には、凝ったことは何もしていないように聴こえる。私も今年になるまで、特段注意を払って聴いていたわけではなかった。ナナシスのアプリで飽きるほど聴いていた、という事情もあるだろう。しかし、実際に「EDMやテクノに思いっきり振ってください」との発注を出す立場になってみると、その認識はひっくり返った。普通の人は、ここまで寄せ切った上でまとめられないのだ。中盤の音の交錯のさせ方、サウンドの聴かせ方、何を取っても一流の楽曲である。技術面ではTr. 8も震える。これを全音潰さずにまとめ切るのは尋常の技ではない。ギリギリ嫌味にならない高音の扱いも見事。

 


 

Ⅵ ハナヤマタ音楽集「華鳴音女」

 

 

 

 

バラエティとコンセプトは両立させたいがなかなか両立してくれないものたちである。神前暁MONACAが制作した劇伴を眺めてみると、知られている『俺妹』や『WORKING!!』のサントラはどちらかというとバランス重視の発注だったのだろう。一方、だいぶコンセプトや作品イメージを大事にしたな、というのがこちらの『ハナヤマタ』。

 

作曲側に楽曲制作のイニシアティブはあるのか、と聞かれると、ケースバイケースとしか言いようがない。このエントリで取り上げた中でも、『聲の形』や『ARIA』はかなり特殊な発注の仕方である一方、他は、少なくともサントラの曲を聴く限りでは、おおよそどのような発注だったか見当がつく(外れている可能性もある)。『ハナヤマタ』は判断が難しいところで、おそらく「こうしたい」というイメージや作品の方向性、さらに必要な楽曲のリストまでは発注側が用意したと思われるが、「ピアノで染めてみましょう」「透明感あるサウンドやリバーブにしてみましょう」といった、手段のレベルの提案がどちらからなされたかまでは分からない。和要素の混ぜ方はさらに微妙。発注レベルで「この曲に和楽器」と指定が入った可能性もある。裁量は作曲側にあったと思われるが。

 

ハナヤマタ』といえば伝説的なOPが著名だが、サントラ(Disc 2)も負けていない。30秒強の楽曲ながら、Tr. 29は印象的だ。付されたタイトル、サントラでの並びからも、この曲の持つ重みがうかがえよう。Tr. 4は同種のBGMで比較すると相当レベルが高い。ジャズ系のプロに任せるとオシャレになり過ぎるか分かりにくくなるか、というところもある一方、こちらはギリギリの普遍性を有している。個人的にはもう少し尖らせたいが、この辺りがいい塩梅なのだろう。

 

サントラの構成も良い。Tr. 1は単にここに置いてあるわけではなかろう。サウンド面でのアプローチは、基本的にTr. 1から外れない。その意味ではシンボリックな一曲だ。冒頭、普通はOPのアレンジやメインテーマを持ってくるところではあるが、そこからは外している――そもそもこの作品のメインテーマとはどれなのか、という問題はあるが。

 

とはいえ、最後はやっぱり『ハナヤマタ』。Tr. 32を聴くよね。

 


 

Ⅶ 『ふらいんぐうぃっち』オリジナル・サウンドトラック

 

 

 

 

最後は所謂日常系アニメの最高峰『ふらいんぐうぃっち』。作曲担当は出羽良彰だ。

 

このサントラは前半に注目したい。実に(事実上の)メインテーマが16回もアレンジされている。メインテーマを含めれば17曲である。『ふらいんぐうぃっち』は1クールのアニメだったから、もはや1話1曲を通り越して1パート1曲の領域に突入している。この他、サントラの後半にメインテーマが関係ない楽曲が21曲も入っているので、本当に一品もののメインテーマアレンジだと言えよう。

 

若干アプローチが似ているアレンジもあるにはあるのだが、このレベルになってくるとそこにある微細な違いが重要になってくるわけで、選曲する側としては精神力ゲージがゴリゴリすり減らされる展開になる。これがたとえ、「予め話の内容や脚本を送付した上で先方に決め打ちで作ってもらう」というタイプの発注であったとしても、胃を痛めるタイミングが選曲時から発注時に移るだけである。

 

よく知られているのはTr. 2とTr. 16だろうか。Tr. 9あたりは相当凝っている。Tr. 8やTr. 10くらいまで自在にアレンジできるのであれば、私もこういう楽曲の発注をしてみたくなる。相変わらずお腹は痛いが、それはそれで楽しかろう。実際には、「この曲にメインテーマのフレーズを仕込んでください」という発注でも上がってくると渋い顔になるケースもある。やりたいこととできることの狭間でもがくのが創作。これは作曲する側も選曲する側も、あるいは音楽以外の創作でも同じだろう。

 

サントラの後半も注意したい楽曲が多い。Tr. 22は序盤掴みどころがないように思えるが、溜めてからの後半の展開が素晴らしい。これを聴いた時、「ああ、この作曲家はなんでもできるのだな」としみじみ思ったものだ。この曲の後にTr. 29やTr. 31を聴くと落差にクラクラする。キャラクターに沿って作曲されたであろうTr. 34やTr. 37にも注目。ここまできっちり描き分けてくれる作曲家は、実はさほど多くない。発注時に予め材料が必要で、準備の段階にもハードルがある。

 

日常系アニメと聞くと、「音楽的にはどうなの?」と思う人も多いだろう。しかし実際には、作品に与えたいイメージなり、舞台設定から来る印象なり、なんらかの形で、音楽は予め、作品や企画によって規定されている。ここを、発注する側も作る側も理解していないと、なかなか思うような作品に仕上がらない。そうでなくとも、素材不足やらスケジュール遅延やらで何かとトラブルに見舞われる界隈である。作りたいものが見えている、それが共有されている、というのは、口で言うほど簡単なことではない。『ふらいんぐうぃっち』は、音楽ももちろん、アニメーションやコンテの切り方にも工夫が見られ、見事に作品世界とそこで生きる人々を描き出した。結果から見れば、様々な点で恵まれた作品であっただろうという推測を、ついしてみたくなる。

 


 

楽曲オタクは、だいたいの場合、音楽の質――サウンドや作曲技術など――について議論する。一方、アニソンオタクなどは大抵「アニメでこうだった」「ライブでこうだった」と語る。これは、音楽の持つ様々な側面や、音楽の使われ方・楽しみ方の多様性に起因した差異である。重要なのは、自分が今どういう立場でどのように語っているのか、そこに自覚的であることだ。ここでは、音楽を「使う」側に立ちながら、できる限り様々なアプローチでサントラを俯瞰しようと試みた。実際には失敗している点もかなりあり、この失敗とは自らの内の不整理そのものであるので、反省したい。とはいえ、「使う」ことが前提の音楽が、使われる先の作品とどのように繋がっているのか、という観点は、是非とも持っていて欲しい。それは、アニメやゲームなど、様々な作品の音楽的側面を語る上でも重要なことである*1

 

 

2020年も素敵なサントラが世に出ますように。それはきっと、素敵な作品との出会いでもあるだろう。

 

 

(了)

*1:偉そうに言っているが、自分が一番できていない。